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新国立劇場「演劇講座 リチャード三世の魅力」 ~ 役者の登場で講座が消滅 [その他音楽以外]

monthly.jpg10月8日・新国立劇場・中劇場正面後方自由席
無風予定の三連休の暇つぶしとして最終日に飛び込み的に1週間前のオペラ部門での同種行事に続いて往年の文学少女の知人からの勧誘に応じた"体育の日"に相応しくも減退が着実に進行の前頭葉の異種格闘での俄鍛錬との目論見も兼ねて主催劇場が2カ月前から傍目には唐突的に開始とも受容の英国祭の一翼を担う当月興行の演目解説を兼ねた「マンスリープロジェクト」と命名の演劇部門での無料申込制の月例行事へ参戦。開場時刻を予定から15分遅延の本公演を終演後の熱気が残存の会場に参集の聴講客に入り混じって借りて来た猫状態でのやや緊張感を抱きつつ先代演劇監督の開始早々での世論調査では3年前に上演の第1四部作の先行三連作に続いて本公演に多数が参観済みとのやや婦人上位の老若男女の演劇または沙翁の愛好家の御常連を前に本邦史上2人目と聞く個人全訳を達成の翻訳家を迎える形式での前半の30分間は概説的に邦訳家が急遽に用意と言う自筆のA4判ペラでの歴史劇の第1四部作の表題王2人を各々に中心に据えた家系図を資料にマクベス王と双璧との悪党主人公の魅力と作品の特質を提示。続いて小屋主側の要請を承諾なのか前日の公演後の「シアター・トーク」に続く連投の外題役が終演後の休息を経て登壇の後半の1時間は男優の個性表出と成り行き任せとも思える進行準備が露呈の演出家との質疑応答と翻訳家からの気遣いが客席に伝播の時間の密度が急速に稀薄化の前日企画からの続編感が濃厚な空気にやや倦怠感も覚えつつ退場後の下り階段の踊り場に展示の英国人演出家で上演の「ファル」の舞台模型を覗き込んで心身の消化不良感を整えて9日後の同道の知人からの余り券を利用の本公演への心構えを確認しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、臨席の知人と手近に「エクセルシオールカフェ 東京オペラシティ店」で。

日活「あした来る人」 ~ 恋愛非成就の群像劇 [その他音楽以外]

ashita.jpg9月27日・ラピュタ阿佐ヶ谷・正面後方自由席
平日休暇の暇つぶしとして「昭和の銀幕に輝くヒロイン」との連続企画の66人目として8本の出演作を週替わりに上映の3作目に登場の45歳で病没の映画監督の作品数的には折り返し点の第26作に最寄駅から商店街の路地を抜けて樹木に囲まれた独特の外観と雰囲気の昭和時代を専門の映画館へ漸くに初訪の参戦。朝一番の開場時刻には御常連らしき高齢者を中心に約10人が待機の約50席に20人程度の客入りとなって講和条約調印から4年後の1955年に本編前に付加の「制作再開1周年記念作品」との表示を反映の戦後の銀幕界で活躍の名優を配置の戦後の文豪が前年に執筆との新聞連載小説を脚本化の2時間の文芸大作として原作は不案内ながら生物学者の登場が発端の実業家の父と娘、交情を越えた旦那と愛妾との従前関係は別に置いても、愛情離反の夫妻、恋愛未成立の男女2組の関係の生成と崩壊の展開は一老四若の構図で白組は進化論に一石との生物学研究に一心不乱の学者の文化部と当時の世界初登頂から間もない高峰に挑戦のサラリーマンの運動部、紅組は感情を爆発の外向的な令嬢と周囲に配慮の内向的な愛妾との対照性を強調の登山仲間の名脇役で固めた賑やかし連を含めて観衆は登場人物の過去にも遡って主役陣の何れかに自己投影または親近感とも推察の群像劇に列車移動での車窓風景や富士山の書割、鴨川の対岸の夜景や京阪電車の模型に往事の映画事情を確認の一方で場面の切換直前の表情付けや余韻の他に毎作の趣向に関心の本作の巻頭場面では9階建ビルの屋上から垂直撮影での路上の革靴の大写しへの変化にも監督の個性を感受。保守思想の論客でも高名な戦後を代表の一角の作曲家が音楽を担当ながら監督自身の選曲とも思えるワーグナーの結婚行進曲を挿入の主題曲の皮肉、ホテルで歓談場面での「芸術家の生活」や植物園での「カルメン」の転用間奏曲などの設定に適合の選曲の他に裏小路まで熟知とも拝察の銀座の路地や夜景の挿入、学者役の出身地を筋書上の研究出張先への利用や飲酒場面での監督自身の郷土を代表の銘柄などの機知が微笑ましくも実業家の娘世代への独白で完結の全編を見終われば結局はその老妻の断捨離生活が却って人生を達観の明治女の気骨に映じつつ次作上映に待機の熟年諸氏の劇場生活を半ば憧憬しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、最寄駅までの途中で昭和時代らしい「富士ランチ」で。

フジテレビジョンほか「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」 ~ 四畳半文化が発露の刑事映画 [その他音楽以外]

odoru.jpg9月16日・新宿ピカデリー・スクリーン1指定席
三連休の中日の暇つぶしとして米国歌劇場の映像配信興行で蓄積の無料相当分の得点を共用の家人に随従での15年前と言う放送開始以降は定時枠は僅か1四半期ながら関連番組への拡大戦略もあって一世を風靡の刑事物の最終作との触れ込みの邦画へ参戦。映画版での過去3作での14年前の第1作とその5年後の第2作を劇場で拝見の程度の初心者には本連作の斬新性と理解の邦人組織の象徴として万人の理解が容易な警察機構を揶揄対象として標的の趣旨は5年後から連作開始の他局の人気刑事ドラマでさらに先鋭化の影響を再認識の一方で作風が本家に逆流とも愚考の本作の犯罪自体が警察捜査が原因の警察官による警察組織のための行為となって本企画の断続展開もあってか近年ではやや類型傾向の他局の同種番組が世評に俎上の中で本邦テレビ史に屹立の名ドラマの最終地はバナナ倉庫との現実に日本経済と制作局の現況の反映とも推測の一方で想像の域ながら近年の殺人事件解決物の2時間ドラマで顕著に顕現のオペラでのセリアとインテルメッツォとの関係や2組ペアの硬軟対比の系譜、本邦では中世起源の舞台芸能や主従ペアの性格付けを犯罪ドラマに導入の嚆矢的な役割とも拝察と共に本編への伏線の仕込み、主筋と脇筋の結合、楽屋落ち的な仕掛けにおよそ他国の文化では必要性と実現性の両面から等閑視の極東の島国文化に根ざしたやや大袈裟ながら織物のように精緻微細とは言えないまでも縦横に配置の重箱の隅をつつくような贔屓好みの愉しみの積み上げにこそ本企画の最終作としての着地点が存在とも愚考。40代と言う主演俳優よりはむしろ米国の人気推理ドラマの主役警部を彷彿の実年齢が地方公務員の定年を過ぎても続行の気配が濃厚な他局の警視役の勇退時期に想いを巡らせながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、入場料と同様に特典を利用の劇場並びの「グリル満天星 新宿店」で。

ヴェンドーム・プロダクションほか「屋根裏部屋のマリアたち」 ~ 屋根裏のヴィーナス讃歌 [その他音楽以外]

maria.jpg8月12日・ル・シネマ2・正面後方自由席
世上での旧盆休暇の週末の暇つぶしとして山の手の映画館から下町の博物館劇場での若手オペラへの直通の地下鉄を利用の酔狂な行程の前半戦に7カ月半ぶりの劇映画へ参戦。後半戦への移動時間から逆算の八つ時に開映の洋画は1960年代のスペインからパリに家政婦として出稼ぎの5人の婦人が直接の外題役ながら主人公には彼女らとの交流やその一員との浮気の末に後日譚的な大詰では見事に再婚を暗示の証券会社の経営者紳士を据えた筋書的には中年男の外国人労働者の共同体での異文化発見が二の丸、自家の家事使用人との恋愛成就が本丸とも理解の都会喜劇に予想外に引き込まれながら当時の同業就業者の類型とも憶測の五人五様の個性的な性格と状況の家政婦群像と社交界の交友にやや背伸びの社長夫人の美人妻との二元世界を寄宿学校に在籍の息子2人の無邪気な辛口台詞を香辛料に玩味しつつ「タンホイザー」との符号の側面も想起の女中連からは神格化の善行とは言え人生の折返不能点を越えた見方によっては跡目相続の社長業の故にこそ強烈な恋愛感情に覚醒の対象の如何にも象徴らしい聖母名の家政婦を半ば追いかけた主役の偶発的な屋根裏部屋での単身生活に彼の境遇からは初経験の彼の地での児童心理は不明ながら国内での男児の基地遊びや冒険行動にも似た心境とも推測の展開に二元的な構図に希釈の典型の恋愛劇を傍観者として堪能。身分制時代から連綿と継続の女中の生活態様を垣間見つつ19世紀に風靡のファム・ファタル文化を脈々と承継の深層心理に思いを馳せながらベッリーニの信教に由来の政治構図が背景の甘美な音楽世界に向けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、移動先での空き時間を利用の喫茶に「シルクリバー」で。

ポーランド・テレビほか「ブリューゲルの動く絵」 ~ 美術と技術の幸福な結合 [その他音楽以外]

bruegel.jpg2月3日・ユーロスペース1・正面自由席
平日の暇つぶしとして3日前の09年製作の実録映画に続いて昨年末の80年近く前の喜劇を鑑賞時に映画館の入口に掲示のポスターに一目で食指ながら詳細確認を放置のままに危うく見逃しかけた一昨年に製作の実験的映画に筋書も不明な状態で世事をかき分けて最終日の最終回へ滑り込みの参戦。8年前の新国立劇場の「ファル」での事前説明会で演技指導に写実を重視の英人演出家が曰く「フランドルへの変更理由は筋書の設定年代で市民生活を描写の絵画が唯一に残存の地域」との記憶が浮上の魅了のポスターを一瞥して入場すると最終上映に間に合わせた半数程度の客入りの観衆に微弱な同志感も湧きつつ上映まで俳優が扮装の5カ月前の「トロヴァ」の紗幕絵と同一の表題画家の自画像的な大首写真と背景画的な登場人物たちで構成のポスターを拠り所に絵画が如何ように動くのかを予想とも言えない茫漠の想像の中で待機。画家の2番目の大作と言う「十字架を担うキリスト」を題材に前半の40分間は時に絵画と実写を巧みに合成、時にその延長線上で監督が創作の映像によって中央に鎮座の風車小屋に居住の粉挽職人に始まる監督が画中の群像から抽出との人物に焦点の早朝の日常生活から街道と思しき場所での雑多な庶民の日常生活の描写に続いて次の20分間では彼らの平穏を破壊の森林を駆け抜けて到着の騎兵の一団がおそらくは異端の咎での子牛売りの若夫婦の亭主を車輪刑で処罰の事件から筋書が本格化してその光景に憤慨の画商からの提案で絵画の構図どおりにフランドルに読み替えた有料パンフではキリストの最後の6日間と言う聖譚が二重写し的に展開。後半ではいよいよ本作の山場に向けて20分間はローマ帝国を旧教勢力、救世主を独立運動家、盗人を狂人に変換での絵画には無描写の「最後の晩餐」の模様などの創意場面も含めて絵画の中心点のゴルゴタへの行進、下手の遠景での十字架刑、中央部に遠景での絞首刑図をユダの自害に見立ての展開となって圧巻は行進場面での背景図に切り絵を貼り合わせる知育教材ように絵画と同一の装束と構図での生身の人間による再現は7カ月前の「コジ」の美術にも通じる撮影地探索も含めた天然自然と伝統工芸と先端技術を見事に結合の人間の着想力と創造力の結晶の賜物と実感の後は幕引きへの展開として唯一神の象徴にも思える処刑後の地震発生は無いものの深更らしき暗闇の平原に襲来の稲光と雷鳴を転換点にパレスチナでの史実と同様に庶民の日常生活への回帰に続いて最終場面らしい明朗快活な門外漢ながら彼の地の快活なルネサンス期の世俗音楽での庶民ののどかな集団舞踊で一巻の読み切り。パンフの解説に依れば筋書展開の契機のスペイン圧政は作画時期とは前後との事実に基づく通説には相違の作品意図ながら作画から数世紀前の「鳥獣戯画」を加工の動画化を遙かに凌駕の高度な技法での人物版との卑近な連想に脳神経の非力さを痛感しつつ画家の下絵挟みから散逸の1枚に先輩格のボスの模写と思しき空想動物の線画、室内場面では窓からの自然光がフェルメールを意識とも拝察の構図などおそらくは西洋美術愛好家への監督からの暗号も含有の好事家好みの一編に作画から5年前での任地からの帰国と設定のポーザ侯爵の義憤と悲願の由来を可視化の作品として記憶に刻印しながら谷上の劇場を後にしました。
アフターシアターは、最寄駅への途中で寄り道的に「若狭屋 渋谷店」で。

オーヴァル・フィルム+ヴィルダート・フィルム「ピアノマニア」 ~ 芸術家と技術者の協働と格闘 [その他音楽以外]

piano-mania.jpg1月31日・シネマート新宿・正面後方指定席
平日の暇つぶしとして前月の喜劇に続いて偶然に認知の諸国の映画賞を獲得と言う独人調律師を追跡の実録映画へ参戦。主筋にウィーンでのバッハのチェンバロ曲とオルガン曲のピアノ演奏への音色設定に神経質なまでに執心の仏人演奏家のCD制作に向けた1年前からの準備と録音現場での奏者の要望実現への献身も交えた誠実な対応と緻密な作業の密着記録、人寄せ意図が成功の副筋として前半に超絶技巧の若手と後半に老熟の大家との好対照な何れも世界的名手の演奏会への両者の発言も挿入の演奏会場での準備の様子、色物的に米国在住のヴァイオリンとピアノの曲芸技が売り物の二人組に着目の彼らへの出し物案の提供の逸話が絶妙に主人公の考案場面の仕込みを入れ込んだ沈静的かつ凝集的な本編から観客を弛緩の終結場面で完結、さらに目休めとして本邦の国営放送局の報道番組での手法と同種の平穏なピアノ独奏曲を背景音楽としたウィーン市街と撮影地近くと思しき田園地帯の詩情的な風景を適所に遭遇の構成の中で展開の頂点はやはり録音日での主人公の奮闘に置かれて舞台での演奏家、別室での制作会社の監督と技師の双方との意思疎通や演奏家の要求に対応の深夜に及ぶ調整作業など調律師から捉えた数日間の音楽録音の実相を理解の副産物。さりげなく愛妻と愛犬の登場は勿論に大手ピアノ製造会社の上役のお出ましからは元ピアニストと言う主人公の職人気質を体現の現場の人材力、彼が所属の在墺法人社長の発言からの管理力、さらに欧州拠点の工房や経営層の発言の経営力と同社の宣伝映画の匂いも銀幕から大放出の一方で喧噪競争のような聖林映画は別にしても寡黙かつ沈着な主人公の個性、風景映像と演奏場面を除いて無音楽の映像づくりの両面から実際以上に静寂感が残存の作品に喧噪の日常から隔絶の清流を聞くような感慨に全身浄化の作用も錯覚しつつ丁寧な撮影と周到な編集に本作への当然の栄誉を納得しながら試写室のような劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で落ち合った知人らと手近に「新宿 立吉」で。

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・プロダクション「オペラは踊る」 ~ 舞台裏での大追跡劇の衝撃 [その他音楽以外]

marxbros.jpg12月28日・シネマヴェーラ渋谷・正面後方自由席
年内最後の年忘れの暇つぶしとして「映画史上の名作6」との特集の下で劇場では初鑑賞の門外漢ながらオペレッタ映画の金字塔に真似た題名の少なくとも喜劇映画でのオペラ関連の最高峰とも愚考のトーキー初期に一世を風靡の喜劇人による傑作を目当てに現在は文化村通りとの呼称と言う坂上のミニシアターへ参戦。音飛びが散見の配役紹介に続いて俄かには「ニューヨーク歌劇団」の欧州楽旅とは理解し難い登場人物の人間関係の説明を兼ねた「道化師」を上演の劇場場面の後は帰国の大西洋航路での船内騒動と下等船客の移民らに焦点の最終夜の祝宴に続く米国帰国後の露人飛行士3人組への扮装で発覚の警察からの遁走劇での番号オペラのような半ば独立的な喜劇場面の断続的挿入の他に欧州出航時での名目上の主役ペアのソプラノ歌手役とテノール歌手役による3節構成のオペレッタ風な挿入曲、祝宴場面での乗客の集団舞踊と次弟と末弟によるピアノとハープの曲芸的な技巧演奏が音楽映画的な雰囲気を醸成のいよいよ序奏でのピット内の珍混乱を端緒の大詰の「トロヴァトーレ」を上演中での劇場関係者と警官隊が追尾の大追跡劇は時折の逆回しや早巻きもご愛嬌の舞台裏の空間を縦横無尽に利用の圧巻の見せ場を形成して殊に本作では最安料金と思しき船室での人間の寿司詰め場面が最も高名と聞き及ぶも舞台裏に幾筋も並ぶ背景幕などの吊り綱を上下行の空前絶後とも思える歌劇場の舞台裏の大仕掛け感は本作の視覚的頂点と愚考。無声時代からの非現実的な状況下で身体機能の極限を発揮して視覚的に観衆の度肝を抜く米国喜劇映画の伝統が黙役を含んだ主役兄弟を最後に会話を主体の現実主義に傾斜の様相がベルカント期からヴェルディへのオペラの変遷にも符号とも勝手に解釈しつつ76年前に制作の本作で大詰の高揚に設定の帰国公演の初日演目と今楽季の陰々滅々の国営劇場の幕開け演目が偶然にも一致の事実にもある種の感慨を抱きながら年末の繁華街へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、忘年を兼ねて劇場近くの「ブラッスリー・ヴィロン 渋谷店」で。

オペラ・フィルム・プロダクション「デル・グリッロ侯爵」 ~ 破天荒な"ホモ・ルーデンス"の痛快伝 [その他音楽以外]

grillo.jpg11月20日・アニェッリホール・正面前方自由席
週末の暇つぶしとしてブッファの舞台映像に続く「喜劇映画デー」の後半戦は前半会場から地下鉄で3駅目の在外公館が主催の自国喜劇映画界の昨年に病苦が原因とも想像の投身自殺で物故という大御所監督の3日間で5作品を各1回上映の料金無料の特集での世事と先決予定との重複によって最終作へ漸くの参戦。1カ月前の国事行事的な慶祝感が横溢の祝賀演奏会と同じ会場には日曜のソワレ上映のためか50人ほどが参集ながら開映15分前からは演奏会でも上映の主催公館での各種の講座と行事の宣伝告知と如何にもイタリアらしい町内会楽団による「エルナーニ」の有名合唱曲の吹奏も挿入の洒落た統一記念年動画を再拝見の後での館長挨拶では週末らしくネクタイ未着用姿の軽装で主役は実在の人物でローマには冠名の通りあり、撮影場所はルッカとの説明に加えて在日公使臨席の紹介、字幕制作者への慰労を付加に続いて開映に先立って本企画の協賛企業と思しき「トゥーランドット」の児童合唱曲を使用のボローニャに拠点のコーヒー・チェーン店、同胞が経営の麹町の料理店、国家御用達のシャンパン製造会社との3点の宣伝映像によって彼の地の雰囲気に浸りつつも前半線のオペラ初演から約20年後のローマを舞台に12家と思しき教皇御輿の担ぎ人の家格ながら占領仏軍の将校と親交の一方で「トスカ」の演出によっては登場のナポレオンの戴冠式に列席の教皇から格別に引き立てとの設定の当主を主人公に貴族教育による知性と教養に裏打ちの透徹した識見、やや度を越した遊戯心と茶目っ気の上に勿論に革命政府によるオペラ上演史上の一大画期と言う当時のローマでは蔑視的な存在の仏人女性歌手とも交友関係の上での密事に及ぶ好色家の二面性の人物像をアルマヴィーヴアとフィガロ、ドン・ジョヴァンニとレポレッロの主従関係を彷彿の従者を従えた日常の種々の場面から描出して色事絡みの公務の大失態には途上で帰還ながら共和政下のパリへの移住に出発の破天荒ぶりに仰天しつつも最後には斬首刑から一転の教皇勅命での謹慎6カ月への減刑にまさしく神の代理人からの"デウス・エクス・マキナ"のような「三文オペラ」を連想の風刺的ご都合主義ながら実に痛快な幕切れ。大革命の歌唱史への影響の再認識とオペラに登場の当時の貴顕の生活ぶりへの想像の収穫と同時に自国政府は財政難の渦中ながら映画分野の他にも母国の放送局で膨大に蓄積のオペラ舞台映像の定期的な上映機会の企画に藁をもすがる待望感を抱きながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、新宿に戻って「卯作」で。

東京映画「花影」 ~ 昭和の大女優の色香 [その他音楽以外]

kaei.jpg8月23日・東京国立近代美術館フィルムセンター・正面後方自由席
旧盆を挟んで「逝ける映画人を偲んで 2009-2010」との特集の中で偶然にも主役ペアが該当の2週間前に鑑賞の映画監督のカラー作品へ参戦。夜間の部ながら客席は意外にも各々の目的に従って老若男女の100人弱が参集ながら御常連の後期高齢紳士仲間の聴覚と羞恥心の低下に起因の大声が飛び交う社交場ともなって2組が上映前は昔話に開花、上映中は有名俳優の初登場時に老人性饒舌症による俳優名の相互確認作業に閉口。原作は未読ながら現行文庫版では「ピーア」の原作の一節を扉裏に印字の「椿姫」と同様に原作者の実体験から着想の文壇裏面史を飾る女性への懺悔とも言える小説にほぼ忠実と言う筋書は名ナレーターによる科学映画のように冷静な語り口による劈頭での本作の主題説明と結末での服薬自殺の場面説明で挟んだ主人公の既婚学者との半同棲生活の破綻から自害に至る2年間の男性遍歴は牽強付会ながら2週間前に拝見の本作監督の処女作との主役が女性、結末が悲劇との対称性も感じつつ主人公を取り巻く五指程度の異性からの熱視線との共通性を想起。1年ぶりと推測の銀幕復帰作と言う主演女優の今世紀には絶滅種とも思える筋書展開の相手と状況に応じて妖艶、愛嬌、鋭利、清楚、哀愁、孤独、気骨を表出の七変化の眼力に彼女の天分と監督の指導の結実として注視しつつ実話の翻案ながら「ホフマン」のような序幕と終幕が付加の三題噺的な枠組とも解釈の構図の中に主人公とは冒頭と終盤で接点の原作者の分身と思しき大学教員とほぼ全編を通じて関与の実在の人物を想定と言う骨董鑑定家の2人に対して順々に彼女との良縁を求めながらも結局は決別の求婚三人衆とも言える寡夫弁護士、若手テレビマン、幼馴染社長との変化に富んだ3話の悲恋譚として展開の推移と登場人物間の関係性に関心を抱きつつ拝見。縦横無尽なカメラ視線と共に大詰ではそれまでの第三者視点から主人公の睡眠薬の服用後での瞬時の本人視点に転化の絶命瞬間の暗転表現と無音効果が奏効の幕切れに監督の非凡性を感じつつ後期高齢者以外は沈黙の客席から初秋を感じる夜風の銀座へ劇場を後にしました。余談ながら入場時に加えて終映後の入口での支配人の立場と思しき熟年紳士の来館答礼には前職は不明ながら律儀な心掛けと丁寧な挨拶との心身両面での清々しい姿勢に観客の立場からは劇場経営の責任者の見本例と畏敬。
アフターシアターは、銀座駅までの途中の「三洲屋 銀座店」で。

イッセー尾形ら「イッセー尾形のこれからの生活2011 in 原宿」 ~ 2011後のこれからに期待 [その他音楽以外]

issei2011.8.jpg8月14日・クエストホール・正面後方
前月の大手町公演に続いて家人サービスを兼ねて独自の一人芝居を全国で披露の役者の原宿での多目的空間を活用の毎年恒例の夏祭的な本拠地興行とも言える楽日へ参戦(画像は当日配布のアンケート用紙)。開場時刻から幕開けまでの1時間は例年どおり壁際の据付ベンチには座布団、ソファー前の床にも卓袱台と座布団が並べられたロビーでの主催関係者が観衆を接待の帰省者を迎えた村祭にも思える吉例の和洋の軽食、酒類を含めた飲料からマッサージ、果ては占術までが無料で振る舞われて開幕前から同行者との会話による和気藹々の雰囲気が場内に充満。当夜の演目は新作を含めた6作が披露されて劈頭と掉尾の女装作品を挟んで中間の4作は連続物の仮面劇を含めて男性描写ながら職業は職人、水商売、給与所得者と演者の最も得意の3分野から各々に混乱や当惑に逢着の事態を切り出しつつ登場人物も中高年と老人との実年齢に無理のない設定で男性三態の周囲との会話と自然な仕草の日常の中に非日常な状況と話題を入れ込んだ笑劇の背後には彼らの生い立ちをも伝播の表現に各場面の開始から数分後には客席をその場の同席者の一員または傍観者として目撃の錯覚にも到達の一方で両端の作品では前段はめずらしい登場人物の心情を具象化の余韻を残した非現実の世界での結末、後段は幕切れ名物の音楽作品としてウクレレによる超現実の歌詞内容の弾き語りによって男性作を含めて粒の揃った作品の繰り出しに90分ながら相応の満足感。閉幕後の満場の拍手を受けながら9日間の夏祭の完遂を超えた壇上の演者の充実感に溢れた眼差しを拝見して今後の創作への手応えの捕捉と受容しつつ祭の余韻の漂うロビーを抜けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、家人の嗜好に従って「饂飩割烹 むぎ万」で。
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