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フロイデ・シンフォニーオーケストラ「第34回定期演奏会」 ~ "エロイカ"節には若者がよく似合う [クラシック音楽]

freude.jpg10月14日・すみだトリフォニーホール・2階正面自由席
前日の19世紀後半のロンドンで流行の軽歌劇に続いて知人からの招請に呼応の同世紀前半のウィーンで転宅常習の"楽聖"のオケ物を並べた市民オケの定演に大川渡河の区立劇場へ参戦。最上階を封鎖措置での鶴翼型の上階には正面と両端の都合3台を設置の撮影機での記録態勢も万端にコントラバス6本に2管編成での序曲・協奏曲・交響曲との今日では演奏時間の観点から後期ロマン派以外の作品群では典型の曲順に従った泰西名曲として定番の両端曲の間にレア物と言える多重奏協奏曲を配置の作曲家を統一の趣向の中で英雄交響曲を連想の中間曲の初実聴を専らの目的に序曲の巻は市民演奏家には通例とも言える序奏では本番の緊張感から解放前の混沌的状態の一方で波乱万丈の展開を経た長調部では最終地が目前の安堵感に似た開放感が充満の王道的な演奏道程が凝縮の出来映えを示しつつ斬首描写は鋭角感には稀薄なものの以降は短調部との対比感も前面に総譜の縦線を意識の整頓の音楽が高らかに進行、続く協奏曲の巻は独唱に職業歌手を招聘の市民合唱団公演のように客演の独奏者3人は控え目な音合わせから既に豊富な舞台経験を想起の独奏とは思えない程の清楚感で伸びやかな旋律で傑作期劈頭の楽風の軽快な再現に触発とも思える技術や表現を超えた楽団員の青春の息吹が場内を駆け巡るようにも感受のペラゴロ人生で最初で最後と予測の本作の心地良い印象を抱きながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、知人らへの返礼に「厳選洋食 さくらい」で。

サントリーホール「音楽のある展覧会」 ~ 世界に誇るドイツ民族の記録文化 [クラシック音楽]

wien.jpg10月10日・サントリーホール・小ホール自由席
平日休暇の暇つぶしとして当月に予定の東京藝術大学の企画物2回と合わせた「ジャポニスム旬間」の初回の概説と勝手に位置付けの1週間の会期での有料制とは言えA5判4折無線綴じのうち1折は色刷との望外に豪華な展示品解説の小冊子では「ウィーンに残る、日本とヨーロッパ450年の足跡」との表題の主催劇場が提携して四半世紀と言う楽都の楽友協会の創立200周年記念との慶事も付された同協会の所蔵品の展示会期から会場劇場が付置のオペラ研修所の講師を担当のソプラノ歌手が登壇と予告の無料整理券制での短尺独唱会の期日を選んで前々日の演劇催事に同道の元文学少女の知人を勧誘の参戦。開場の30分前より会場付近で待機と待ち合わせの後に30分間での追加公演と午前の本公演、監修者講演の都合3回の催事参加とその合間での展示品見学での準備万端の予定で臨めば通常仕様の舞台側下手にピアノを設置の演奏・講演会場を囲むように通路の両側の壁面と陳列ケースを見学しながらすれ違える程度の広さで会場の四方に沿うように設営の回廊式とも言える展示室には無料パンフでは142点の展示品は前年の「熱狂音楽祭」のブラームス展で拝見の大作の日本画1点を除いて当然に独墺圏に偏重ながら歴代の文庫員が収集の音楽的観点から選択の協会所蔵の資料が30余点から十指以下での相違はあるものの活版文字、銅版画、錦絵、写真、絵葉書、楽譜へと媒体自体の変遷も証言の偶然にもオペラ史とほぼ一致の4世紀を時代順に10区分に大別しつつ古くは欧州人から見た文物としての邦楽の描写や17世紀欧州での極東列島での迫害の受難劇の流布、開国以降は楽都と日本との多面的な音楽的紐帯を再認識の種々の史実の繰り出しに改めて古典音楽面での国交樹立当初から連綿の日墺関係の特殊性をやや大袈裟ながら驚嘆しながら入場と同時に「の森音楽祭」や「熱狂音楽祭」でも未体験と記憶のペラゴロ人生で最も早く開始の当日の初回と午前の部の演奏会では一部の曲目を換えて両回共に万葉集や和歌の独訳曲を中心に専ら展示楽譜の実音化の5曲に戦前期の楽都への時間旅行の感慨も抱きつつ拝聴。午後の収集・収蔵の責任者からの講演会には50人程度が参集の大革命戦争中の名称どおりに演奏会の企画団体として演奏会場も建設の設立当初のパガニーニやリストの登壇話を交えた紹介に20分を費消の後はシューマン夫妻との関係を始めに2回の招聘計画が霧消のメンデルスゾーンを含めて演奏家としてのブラームスやワーグナー、聴衆としてのシベリウス、ミュンヘンのシュトラウス、ベルクなどの逸話に30分余を経て最後にはドビュッシーやラヴェルの演奏余話を含めた明治期の日本との関係や現在の名門オケとの蜜月状況を10分間で説明の異邦人にも関心を抱き易い視点から200年史を能弁な両手が印象的な話術で概観。午後の部への後ろ髪も引かれつつ正午前後の4時間で楽都で秘蔵の貴重資料の出張展示に望外の眼福感を抱きつつ近世期からの出発ながら日欧音楽交流史での正倉院的な存在とも思える彼の地の文書庫の役割と民族の気風を再確認しながら会場を後にしました。
アフターシアターは、夕刻の所用への待機に四ツ谷駅上の「PAUL アトレ四谷店」で。

Hakuji Hall「英国の伝統と革新 第1日」~ 気鋭歌手の別境地を聴く [クラシック音楽]

guiterfes.jpg8月17日・Hakuji Hall・正面後方指定席
概ね旧盆週を境界と勝手に線引きの楽季末に全くの平日休暇の暇つぶしとして前週の都下の市営大劇場でのオペラ・ガラから一転の本年で7回目と言う規模を生かした都内の民営小劇場での3日間の本年は「シェイクスピアからビートルズまで」との副題でのギター祭の初日の当夜では「伝統」は沙翁、「革新」はブリテンに焦点とも解釈の近年の精力的な活動の象徴のようにガラから中10日を経て出陣のテノール歌手を目当てに2年弱ぶりの健康企業の社会貢献劇場へ参戦。日没過ぎに入場の会場には通い慣れのオペラ公演とは異文化の放香で充満の何れの範疇でも肥満体型はほぼ皆無が通り相場とも認識のギター音楽あるいはバロック音楽または現代音楽もしくは英国音楽を愛好の諸兄姉で賑わうロビーを抜けて着座の末席では気分は借りて来た猫状態の居心地の悪さの一方で身体には劇場売り物の座り心地の良さに緊張感も解消の中で舞台奥に投影の垂幕仕立ての英国国旗に半ば忘却の世間喧噪の五輪大会を想起のそれ故の当年企画との遅蒔き過ぎる認識に合点のうちに開幕演奏として満場の聴衆の熱烈な拍手に迎えられて本邦ギター界の重鎮奏者2人による沙翁時代の二重奏曲2曲がおそらくは音楽祭の主役楽器では輝かしくも披露の後に1時間強での「シェイクスピアの時代の音楽」との第1部は引き続いてイタオペ派にはスメトンやファルスタッフを連想の概ねはリュートを中心の重奏のさすがに順序も含めて練り上げの選曲での11曲が並べられて門外漢には本会場の常連奏者による冒頭と途中の都合4回での楽器紹介などの初心者向けの説明を拠り所としつつ最終3曲はいよいよシェイクスピア喜劇に登場の歌曲が澄み渡った歌声の古語で歌唱の後は異邦人状態に所在無い15分間の休憩を経て1時間での「イギリスの歌」との第2部はギター伴奏でのテノール曲となれば自演自唱の禿頭歌手の美声が前頭連合野に焼付のアルマヴィーヴァのカンツォーネを想起の貧弱な脳細胞に自己嫌悪ながらも過去の共演経験もあってか前世紀に活躍の英語圏の5人の作曲家からのブリテンでの翌々月の「ピタグラ」も連想しつつ半音・面妖な俗謡や4年前に出版との編曲物でのギターとの掛け合いが二重唱のようなオペラ楽曲、ウォルトンの現代的な音律での舞曲調の作品などの多彩な選曲に続く掉尾はブリテンの「大地の歌」とも言える連作歌曲では門外漢には無調に突入の現代音楽の一特性とも作曲家の個性とも愚考の語り調も含めた捉え所の無い融通無碍的な難渋旋律を馴染みの透明度に優れた一見は一直線の光線のような印象でも劇場空間を満たす歌声での旋律的には苦手分野ながら展開の行く末に耳目を集中の歌唱に救援されて10分程の連作歌曲を拝聴。翌々月の新国立劇場の開幕公演への橋渡しの一夜とも認識しながら最寄駅に通じる私鉄沿線の商店街へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、最寄駅までの途中の「せきぐち亭」で。

PMF組織委員会「PMFオーケストラ東京公演」 ~ "ばらの騎士交響曲"の黄昏時のカタルシス [クラシック音楽]

pmf2012.jpg7月30日・サントリーホール・2階正面後方A席
前週末からの4日間で5連戦の楽日として前年の慈善演奏会から当年は日程と演目から正規公演を選択ながらオペラと管弦楽の両分野での活躍に加えて楽季末とは言え札幌での国際講習会も掌中の芸術監督が統率の講師と講習生の合同オケの東京出張演奏会へ参戦。大編成に対応の後期ロマン派からの2曲構成の前半の作曲家では屈指に愛好の二重協奏曲では本作を2管ながら一般の定演では拝聴不可能なコントラバス10本の大編成での壮麗な音響の中で当夜の指揮者が首席客演を務めるピットの首席奏者との関係の故なのか講師を担当の独奏組は快速基調の下で総じて高音独奏は控え目で低音独奏は旋律性に富みつつも中間楽章の幽玄感には乏しい淡泊な色調にやや物足り無さを感じながらも一面では伴奏楽団らしい所属オケの特性が濃厚に発露とも思い直して最終楽章では幕切れのストレッタを連想の相応の高揚を形成。後半の登山交響曲は当然に4管の他に前回も登場のワーグナー・チューバ4本、打楽器には描写音での雷鳴板や風音器なども配備の壮観の陣容での門外漢のやや唐突な印象ながら全体には3年前の当夜の指揮者での2度の実聴もあってか本作より4年前に初演の「ばら」からの転用とも錯覚の断片へのベルカント的な波状強弱を意識とも思えるしなやかな歌謡性の付与に特徴とも愚考の冒頭こそ若手らしい散漫感が優勢の指揮台での激烈動作が結果的には奏者連に未達のヴァイオリンの日射感は薄弱ながら総休止からの本編開始とも言える登頂行以降は学生山岳部の夏山登山を彷彿の例えば滝の水滴、花畑の昆虫、氷河の緊張感、頂上からの景観、嵐の風雨などの人間心理も含めた森羅万象に作品の性格と当夜の奏者の特性に合致の意気軒昂な青春時代を謳歌の楽天的とも言える「神を見ようともしなかった」と揶揄の作曲家の一面を衝いた目映い程の健康的な清々しさが支配の一方で下山後は登頂目的を達成の充足感と共に当日の激動の一日を回顧の若者に特有の淡い感傷感にも似た「ばら」の大詰にも通じる懐旧の眼差しの心情を音楽化の作曲家一流の旋律美を玩味の耽美的かつ惜別感に満ちた黄昏の時間を場内に創出の後には終演後の6秒間の静寂も含めた精神昇華への満場の喝采で南独での仮想登山から現世の東京に連れ戻された感慨も抱きつつ来年度の選曲を楽しみに劇場を後にしました。
アフターシアターは、手近に会場に隣接のホテル内の「花梨」で。

東京フィルハーモニー交響楽団「第819回オーチャード定期演奏会」 ~ 自然と人間を活写の双幅画 [クラシック音楽]

zedda12-3.jpg6月24日・オーチャードホール・3階正面B席
一昨日に続いて4日間で3回公演の老匠が統率の短期集中公演の週末マチネもあって楽団事務所は当日会場とは同区内の1回目公演の劇場と一体の高層ビル内に入居ながら「定期演奏会」との名称が他の2会場とは相違の主催オケの本拠地感を醸成の当日が唯一でのオケ好きや本劇場を傘下の私鉄線の近郷近在から参集の年配会員層には主客転倒の印象とも想像の田園交響曲の後にバレエ音楽を中心曲に据えてロッシーニに関連の演目を並べた最終日へ参戦(画像は昨秋の大学オケで今回のバレエ音楽を演奏の解説付き公演のチラシ)。前半に19世紀産の"泰西名曲"での自然描写と後半はほぼ1世紀を経た擬人化の人工物を含めた人間表現とを対比の構成観にも注目のオペラ界屈指の"ロッシーニの伝導師"らしい選曲に期待しつつ2年前の本劇場での気品すら醸成の抜粋公演からの再聴の作曲家復興の立役者には赤子の手を捻るような「テル」序曲とロッシーニとは楽都での対面逸話が有名な"楽聖"の交響曲では唯一に具象の標題付き作品の選択に好対象の両者間の"嵐対決"が条件反射のように脳裏に浮上ながらも指揮者とベートーヴェンとにやや乖離の距離感の印象を払拭の殊に異邦人ながら冒頭曲の同様部分を彷彿の雷雨を経た最終楽章ではイタリアの敬虔な農民の祈祷風景も想起の温和ながら衷心からの歓喜感が場内に横溢の自然讃歌に帰着の本楽章のために先行4楽章ありとの感慨が全身に浸透の末には標題音楽とはいえ絶対音楽での筋書展開を構想とも思えるオペラの巨匠らしい語り口の力量をまさかの交響曲で再確認。後半は通常は開演から120分限度の公演慣行の故か無料パンフによればやや割愛措置との初実聴のバレエ組曲では第一次大戦前から仏国で活動の露人主宰のバレエ団が伊人作曲家の没後記念に同国人に作曲委嘱の英国初演作での序奏に続く三一致の法則での早朝からほほ一昼夜の筋書には南仏保養地の現地人が経営と思しき商店に英人老女に続く米人とやや遅れて露人の各々に子連れ一家の登場、商品には伊国人形、コサック人形、カン・カンのペアと本作成立の経緯から当然ながら独墺の両国は出番無しの協商陣営が中心の展開の上に敵対の新興大陸国から訪仏の両一家の親睦や遠くは最終曲での本作の設定年代と言う第二帝政や作曲家の母国の仇敵国がドナウ国家に転落年を暗示の表題に加えてマズルカでの露人一家の登場や大詰での米露一家への襲撃行動など大戦後の欧州情勢の視点からの種々の解釈も一興の老匠の演奏となれば無意識にも機会音楽との相違ながら「ランス」も連想の国際的と言うよりも民族的な趣向かつ6種の舞踏音楽が順次に繰り出しの雰囲気は2年前の「テル」のバレエ音楽での管弦楽の洒脱の極みに到達とも言える楽興の記憶が脳裏に浮上の当日の目玉曲らしい風格感に興じつつ指揮台で舞踏のようにも錯覚の所作から創出のロココ風味が基調の精妙な音色の浮沈に優れた声楽の無いオペラの秀逸な情景描写とも受容しながら絶対音楽よりは居心地の良い運びにピットでの再会の願望が沸々と充満。遁走曲形式と金管連符などの曲調から「ファルスタッフ」を連想の大詰を聴きながら米国で逝去の同胞巨匠との共に長命の生涯現役ながら芸風は好対照の個性の相違に19世紀のイタオペの変遷との二重写しも脳裏に浮上しつつ眼前の好々爺の次期来日の実現を切に祈念しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、マチネでの時間的余裕から新宿に出向いて「車屋 別館」で。

東京フィルハーモニー交響楽団「第818回サントリー定期シリーズ」 ~ 緊張と弛緩が自在の仙人芸 [クラシック音楽]

zedda12-2.jpg6月22日・サントリーホール・2階正面後方B席
3日前の台風下でのワグネリアン講座の記憶に重ねて前日の泰西名曲を見事に甦生の至芸への感銘が二重に脳裏に浮上の中を同一演目での老匠の至芸の再聴に初登壇と思しきオケ物では国内頂点とも言える会場へ参戦。主催楽団の国営歌劇場での初日の流儀に従えば前日の"実演ゲネプロ"を経てケルビーニ作品は不適な表現とは思いながらもウィーン古典派の亜流的な音色からの遊離が一層に徹底の仏楽壇の大立者として影響との作曲家の経歴を想起の繊細優美な色彩を強調の陰影の深みよりはしなやかな常動的移ろい、楽器間の精妙な音響を指向の音色の立体的な構成、後半3楽章での楽節ごとに変化の歌謡性を重視の節回しなど目から落鱗の作品の格を世評以上に高める指揮芸術の妙味の実例として謹聴後の休憩を挟んだベリオ作品も同様に会場移動と歌い慣れに加えて老巧指揮者が万全の先導かつ支援の賜物と言える各曲の大衆性を含んだ個性的な小宇宙の描き分けを指向の語り口は前夜からの長足の前進となって国内では発表の場は限定的とは承知ながらも当代屈指のイタオペの老匠から直伝の歌心と歌唱術を錬磨しつつ本作の伝導歌手としての存在も期待しながら拝聴。いよいよ最終の中心曲も楽章間での差違の表出よりは全曲を通じて38歳で夭折の作曲家が弱冠22歳でほぼ完成と言う名曲を却って60歳以上の年齢差の故こそとも思える米寿手前のロッシーニの大家の個性を濃厚に反映の弾力感に富んだ冒頭音からの絶妙の速度感を保持の好調に当夜も期待の楽員の一心不乱も加勢での伴奏音の一音一音が一個の生命体のような白昼夢を思わせる緩徐の第3楽章の中間部や急速の第4楽章の漸強部も含めて無窮動な活力としなやかな軌跡が快速感を伴いつつも殊に当夜は緩徐楽章で強く印象の全編を覆う独特の斜陽の日照感も入り混じった本作の真髄を衝いた忘我の楽興に圧倒されつつ期待以上に攻撃的かつ緻密な優雅さも兼備の驚愕の最終楽章は指揮台での踏込も効果音に転化の例えば「湖」の超絶三重唱の終盤で響き渡るストレッタの伴奏音楽にも通じる弾く側と聴く者を何時の間にか音楽のみで呪縛の境地へ連行の楽譜に内在の魔力を全開の稀代の妖術師とも思える至芸に驚嘆。さすがに楽員の疲労の故か最終音まで突進の一気呵成感や弱音部での精妙な均整が後退の全体の構築感にやや綻びの都合4回では直前の本演奏での3回目に軍配とも愚考の前夜と同趣向のアンコールを堪能の後には万雷の拍手を眼前に漸くに一部でもオケ好き同胞に真価を刻印とも思える当代の名人芸を玩味しつつ2年後とも推測の3度目の定期公演登場をひたすらに熱望しながら2日後の今次来日最後で唯一の演目への期待も込めて劇場を後にしました。
アフターシアターは、近隣の新装ホテルに出張って「ORIGAMI」で。

東京フィルハーモニー交響楽団「第70回オペラシティ定期シリーズ」 ~ 老匠の絵筆が冴えわたる名画鑑賞 [クラシック音楽]

zedda12-1.jpg6月21日・東京オペラシティコンサートホール・3階正面A席
3カ月半前の世事事由での痛恨の初日断念に帰着の近くの「フィガロ」よりも同一会場もあってか遠くの2年前の国内組には初披露と思しき「スタバト」の感銘記憶が蘇生しつつ今次来日では渡欧組にも皆無と推測のオケ曲を連ねた"風景画家"としての筆致の披露を企図とも拝察の会場を変えながら4日間で3回の老匠の短期集中でのオケ物の初日へ参戦。無料パンフの演目紹介での初心者には中心曲以外は一様にレア物との単純至極な印象以外には曲名ではおよそ想像不能な十重二十重に張り巡らされた重層の掛け言葉的な作品間の関係性がコンチェルタートの多重唱を連想の練り上げの選曲に感嘆しつつも3作目を除けば作曲年代順での当夜の通奏低音に似た"英国ゆかり"とも拝察の4作の起承転結的な構成の1曲目は9曲組からの勝手な印象ながら当夜のイタリア交響曲の雰囲気と主題断片を含有の2曲割愛に加えて冒頭からは移動困難な序曲と対置のブリテンの引用が有名な第2曲を終曲化を前提での中間5曲の外形的には典雅と快速が交代の変化を演出の2組の後に最終曲への繋ぎ的な最短曲を配置の真意は浅学の身には勿論に推量不能ながら「ポッペア」の録音も存在とはいえ意外なバロックの弦楽合奏の選曲に室内オケ的な編成とは別次元での過去に実聴のロッシーニ作品で体験の浮游感が横溢の当代随一の優美洒脱な運びにヘンデル作品での拝聴願望も派生の当夜の楽員には腕慣らしと聴衆には耳慣らしの教育的効果を考慮の選択とも思いながら傾聴の後の2曲目はロッシーニのパリ入城時には同地で盤石の地歩との同胞先達の交響曲は冒頭楽章のやや長尺ながら当時のイタオペの序曲らしい簡素な展開の構成美や舞曲楽章の中間部での小粋な旋律に南欧風味を感じつつも本作自体は全体では門外漢には同時代のベートーヴェンの殊に本作に先立つ10年前の英雄交響曲までの3作を濃厚に連想の色彩と旋律に溢れながらも"脱独入仏"とも言える老匠らしい音色と音響がごく自然に異曲らしくも感受の本作の特色とも言える両面性の一方への見事な照射に驚嘆。後半も一段と拡大の一対の組曲と交響曲での構成となって「トゥーランドット」への第2の大詰補作の記憶に起因の苦手意識の先入観で臨んだ前半の11曲組では指揮者が教育責任者を務める毎夏開催の夏期講習会での師弟関係と推測のメゾ歌手は最上階の最奥部ではやや聴取難儀ながらも短曲とはいえ一部にベルカント唱法には不適な方言を含めた実に8種の言語との東洋人には難曲であろう殊に各曲の詩情世界の織り出しに傾注とも拝察の一節一節を丁寧に表現の健闘の後の最終曲は漸くに耳タコの泰西名曲で緊張の弛緩と思いきやこれまでの「嵐の音楽」や「テル」序曲での自然描写のオケ曲の実聴から当然に期待値をもはや凌駕の米寿途上の老匠と彼に心酔とも聞く呼応の楽員が現出の望外の軽やかで瑞々しい推進力が通底の各々に独立の一幅とも拝聴の4幅の名画を堪能の30分間の後にはおそらくは当世の国内オケでは稀有例とも推測のアンコールとして繰り出された再奏の直前の最終楽章はさらに脂が乗った文字どおりの熱演に場内は興奮の坩堝への沸騰。当然に演奏慣れの次夜への期待はなお倍加の毒蜘蛛からの刺傷も斯くやとの心身の熱気を感じながら会場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと手近に階上の「叙々苑 東京オペラシティ53店」へ。

東京国際フォーラム「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012 No.246」 ~ ロシア合唱の多彩な多様性 [クラシック音楽]

lafolle2.jpg5月4日・東京国際フォーラム・ホールC2階正面前方指定席
前日午前に続いて当夜は上層階の最前列での性懲りも無く知人からの再度の頂戴券を利用の半ば観光気分で2回上演の後半日での無伴奏の混成合唱団のソワレへ参戦(画像は前売開始後の周辺行事概要を加味の中押しチラシ)。前年の関係者の施設と演奏家を直撃の被災禍への二正面作戦を見事に克服の記憶も脳裏に浮上と同時に今回はロシアをテーマに選択との歴史の皮肉も感じながら350人程度を収容の着席階では3割程度の客入りでの当日配布の演目表に拠れば創立から500年超と言う当夜の合唱団との国家体制を越えて40年に及ぶ手兵化の高齢指揮者が統率の布陣は男女が交互に3列で整列の総勢50余人による1時間公演の前半は社会主義時代の作曲家2人の劇音楽的な作品が並べられて透明感に優れた音色の下での中世の響きを彷彿の通奏低音、野太い一定幅で響く長音のオペラ歌手にも共通の独特な発声と唱法が独自の文化圏としてのロシア合唱の特異性を再認識しつつ一転の後半の民謡3曲ではバス歌手が語り部の殊に強弱で変化を強調の4節と思しき盗賊譚、テノール歌手が通奏低音の上を歌い進める望郷譚、アルト歌手とバリトン歌手がオペラ流に女声独唱から男声独唱を経て二重唱へと展開の滑稽譚に往事の赤軍合唱団を彷彿の独唱部分が専門職化のバレエにも通じる社会主義国的な演奏伝統も感じつつ舞台作品に昇華の錬成の延長線としてアンコールはメゾの装飾歌唱の名人芸に続いて掉尾らしい隻手程の年長歌手の交代独唱を組み込んだ威勢合唱がプレストで終われば当然に場内は大歓声で呼応。門外漢ながら芸術と俗謡、描写と心情、緊張と解放、重厚と装飾、沈静と快活との聖歌隊に淵源と想像の国土と同様に多面性に溢れた奥深い合唱世界の堪能に加えて期間中は会場と演目も種々に取り合わせの1日3回出演との八面六臂の活躍で貢献の合唱団を慰労しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、熱狂祭の景気付けに展示ホールでの一応は帝国ホテルの看板を掲揚の「カフェ リュス」で。

読売新聞社+三菱地所「チャイコフスキーとロシア音楽展」 ~ 展示会を補う非公開の演奏会 [クラシック音楽]

tchaiko.jpg5月3日・丸ビルホール
午前の頂戴券のみの予定が知人からの演奏会紹介と合流連絡に従って正午から夕刻へと結果的にはロシア音楽のトリプルヘッダーに拡大の「ラ・フォル・デー」の最終戦として「『エリアコンサート』とは真っ向相違の開催情報が一切に未開示」との憤懣の知人に同意の丸の内での6会場に分散の入場無料の展示企画で「チャイコフスキー」を割当の中心会場で開催の1日3回制での30分演奏会の当日の最終回へ参戦。展示品の拝見後に演奏場所で待機との目論見から開演1時間前の入場ながら前回での現地機関の協力によるブラームスの居室再現に匹敵の見所作りや外交官夫人の邦人女性を介した邦楽との接点などとの話題性も無いままに延々と並ぶ概ねは説明パネルと印刷楽譜の連続にはバレエ重視の内容もあって退屈感も抱きつつ最奥部に鎮座の貴重資料も前回の警備員が護衛の直筆楽譜に対して今回は係員の監視に格下げの自筆書簡2点に留まる一方でチラシ類には全く無掲載の出口付近での間口3メートル、奥行6メートル程の見せ物小屋を連想の黒塗りの壁面に囲まれた長屋的な場所に想定外の既に立ち見の一群を確認後は一旦は疲労回復のために階下へ休憩退却の選択。開演5分前に再入場後は一目散に会場へ直行ながら既に狭隘な空間は江戸時代の見せ物小屋も連想のピアノを目視不能の黒山の人だかりで演奏時間への持久力維持対策に運良く最後部での壁面に肩まで寄り掛かった姿勢で開演を鶴首ながら既に午前の開戦から7時間近くを経過の体力消耗は顕著となって演奏前での奏者による簡潔な曲目説明が付された肝腎のチャイコ歌曲は3曲との記憶に続いて2曲のピアノ曲はやや意識の茫漠の中で前者は総じて露語物の半ば専門家とも拝察の経歴を証左の成熟声での連作歌曲からの変化を意識の抜粋曲を良い意味での手堅い佳演、後者は近い将来に留学確定と言う若手らしい無限の方向性を握り締めた今後に期待の出来映えの後にはアンコール的に本日の6時間強の熱狂生活への褒美にも等しい唯一のオペラ音楽としてタチアーナの有名アリアの用意に俄然に疲労感も消滅の現金な脳細胞を再認識しつつ国産短尺型ピアノのやや輪郭のぼやけた柔和な音質ながら伴奏の雨天模様に効能と言える除湿機能が付加の彫りの深い抒情表現よりは会場の雰囲気を顧慮の緩急や強弱でのやや大袈裟に言えばサロン音楽にも近い粒立ちの良い楷書的な音楽に支えられて割愛を含みながらも筋書での本作の位置付けを熟知と拝察の確信的な表現方針に基づく威勢の良い滑走的開始から一途が故に千々に乱れる乙女の恋心を連作物のように各部分を単体的に繋いで本曲の特質を的確に再現。「終わり良ければ全て良し」を実感の勿論に期待の余地は皆無ながらロシア・オペラを捨象の本体企画を代替の同分野の代表曲での"困憊の一日"のペラゴロ的な結末感に感慨も一入に会場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと喫茶となって手近に階下の「珈琲茶房 椿屋 丸ビル店」で。

三菱地所「エリアコンサート」 ~ 内向と外向の音楽対比 [クラシック音楽]

lafollearea.jpg5月3日・東京ビルTOKIA・ガレリア正面自由席
旧都心での演奏会に続いて結果的には予定外の午前・正午・午後の3回戦での「ラ・フォル・デー」の中間回として主会場から馬場先通りを挟んだ隣接区域の地主企業が自社ビル群の店子店舗のための販促を兼ねた期間中に大小の11会場で都合120回に及ぶ無料制の連携企画の一環での街角公演形式の演奏会へ参戦。降雨を避けて地下道を抜けて喧噪の昼食時の音楽祭会場からは一変の休日のオフィス街らしい空疎な雰囲気の会場ビルに何とか開演5分前に到着するとエレベーター設備で間仕切られた動線からは全く死角の会場への誘導は矢印看板も見当たらずにスーツ姿の係員と現地ビルの警備員が各1人との態勢でやや困惑の後に運良く10席が3列に配置の若干の演目表が座席に置かれたままのパイプ椅子から自席を確保できて暫時の待機。当日の構成は30分でラフマニノフの歌曲4曲、戦後ソ連と現代ロシアの作曲家の連弾3曲を組み合わせた女流伴奏者が全曲出演と説明役を兼務の同窓の若手歌手と夫君と言う学究肌とも拝察の若手奏者を従えた主宰者と理解の目当ての前半は起承転結とも言える選曲と拝聴して最長の3曲目は至近距離ながら低音域で声量が縮減の個性にも適合の旋律線の自然な抑揚感と何かしらの感情表現を志向の歌いぶりに指導の伴奏者が真っ先に選曲との説明に納得の出来映えに続いて内面表現から外面威勢に一転の後半の連弾は既に演奏活動を開始と言う婦唱夫随での演奏は男手が背後に回って女手の両外で演奏継続の妙技に代表の徹底した早業を前面での当会の趣旨に適合の作品が並べられた鴛鴦演奏が披露の極め付けのアンコールでの「剣の舞」はおそらくは連弾活動の十八番的な演目として主部の回帰でのスケールアップ感と末尾での畳み掛けに手慣れ感も放出して終演時には座席数と同数程度に参集の立ち見客も含めた聴衆からは拍手喝采。終演後は当日に急遽に決定の別会場での知人との待ち合わせまでの暇つぶしとして同じ財閥企業が全国紙と共同主催でのテーマ作曲家の集団化に変化の前年に初登場で衝撃の飲食店階の通路も利用のパネル展示巡りに疲労困憊を反省の今回は「チャイコフスキーとロシア音楽展」とのスタンプラリーには参加断念ながら幸いにも本ビルの階上で今次熱狂祭の発売前チラシの表紙に登場の作曲家6人の中でイタオペ派には親近感の19世紀組と言える「グリンカと『ロシア五人組』」「チャイコフスキー」との展示区分のうちで企画者の嗜好を反映の結果なのか前者は音楽史で通用の八百屋の籠売り的な扱いでのチラシの顔出しも省略扱いで集約の勿論に1人3枚程度のパネルのみの「音楽の民主化」を希求の音楽祭に協賛の無料行事らしい子供騙し的な簡便な展示板を駆け足気味に拝見の後に曇天の外界に出れば眼前の玉葱型の丸屋根と赤煉瓦が思いがけずも帝政ロシア時代の建造物を彷彿の修復間近い東京駅舎の南端が眼前に映じて本年のテーマ国に迷い込んだ一瞬の錯覚にも興じつつ夕刻からの展示会場でのサロン演奏会に向けて政商町内の拠点ビルを目指して会場を後にしました。
アフターシアターは、販促に微力協力の遅いランチを次の入場に備えて移動先ビル内の「一夜一夜」で。
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