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11-12シーズンの自選10公演 ~ 震災楽季から量的にはV字回復 [その他オペラ関連]

夏休みの暇つぶしとして恒例の旧盆期を境界としたオペラ・シーズンの総括に前楽季のまとめ作業を実行。特徴は次の3点となって、1.楽季の幕開けの約1カ月は奇遇にも旧枢軸国の3団体が結集の「東京ベルカント祭」とも仮想の三人組の代表作を連続上演の好機に続いて後続の1カ月は内容はともあれ後夜祭的な演目が集中。とは言え前々楽季の折り返し点での自然+人為災害を直接影響の継続下に外国勢での2演目ではプリモ歌手の来日敬遠の決断と来日直前の急逝への代役投入によって招聘元は勿論に聴衆も期待利益を毀損の電力会社への損害賠償は不可能の上に契約解除も至難な極東の島国の現実に直面、2.一方でドイツ物では新春から半年間に外国人歌手を交えながらも国内団体が翌年に生誕200年を迎えるワーグナーの中期3作を順不同ながら半年間に集中上演の上に翌楽季早々での最終作公演を合わせると国内主要団体+公立劇場提携が揃い踏みの「生誕前年祭」とも言える盛況、3.参戦数では後半に震災直撃の前々楽季との比較でも映画分野の減少から全体での16回減に対してオペラ全曲では9公演14回増の総体としては震災楽季以前も上回るV字回復。全体数は108回で、会場順では例年どおり新国立劇場が23回(関連・貸し公演含む)、東京文化会館が前々楽季から倍増の18回で突出して以下、ほぼ同程度でのサントリホールが7回、専らオペラ映像での新宿ピカデリーが6回、東京オペラシティとオカモトヤビルが各5回の順。このうち、オペラ全曲公演は演奏会形式・抜粋公演・映像上映を含めて参戦総数の過半に到達の48公演59回に上昇。全曲公演の中から上演の全体内容に印象度を加味した自選のトップ10は次のとおり。(画像は近年の摩訶不思議現象と言える演目重複の好例として大作ながら昨春より14カ月で3回予定が残念にも震災中止の初回分の色刷チラシ)
11-12.jpg 1.「ロベルト・デヴェリュー」10月1日・バイエルン州立歌劇場
 東京公演の全日参戦から楽日を選択。初日の不出来を挽回の経歴の集大成にも通じる当代一流の入魂の歌唱にも増して悲劇では初実聴の公爵夫人役の力量を認識。
 「天空の紅一点や柿熟るる」
 2.「ローエングリン」10月2日・バイエルン州立歌劇場
 3回公演の楽日に参戦。代役主役の伸びやかで繊細な歌声が巨大劇場の天井桟敷まで響き渡って本作の美質の一面を十二分に堪能。
 「結納の祝ひ一打ち添水鳴る」
 3.「プリターニ」9月21日・ボローニャ市立劇場
 東京公演の全日参戦から中日を選択。台風による開始遅延と払戻措置の中を最も安定の叔父役を中心に代役2人を含めた独唱陣と伴奏の気迫に比較の上では最良と判断。
 「台風の過ぎて小鳥の声澄めり」
 4.「ローエングリン」6月10日・新国立劇場
 2回参戦の楽日を選択。外題役の容姿と同様に婦人層を直撃の特異とも言える"王子様歌唱"の衝撃度と適役性の観点のみで上位入りの異例公演。
 「去りてなほ心の空に虹光る」
 5.「コジ・ファン・トゥッテ」[演奏会形式] 11月13日・北区文化振興財団
 楽日に参戦。初演当時の再現を謳い文句の古楽器による伴奏によって"ダ・ポンテ三部作"の最終作に相応しい活力と情景表現に作品の魅力をさらに深化。
 「冴ゆる夜の夫婦の槇の揺らぎをり」
 6.「セビリャの理髪師」9月11日・藤原歌劇団
 全日参戦から楽日を選択。初演時と再演以降での両外題役主従の図抜けた出来映えと名匠の洗練の極みに到達の伴奏によって作品の傑作性も加勢の終演後の満足感は鮮明な記憶。
 「長老の指図天晴れ秋祭」
 7,「タンホイザー」4月5日・東京・春・音楽祭実行委員会
 初日のみ参戦。巨漢の外題役と夕星騎士役を中心に終始に男声陣の優勢に加えて百戦錬磨の指揮者の伴奏は後半からが真骨頂の楽日に後を引く弾力感。
 「春宵に森羅万象息ひそむ」
 8.「ナブッコ」2月19日・二期会
 全日参戦の敢えて初日を選択。一にも二にも本邦初御目見えの若手指揮者と作曲家の出世作との20代同士の化学反応で一期一会感に満ちた熱波の疾風怒涛は当夜が随一。
 「春疾風明日を持ち来よ心地良し」
 9.「ルサルカ」12月3日・新国立劇場
 4日目に参戦。歌唱もさることながら国内では外国人起用でも稀有な水の精の物語らしい青を基調の装置と照明の色彩効果に眼福の一夜。
 「寒水や青に碧に色気立ち」
10.「エルナーニ」9月25日・ボローニャ市立劇場
 今次来日公演の楽日に参戦。外題役の急逝悲劇の中で老公役の名唱と存在が全ての一人舞台を堪能と共にカーテンコールでの第二国家の大合唱に公演劇場の"文化"を記憶。
 「此処に居ぬ人を想ひて秋彼岸」
番外.「マクベス」7月28日・荒川区民オペラ
 初日組に参戦。隣接の北区とは対照的にアマオケが主催の独唱陣以外は市民参加の区営オペラながら夫人役を中軸に初期ヴェルディへの手作り感が独特の雰囲気を醸成。
 「下町の宙を揺るがし花火消ゆ」
以上の順位付けでは、3位までは昨秋の来日引越公演からの選択、6位までは国内団体での記憶に強く残る上演、9位まではそれに準じた公演という区分けでの各々の区分内では甲乙・丙丁が付け難く脳内の解明不能な思考回路の結果での序列となって大枠的に優・良・可的な色分け。
続いて公演中に離席の誘惑も生起の時折に苦行となったワースト3は次のとおり。
 1.「トロヴァトーレ」10月11日・新国立歌劇場 
 演出家の大味かつ直截的な視覚描写と指揮者の重心の重く生気に欠乏の聴覚展開の上に独唱陣の魅力にも欠けて"ベルカントの集大成"とは対極の暗黒世界。
 「丑三つの騎馬像蒼く冴ゑまさり」
 2.「こうもり」12月19日・新国立劇場
 独唱陣と演出は総じてウィーン由来の一方でピットはベルリン風味とも思える不均整によって鈍重無骨な伴奏の上に鳴り物入りの大歌手の抜けた声楽陣が上滑りの弾まない喜歌劇。
 「あの婆もこの人も無き年わすれ」
 3.「アイーダ」[演奏会形式・抜粋] 7月27日・新国立劇場
 1カ月後であれば強制中止もあり得た共催二国間の緊張関係を予言の来日陣の大陸流の威風堂々感と指揮者のオケ物流の唯我独尊感を再認識の奏祝の一夜。
 「灼熱の土用丑の日波鎮む」
*主な不参戦は、演目に関心なくボローニャ市立劇場「カルメン」、馴染み演目と価格での折り合いからウィーン国民歌劇場「こうもり」「メリー・ウィドウ」。
来る楽季もこれまでの地理的制約に加えて震災後遺症の続く時局に極東の島国まで勇躍来日を決断の外国勢、難局にこそ敢えて成果発表の場を求めてさらに活発化の同胞衆、米国発の景気低迷に追い打ちの苦境に果敢に挑戦の勧進元、もはや楽興の誘惑からの解脱不能な友人らに感謝しながら劇場通いを楽しみます。

Hakuji Hall「英国の伝統と革新 第1日」~ 気鋭歌手の別境地を聴く [クラシック音楽]

guiterfes.jpg8月17日・Hakuji Hall・正面後方指定席
概ね旧盆週を境界と勝手に線引きの楽季末に全くの平日休暇の暇つぶしとして前週の都下の市営大劇場でのオペラ・ガラから一転の本年で7回目と言う規模を生かした都内の民営小劇場での3日間の本年は「シェイクスピアからビートルズまで」との副題でのギター祭の初日の当夜では「伝統」は沙翁、「革新」はブリテンに焦点とも解釈の近年の精力的な活動の象徴のようにガラから中10日を経て出陣のテノール歌手を目当てに2年弱ぶりの健康企業の社会貢献劇場へ参戦。日没過ぎに入場の会場には通い慣れのオペラ公演とは異文化の放香で充満の何れの範疇でも肥満体型はほぼ皆無が通り相場とも認識のギター音楽あるいはバロック音楽または現代音楽もしくは英国音楽を愛好の諸兄姉で賑わうロビーを抜けて着座の末席では気分は借りて来た猫状態の居心地の悪さの一方で身体には劇場売り物の座り心地の良さに緊張感も解消の中で舞台奥に投影の垂幕仕立ての英国国旗に半ば忘却の世間喧噪の五輪大会を想起のそれ故の当年企画との遅蒔き過ぎる認識に合点のうちに開幕演奏として満場の聴衆の熱烈な拍手に迎えられて本邦ギター界の重鎮奏者2人による沙翁時代の二重奏曲2曲がおそらくは音楽祭の主役楽器では輝かしくも披露の後に1時間強での「シェイクスピアの時代の音楽」との第1部は引き続いてイタオペ派にはスメトンやファルスタッフを連想の概ねはリュートを中心の重奏のさすがに順序も含めて練り上げの選曲での11曲が並べられて門外漢には本会場の常連奏者による冒頭と途中の都合4回での楽器紹介などの初心者向けの説明を拠り所としつつ最終3曲はいよいよシェイクスピア喜劇に登場の歌曲が澄み渡った歌声の古語で歌唱の後は異邦人状態に所在無い15分間の休憩を経て1時間での「イギリスの歌」との第2部はギター伴奏でのテノール曲となれば自演自唱の禿頭歌手の美声が前頭連合野に焼付のアルマヴィーヴァのカンツォーネを想起の貧弱な脳細胞に自己嫌悪ながらも過去の共演経験もあってか前世紀に活躍の英語圏の5人の作曲家からのブリテンでの翌々月の「ピタグラ」も連想しつつ半音・面妖な俗謡や4年前に出版との編曲物でのギターとの掛け合いが二重唱のようなオペラ楽曲、ウォルトンの現代的な音律での舞曲調の作品などの多彩な選曲に続く掉尾はブリテンの「大地の歌」とも言える連作歌曲では門外漢には無調に突入の現代音楽の一特性とも作曲家の個性とも愚考の語り調も含めた捉え所の無い融通無碍的な難渋旋律を馴染みの透明度に優れた一見は一直線の光線のような印象でも劇場空間を満たす歌声での旋律的には苦手分野ながら展開の行く末に耳目を集中の歌唱に救援されて10分程の連作歌曲を拝聴。翌々月の新国立劇場の開幕公演への橋渡しの一夜とも認識しながら最寄駅に通じる私鉄沿線の商店街へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、最寄駅までの途中の「せきぐち亭」で。

セレンディピティ・オペラ「プリターニ」[抜粋]~ 若手公演での"三度目の正直" [国内公演団体]

fukagawapuritani.jpg8月12日・深川江戸資料館小劇場・正面後方自由席
山の手の映画館に引き続いて昨秋の二重三重の悲劇が直撃の悲運の来日上演が若手の挑戦心を鼓舞の故か以降は既に抜粋を含めて1年間で3回目と思しき公営施設での簡易ながら装置と衣装を準備のピアノ伴奏・合唱抜きでの"簡素舞台公演"とも言える仕立てでの今回が初の全曲主催との主宰者自身が執筆と言う無料パンフによれば独唱陣が全員ともに初役ながら暗譜での難曲上演の声援に今楽季のオペラ公演の締め括りも兼ねて隅田川を渡河の講釈師が案内役の定期観光バスの順路で入館経験の区立博物館内の小劇場へ参戦。祭半纏の町衆も来店の最寄駅近くの喫茶店での避暑を兼ねた休憩を経て富岡八幡宮の祭礼神輿の町内巡行への水掛けの名残が一抹の涼気を醸成の残暑も幾分は和らいだ夕刻の開演までの暇つぶしとして「広重の旅と名所絵」との企画展の駆け足拝見では勝手に期待の浮世絵よりは小区画での実録の旅日記を主題のパネル展示が中心のやや拍子抜け感に早々の退散での入場後は3割程度と思しき聴衆と共に偏愛作にやや前傾姿勢で臨めば番号オペラらしく前半は序曲に続いて大胆にも開幕合唱内の無伴奏四重唱から開始での8曲、後半は2幕通しの6曲との構成での衣装は男声は白色シャツに黒色ズボンとの当月らしい出で立ちに洋剣程度の小道具で進行の当夜は本作の宿命として伯爵役への関心に傾斜のイタオペ屈指の歌手殺し曲とも言える緊張の登場歌では手探り感が前面の素っ気ない歌い回しながら展開が本格化の王妃との重唱曲からは高音出しへの溜めが自然な本領発揮が後半にも継続の最終幕の独唱ではレチタティーヴォは淡泊ながら得意の高音は勿論に伸びやかな歌声を披露、花嫁役は重点練習と推測の狂乱歌では自身の見せ場として合いの手の男声組への見せ場の次曲でのオペラ的な感情表出を促進の好影響と思しき突如の悲劇に衝撃の境遇が伝播の横臥、繰り返し、装飾との技術的な側面も含めて渾身の歌唱を示して日曜歌手を超越の技量を披露、舞台経験の豊富な叔父役は所属集団のドイツ物に傾斜の伝統由来の特性と思えるイタオペ楽曲での波状歌唱にやや稀薄な歌い回しながらも当夜の中軸歌手として殊に重唱での相手を包み込むような役柄にも適合の当夜の大黒柱的な存在感を一貫して堅持。個人公演らしき本邦で稀有と思しき上演形態に驚嘆しつつ次回演目に期待しながら劇場を後にしました。
  「信心の神輿の町や涼新た」 昭成
アフターシアターは、山手線駅まで向かって「ブラッスリー・ヴィロン 丸の内店」で。

ヴェンドーム・プロダクションほか「屋根裏部屋のマリアたち」 ~ 屋根裏のヴィーナス讃歌 [その他音楽以外]

maria.jpg8月12日・ル・シネマ2・正面後方自由席
世上での旧盆休暇の週末の暇つぶしとして山の手の映画館から下町の博物館劇場での若手オペラへの直通の地下鉄を利用の酔狂な行程の前半戦に7カ月半ぶりの劇映画へ参戦。後半戦への移動時間から逆算の八つ時に開映の洋画は1960年代のスペインからパリに家政婦として出稼ぎの5人の婦人が直接の外題役ながら主人公には彼女らとの交流やその一員との浮気の末に後日譚的な大詰では見事に再婚を暗示の証券会社の経営者紳士を据えた筋書的には中年男の外国人労働者の共同体での異文化発見が二の丸、自家の家事使用人との恋愛成就が本丸とも理解の都会喜劇に予想外に引き込まれながら当時の同業就業者の類型とも憶測の五人五様の個性的な性格と状況の家政婦群像と社交界の交友にやや背伸びの社長夫人の美人妻との二元世界を寄宿学校に在籍の息子2人の無邪気な辛口台詞を香辛料に玩味しつつ「タンホイザー」との符号の側面も想起の女中連からは神格化の善行とは言え人生の折返不能点を越えた見方によっては跡目相続の社長業の故にこそ強烈な恋愛感情に覚醒の対象の如何にも象徴らしい聖母名の家政婦を半ば追いかけた主役の偶発的な屋根裏部屋での単身生活に彼の境遇からは初経験の彼の地での児童心理は不明ながら国内での男児の基地遊びや冒険行動にも似た心境とも推測の展開に二元的な構図に希釈の典型の恋愛劇を傍観者として堪能。身分制時代から連綿と継続の女中の生活態様を垣間見つつ19世紀に風靡のファム・ファタル文化を脈々と承継の深層心理に思いを馳せながらベッリーニの信教に由来の政治構図が背景の甘美な音楽世界に向けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、移動先での空き時間を利用の喫茶に「シルクリバー」で。

立川オペラ愛好会「真夏の夜のオペラ ガラ コンサート」 ~ 市民愛好会が提供の貴重なイタオペ祭 [その他オペラ関連]

tachikawagala.jpg8月8日・立川市市民会館・2階正面後方自由席
一昨秋の小劇場ながら邦人から隔絶の技巧でロッシーニ楽曲を余裕で披露の若手歌手の首都圏では貴重な実聴機会を専らの目当てに愛好2作が中心の選曲の魅力も後押しの万障を繰り合わせて前年公演での聴衆の好評への対応と歌手陣の継続意欲で続行と言う「夢の饗宴」との統一表題での本年は立秋の翌日に開催の最寄りのターミナル駅から徒歩10分強との首都圏郊外らしく自動車での移動が前提とも思える区域に立地の年明けには改築予定との昭和後期の公立劇場様式とも言える無味乾燥な外観と赤絨毯が象徴の初訪の市営劇場へ参戦。入場口では地元を「オペラの町に」を希求の主催団体の会員と思しき中高年御婦人連の和気藹々の接遇に同列比較は不適ながらも近年に浸透の指定管理者の係員とは異質の愛好会の手作り感に慰労されつつ無謀にも徒歩行の末に漸くの無事の着席に安堵しながら暫時の待機の後には開幕の顔見世的な3人の男声高声歌手、2人の女声高声歌手、メゾを含めた3人の低声歌手が総出で分唱のアンコールで定番の「椿姫」の乾杯歌がいきなりに繰り出されて客席からは早くも当夜の成功を予言の万雷の拍手と掛け声が如何にもガラらしい祭典感を醸成の中で都合7回も登壇の司会に加えて企画・演出も担当と言う饒舌のバリトン歌手が目論んだ共演陣の態勢準備への配慮も兼ねた仕掛けが成功と同慶しつつ本編の開始となって70分の「第1部」の主眼は前年の大阪に続いて今回は名古屋から招聘の当夜の主賓歌手とも言える若手を伯爵役に据えた筋書上での勝者側三人組の「セビリャ」からの4曲では3人とも自家薬籠中の余裕感で独唱と重唱を披露の1曲目には名前確認のレチタティーヴォを付けた二重唱後は動悸も収束しないままにオペラ史講座を挿入の奮闘の外題役がやはり高声男女を盛り立ての前半幕の第5番と第7番を逆順でのロジーナの巻、後半幕の第16番と第17番でのアルマヴィーヴァの巻とも言える構成となってピアノ前での演技に視覚効果も充分に前段の主役格の女声歌手は生彩が欠乏の二重唱から自身の登場歌ではさすがに立て直してソプラノながら昨秋の全曲公演も想起の歌い慣れた実力発揮の一方で後段の主役格の男声歌手は三重唱では既に登場の年長2人の胸を借りて当夜で唯一の喜劇作品として殊に後段は3人の笑顔での呼吸も合致の歌声に加えて構図的にも最も愉快かつ可憐な一場を現出の後には小柄ながら対照的な声量の豊かな百戦錬磨の従者役よりも一層に伸びやかに響き渡る歌声の大アリアで貴族の威厳、求愛の恋情、アジリタの華麗の3部を威風堂々の見事な歌い分けてでの殊にカバレッタは頭声と胸声の中間的な発声の工夫も入れ込みつつ漸速の効果もあって耳福の感興。15分間の休憩を経て60分間の「第2部」の中心は「ルクヴルール」の二重の三角関係を形成の主役級4人の独唱合戦となってやはり前月よりサントゥッツァに続いてアムネリスと追い掛けの公爵夫人役が本役での本格舞台経験が反映と拝察の登場歌での見事な低音と気迫に魅力の筆頭の出来映えに次いで伯爵役がガラらしい配役で楽屋場面での懸想歌を青年の一途な心情を伝播の個性が好転の一節的な清々しい声質で熱唱の後には監督役のトニオを想起の予想を絶対に裏切ら無い体躯を生かした朗々の歌声を拝聴の前後では「ドン・カルロ」の盟約二重唱は若手2人の声質に影響とも思える「ルチア」の嵐の場を連想のやや淡泊に進行ながら聴かせ所の唱和部分では徐々に相応の迫力を醸成の後半開幕の役務を成就、掉尾には有り難くも作曲家一流の名旋律で三角関係を劇的に展開のイチオペでも有数の一場とも思える「トロヴァ」の兄弟対決三重唱は繰り返しの励行もあって後半の1曲目と同様に先導役の低声役が生気に溢れてアジリタにも傾聴の熱気に溢れた有終の美を飾る好演。伴奏はロッシーニからヴェリズモまでの作品ごとに音色を描き分けた音楽への没入には至らない感情移入での繊細と律動が併存の当夜の9人目の独唱者として機能の名演。最終曲の余韻も残存の中で当夜の呼び物とも言える"3人テノール"が登壇の分唱はさすがに最高音は第2部を休憩の満を持した主賓若手が担当の装飾や長音を交えた超絶歌唱の結果は当然に場内沸騰となってピアノ1台のみでの空疎感も醸成の舞台を一変の同種の演奏会では類例が少数とも思える字幕と背景投影も豪華に主催の市民愛好会の熱意に呼応の外郭団体を含めた地元の出資団体の支援による歌手陣の意向も重視と思える選曲もあってかイタオペの楽興で満腹感が充満の劇場を後にしました。
アフターシアターは、帰路を急いで特急車内用弁当を「なだ万厨房 エキュート立川店」で。

PMF組織委員会「PMFオーケストラ東京公演」 ~ "ばらの騎士交響曲"の黄昏時のカタルシス [クラシック音楽]

pmf2012.jpg7月30日・サントリーホール・2階正面後方A席
前週末からの4日間で5連戦の楽日として前年の慈善演奏会から当年は日程と演目から正規公演を選択ながらオペラと管弦楽の両分野での活躍に加えて楽季末とは言え札幌での国際講習会も掌中の芸術監督が統率の講師と講習生の合同オケの東京出張演奏会へ参戦。大編成に対応の後期ロマン派からの2曲構成の前半の作曲家では屈指に愛好の二重協奏曲では本作を2管ながら一般の定演では拝聴不可能なコントラバス10本の大編成での壮麗な音響の中で当夜の指揮者が首席客演を務めるピットの首席奏者との関係の故なのか講師を担当の独奏組は快速基調の下で総じて高音独奏は控え目で低音独奏は旋律性に富みつつも中間楽章の幽玄感には乏しい淡泊な色調にやや物足り無さを感じながらも一面では伴奏楽団らしい所属オケの特性が濃厚に発露とも思い直して最終楽章では幕切れのストレッタを連想の相応の高揚を形成。後半の登山交響曲は当然に4管の他に前回も登場のワーグナー・チューバ4本、打楽器には描写音での雷鳴板や風音器なども配備の壮観の陣容での門外漢のやや唐突な印象ながら全体には3年前の当夜の指揮者での2度の実聴もあってか本作より4年前に初演の「ばら」からの転用とも錯覚の断片へのベルカント的な波状強弱を意識とも思えるしなやかな歌謡性の付与に特徴とも愚考の冒頭こそ若手らしい散漫感が優勢の指揮台での激烈動作が結果的には奏者連に未達のヴァイオリンの日射感は薄弱ながら総休止からの本編開始とも言える登頂行以降は学生山岳部の夏山登山を彷彿の例えば滝の水滴、花畑の昆虫、氷河の緊張感、頂上からの景観、嵐の風雨などの人間心理も含めた森羅万象に作品の性格と当夜の奏者の特性に合致の意気軒昂な青春時代を謳歌の楽天的とも言える「神を見ようともしなかった」と揶揄の作曲家の一面を衝いた目映い程の健康的な清々しさが支配の一方で下山後は登頂目的を達成の充足感と共に当日の激動の一日を回顧の若者に特有の淡い感傷感にも似た「ばら」の大詰にも通じる懐旧の眼差しの心情を音楽化の作曲家一流の旋律美を玩味の耽美的かつ惜別感に満ちた黄昏の時間を場内に創出の後には終演後の6秒間の静寂も含めた精神昇華への満場の喝采で南独での仮想登山から現世の東京に連れ戻された感慨も抱きつつ来年度の選曲を楽しみに劇場を後にしました。
アフターシアターは、手近に会場に隣接のホテル内の「花梨」で。

南條年章オペラ研究室「ピラータ」[演奏会形式] ~ 本邦創唱の若手らの熱演 [国内公演団体]

pirata.jpg7月29日・津田ホール・正面後方自由席
前年と同一行程の「発表会デー」の後半として古今東西で前代未聞と推測の演奏会形式・ピアノ伴奏ながら一声楽教室が毎年1作上演でのベッリーニの全作を10年計画で挑戦との前回の泰西名曲的なセミセリアから一転の「本邦初演」と言う出世作のセリアを選曲の本企画の2回目に主催教室の本拠地劇場へ参戦。開演時刻には余裕の会場入口では在庫放出とも思える声楽発表会には場違いな今秋のオケ物公演のチラシ束を受け取って門弟係員の手慣れた対応で入場後は暫時の待機を経て序曲を割愛での劈頭は不足の男声を若干に補強の総勢約30人の発声に定評の門下生による「ナブッコ」が継受とも思える劇的表現に優れた開幕合唱で幸先良く開演の当夜は近時では本教室のソプラノ三枚看板とも言える侯爵妃役はやや生硬ながらも難役を邦人離れの構えの大きな歌唱と指導者の薫陶を反映の技巧が併存の殊に後半幕ではほぼ歌い通しの敢闘での注目の狂乱歌は前段の切々の慈愛よりは後段の堂々の激情が際立った恰幅に優れた熱唱、その相手役の伯爵役は発声と技量の両面で研鑽の成果に由来とも思える余裕からの表情付けにも飛躍の一座のプリモとしての存在感が向上、その敵役の侯爵役はやや感情の表出に慎み深い個性ながら登場歌のカバレッタでは城主らしい既に馴染みの黒い声質での凄みが増大の威風堂々の歌い振り、期待の前半幕の同趣曲では比較的快速の終曲では合唱陣の奮闘での最終音は宗教曲を彷彿の終結に声楽美の一典型を形成の五重唱の後は主役陣への負担と本企画の性格の反映とは思いながらもストレッタ好きにはベルカントの愉悦にやや欠乏の序曲にも登場の躍動旋律で侯爵妃の苦悩を浮上の長短の音楽が交錯の大詰感に満ちた繰り返しの割愛措置に重唱部との不均衡を感じつつも脳内補正の自助努力で対応。今回は脇役の男声高低2人の力量向上の行方に企画完遂までの関心を寄せつつも侍女役の端役ながら歌唱は勿論にスズキを連想の登壇中は常時に悲劇の主人親子を気遣う表情と所作にやや大袈裟ながら見立て文化で陶冶の想像力に特性の同胞には演奏会形式でも本格公演と同等的な舞台性を醸成の効能を再認識しつつ翌年には当夜作の次作のレア物との第3弾に大いに期待を抱きながら劇場を後にしました。
  「航跡の一筋光る夏の潮」 昭成
アフターシアターは、劇場で会った知人らと手近に「猪八戒 千駄ヶ谷店」で。

新国立劇場オペラ研修所「コジ・ファン・トゥッテ」[短縮版] ~ 場面と通しの越え難い隔絶

scene12-7.jpg7月29日・新国立劇場・小劇場正面指定席
昨年と偶然にも主催団体が同じ組み合わせのダブルヘッダーでの「発表会デー」の前半戦として国費研修生の前期末発表会の楽日組へ参戦。2年半前に着任の当代所長の選曲経緯は不明ながら年度末の全曲公演に対する夏季休業前の恒例的な場面を抜き出した「試演会」の名称は掲げつつも本年度は先月に先輩歌手連の一線級の職業歌手としての横綱相撲にも似た貫禄の公演との同趣向の重唱曲のみの通し演奏形式となって前日の初日組と共に3期分の現役生の声域を考慮の概ね低声男子不足の補充要員に修了生を迎えて潤沢な高声男女では姉・女中・高声士官は幕での入替措置での配役構成に全曲物での登板配慮も拝察しつつ無料パンフの所長挨拶に明記のレチタティーヴォ重視との指導方針の故か既に学生時代に楽曲単位では演奏を経験の作品とは思いながらも貧弱な記憶力では夏季発表会での勿論に抜粋での全曲物らしい上演は幕間後での全員一丸の若手らしい溌剌な一幕に好感の「スキッキ」の程度に留まる中で新体制での指導法、本公演への練習時間、通し形式の選曲、作品本来の要求度などの諸要因が影響とも推測の個々の歌唱を超えたそれらの融合体としての重唱は過去12年間に先輩たちが一場ごとに格闘の末に培った集中力の発露には残念ながら未達の試演会としての充実感には欠乏の学生オペラの雰囲気を醸成の喜劇として成功という次元には未昇華の成果に前半の稽古場感に対して後半は舞台感を醸成ながらも各幕で1時間程度の通し上演の至難性を再確認。新任所長の下で中劇場でのレア物を指向の年度末発表会にも増して次年度の夏期の部の選曲に大いに関心を抱きつつ山手線内の後半戦へ足早に会場を後にしました。
アフターシアターは、従って省略。

荒川区民オペラ「マクベス」 ~ 予想どおりの「荒川区のマクベス夫人」 [国内公演団体]

arakawamac.jpg7月28日・サンパール荒川・正面後方B席
猛暑の中を地下鉄と都電を乗り継いで後年に増補改訂とは言え「バレエ付きの完全上演」との謳い文句に加えて地元区が支援の市民オケも共催の低廉に誘われて遅蒔きながら初訪の区立劇場での14回目にして初の区民オペラの初日組へ参戦。主人公の史実略歴と原作終焉地も簡略ながら紹介の独立団体らしい作品への愛情も醸成の地域オペラの御多分に漏れずに巻末には地元企業などの名刺広告で賑わう手作り感に溢れた無料パンフによれば震災での延期措置から1年を経て無事の挙行に同慶しつつ向かい側に立地の仏教系新宗教施設の駐車場での盆踊り大会の「東京音頭」に迎えられながら会場に到着すれば幸先良くも区税支出の賜物と拝察の廉価貸出の公益便宜にも貢献の主催団体が所有との舶来のアイーダ・トランペット6本組の虫干しを兼ねたロビーでの奏者の一人が作曲と言う「世界初演」との触れ込みの不揃いと思しき日曜音楽家らしい演奏の歓びに満ちた心情が伝播のファンファーレを拝聴して入場。平土間のみ1千人超収容の座席は8割程度の客入りの様子で器楽陣では主催オケはコントラバスが板上に数十センチが突出のピットに陣取って練習量が豊富な大学オケよりも列位ながらバンダも用意の本格仕様に各幕の後で一様にトイレ休憩程度の幕間の2回目には屋外で偶然にも爆発音のみで実感の同時開催での大川端の花火大会に呼応のように腹部に響く大太鼓に象徴の2年ぶりのオペラ公演に奮起の一心不乱の手工芸感が微笑ましくも第1幕のロッシーニ流儀での大好物の大詰は無伴奏から作曲家一流の伸びやかな旋律の繰り返しの励行によって幕切れでは相応の高揚感を形成の上に合唱陣では殊に男声は練習に参加困難な壮年層が欠落の音大生を含めた青年隊と老年隊の2部隊で構成の殊に女声の魔女組は充分に蔭の主役の任務を達成の成果に加えて舞踊陣は区民オペラの特性を発揮の地元バレエ教室が担当の完全全曲公演を標榜の目玉場面では1ダース分の踊り子が振付の問題として中間部の抒情感を醸成の弱音部では音楽を妨害の足音には閉口ながらも10分間をほぼ常動での敢闘の他に5分間弱での声楽組と舞踊組の2隊合同の魔女軍団は門外漢ながらモダンバレエ的な所作も含んだ見応えに想定外の相応の堪能。声楽陣では夫人役はスピントながら達者なアジリタを披露の一方で事情推量での贅沢な期待とは言え登場歌ではカバレッタの繰り返しを割愛ながら手本と聞く名歌手を念頭の故か大袈裟に言えば作曲家の「語れ」との意向に反旗とも聴こえる豊穣な発声と丁寧な歌い回しと熟慮の表現の三位一体での楽譜研究に根ざした錬成の歌唱に刮目の喉が温まった第2幕以降は尻上がりに清澄な歌声が場内に充満の末での臨終直前の聴かせ所では伴奏の控え目配慮もあって聴覚を独唱に集中の残念ながら合いの手の医師役には奮起を期待ながらも当夜の白眉場面を形成、その夫役は総じて音楽の有無を問わずに語り芸の共通項として若手らしい生硬な表現の振幅が少ない歌唱に対して前半3幕での何れも濃密な劇的会話の夫婦重唱では冒頭幕の逡巡と督励、第2幕の狼狽と鞭撻、第3幕の決然と同調での変化は総じて薄弱ながら先輩格の相手役の胸を借りた婦唱夫随的な役柄の優柔な内面とは対照的に第3幕の大詰や第4幕の見せ場での勇将の外面とを歌い分けて殊に愛妻の独唱に先導の突撃前の有名曲では筋書展開を見事に反映の喜劇ながら「セビリャ」の大アリアに相当とも勝手に理解の改訂版とは言え事実上の大団円に相応しい当夜の関係者の越年上演への情熱を凝集とも感受の愛妻への後追い的な武人の威風と覚悟を良く表出。出奔貴族役は当夜の出演陣では最長の舞台経験が証左の共演陣とはやや異質な様式での冒頭幕大詰での図抜けた歌声、最終幕の見せ場では先祖の墓前でのエドガルドを連想の抒情色が全開の泣き節の歌唱見本のような全力投球の熱唱に続いて「湖上」の出陣場面も彷彿の合唱付テノール二重唱を主導。なお、字幕での各場の設定地の表示に初心者視点での配慮と共に照明を利用の大釜や緑色の布での森林の見立てに低予算での邦人らしい工夫に好感。前夜の世界第2位と第3位の経済大国の国立歌劇場が初めて共闘の外交的行事に対して特別区第20位の人口の区民オペラにこそ断然にイタオペの感興を堪能の同じヴェルディ物とは到底に思えない雲泥の差違に感慨を超えた関係者の奮闘が招来のオペラの魔力を感じながら花火大会を終えた初訪の街へ劇場を後にしました。
  「下町の宙を揺さぶり花火消ゆ」 昭成
アフターシアターは、公演の返礼に同区内の山手線駅へ向かって「又一順」で。

新国立劇場&中国国家大劇院「アイーダ」[演奏会形式・省略あり] ~ 堂々の中華大陸アイーダ [新国立劇場]

jp-chaida.jpg7月27日・新国立劇場・4階正面D席
楽季末らしい研修発表会が中心の4日間で5公演への初戦は酔狂とは思いながらも全くの週末前夜の暇つぶしとして国交修復の周年事業として欧州諸国との「日本におけるイタリア」などとは格上と思しき「国民交流友好年」と賑々しく命名の枠組の一環行事として今楽季を終了の東京国立歌劇場での自国から大陸の隣国へと順次に披露と言う両国人が共演の国際交流催事の初日へ参戦。終演後の懇親会を優先の措置かは勿論に不明ながらワーグナー物の平日マチネで慣行的な公私の企業体の通例では終業時刻または同時刻以前に開演との祝祭行事への集客よりも主催都合を優先とも思える共催両国に共通の東亜の官治文化に根差した時間設定では要人や関係者が列席の式典色が濃厚の雰囲気と拝察の平土間とはおそらく対照的な演奏会形式での低廉もあってか天井桟敷は空席の目立つ沈滞気味の空気に包まれて専らの関心は2週間前には初演が本作から約20年後のヴェリズモの代名詞作に出演の3年前の知人からの情報と3カ月前の端役で実聴の当夜の失恋王女役に絞って暫時の待機。2年前に大陸側の発議に呼応の島嶼側の選曲・趣向との経緯の中での配役は外題役の供出からの作為の結果なのかは不明ながら主要役では最列位の国王役を人数調整の例外として今次大戦の史実とは正反対の前者が敗戦国、後者が先勝国に区分の6人が分担のまずはエジプト王国での筆頭配役の将軍役は昨年のタンホイザーを彷彿の「主筋よりは脇筋の公演で実力発揮」との知人の慧眼を実証の邦人歌手としては余人を以て代え難い後期ヴェルディの重労働の役務にも手慣れ感の出演経験を反映の予想外の好演で完遂ながらその娘役は恋敵との冒頭幕の三角関係重唱や最終幕の審問場面の省略措置に折角の晴れ舞台が縮減の結果に彼女を目当ての聴衆にも憂き目とはいえ年齢も考慮での体躯を生かした邦人離れの豊穣な歌声と迫真の表現を発揮の演奏会形式とは言え研鑽機関の親舞台で主役級の見事な凱旋公演を実現、対するエチオピア王国を代表の外題役は独米での活躍が証左のロッシーニ作品と同様な祖国と恋情の狭間で逡巡の乙女の痛々しさと一国の王女らしい凛々しさが併存の大劇場でも万全の力強く響き渡る貫禄の歌唱ながら好みの問題とは言え平行幅で推移の長音に象徴の殊に大陸に出自の歌手に特徴的とも思える迫力は十二分の一方で一本調子的な歌い回しに伊語の情感は喪失の終始にイタオペの楽興には未到の決然の歌声をひたすらに威儀を正して拝聴と同時にその父親役はさらに表現は劣位の同様な歌唱に加えて指揮者の聞き手を意識の筋書の語り部よりも自身の熱情の一方的な伝達感に勝った大陸風の防寒着を着衣のような分厚く鈍重な音楽に作品への関心薄も手伝って予想どおりに倦怠の時間も発生。無料パンフに拠ればオスマン帝国から半独立の回教国家が建設の歌劇場の柿葺落に仏人文化人の原案の伊語訳での当時の仏人と独人のオペラ大家への対抗心から受注のイタオペと言う露帝室からの特注作にも増して作曲家の他作とは隔絶の19世紀後半の国際的な一大催事の観光オペラには波状音楽の醍醐味は無用とも思い直してナポレオンの敗走を棄却の旧帝国陸軍も陥穽の大陸国家の底知れない地響きに疲労感も覚えながら劇場を後にしました。
  「灼熱の土用丑の日波鎮む」 昭成
アフターシアターは、折角の早仕舞いに斥候的にやや遠出の「ハンバーグ ウィル」で。

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