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新国立劇場&中国国家大劇院「アイーダ」[演奏会形式・省略あり] ~ 堂々の中華大陸アイーダ [新国立劇場]

jp-chaida.jpg7月27日・新国立劇場・4階正面D席
楽季末らしい研修発表会が中心の4日間で5公演への初戦は酔狂とは思いながらも全くの週末前夜の暇つぶしとして国交修復の周年事業として欧州諸国との「日本におけるイタリア」などとは格上と思しき「国民交流友好年」と賑々しく命名の枠組の一環行事として今楽季を終了の東京国立歌劇場での自国から大陸の隣国へと順次に披露と言う両国人が共演の国際交流催事の初日へ参戦。終演後の懇親会を優先の措置かは勿論に不明ながらワーグナー物の平日マチネで慣行的な公私の企業体の通例では終業時刻または同時刻以前に開演との祝祭行事への集客よりも主催都合を優先とも思える共催両国に共通の東亜の官治文化に根差した時間設定では要人や関係者が列席の式典色が濃厚の雰囲気と拝察の平土間とはおそらく対照的な演奏会形式での低廉もあってか天井桟敷は空席の目立つ沈滞気味の空気に包まれて専らの関心は2週間前には初演が本作から約20年後のヴェリズモの代名詞作に出演の3年前の知人からの情報と3カ月前の端役で実聴の当夜の失恋王女役に絞って暫時の待機。2年前に大陸側の発議に呼応の島嶼側の選曲・趣向との経緯の中での配役は外題役の供出からの作為の結果なのかは不明ながら主要役では最列位の国王役を人数調整の例外として今次大戦の史実とは正反対の前者が敗戦国、後者が先勝国に区分の6人が分担のまずはエジプト王国での筆頭配役の将軍役は昨年のタンホイザーを彷彿の「主筋よりは脇筋の公演で実力発揮」との知人の慧眼を実証の邦人歌手としては余人を以て代え難い後期ヴェルディの重労働の役務にも手慣れ感の出演経験を反映の予想外の好演で完遂ながらその娘役は恋敵との冒頭幕の三角関係重唱や最終幕の審問場面の省略措置に折角の晴れ舞台が縮減の結果に彼女を目当ての聴衆にも憂き目とはいえ年齢も考慮での体躯を生かした邦人離れの豊穣な歌声と迫真の表現を発揮の演奏会形式とは言え研鑽機関の親舞台で主役級の見事な凱旋公演を実現、対するエチオピア王国を代表の外題役は独米での活躍が証左のロッシーニ作品と同様な祖国と恋情の狭間で逡巡の乙女の痛々しさと一国の王女らしい凛々しさが併存の大劇場でも万全の力強く響き渡る貫禄の歌唱ながら好みの問題とは言え平行幅で推移の長音に象徴の殊に大陸に出自の歌手に特徴的とも思える迫力は十二分の一方で一本調子的な歌い回しに伊語の情感は喪失の終始にイタオペの楽興には未到の決然の歌声をひたすらに威儀を正して拝聴と同時にその父親役はさらに表現は劣位の同様な歌唱に加えて指揮者の聞き手を意識の筋書の語り部よりも自身の熱情の一方的な伝達感に勝った大陸風の防寒着を着衣のような分厚く鈍重な音楽に作品への関心薄も手伝って予想どおりに倦怠の時間も発生。無料パンフに拠ればオスマン帝国から半独立の回教国家が建設の歌劇場の柿葺落に仏人文化人の原案の伊語訳での当時の仏人と独人のオペラ大家への対抗心から受注のイタオペと言う露帝室からの特注作にも増して作曲家の他作とは隔絶の19世紀後半の国際的な一大催事の観光オペラには波状音楽の醍醐味は無用とも思い直してナポレオンの敗走を棄却の旧帝国陸軍も陥穽の大陸国家の底知れない地響きに疲労感も覚えながら劇場を後にしました。
  「灼熱の土用丑の日波鎮む」 昭成
アフターシアターは、折角の早仕舞いに斥候的にやや遠出の「ハンバーグ ウィル」で。
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