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東京藝術大学演奏藝術センターほか「ジャポニスム~外から見たニッポン」 ~ 意気消沈のサヴォイ・オペラ [国内公演団体]

bakumatsu1.jpg10月13日・奏楽堂・正面後方自由席
週末の暇つぶしとして月間での"東京大英国祭"との複層的に勝手に設定の3日前のサロン風演奏会と講演会を仕立てた資料展示会を初回に見立ての3回での「ジャポニスム旬間」の後半2回の初日は本邦唯一の国立芸術大学が音楽系を主体としつつも全学的行事として本年が2回目の春季と秋季で各2回での前年の太平の元禄時代から2世紀後の"上喜撰"に代表の動乱期に着目の「幕末~その時、世界は」との年間企画の第3回へ昨年と同様に2割5分引の2回券を利用の参戦。目測で約100人の聴衆を前に前半の講演の部は1時間の「パリ万博とエグゾティスム」との演題の下で本邦では安政期から日清戦争後まで、現地では第二帝政初頭期から第二共和政中葉期までのほぼ11年周期と言う19世紀の初回からの5回のパリ万博の変遷をB4判両面刷二ツ折の簡明かつ一覧的な配付資料に基づく多数の図版を投影の音楽分野の視点から平明な概説の講師を案内役に半世紀弱の毎回の都度に"花の都"へ時空移動の本企画の目論見どおりとも思える錯覚感も抱きつつ解説の主軸は"芸術の都"らしく英都の産業分野に加えて当初より芸術分野も確立の2回目からの「音楽展示」との概念から生演奏付き食堂や喫茶店、同時開催の音楽祭や海外から参加の種々の音楽団、果ては4回目には帝国主義的趣向の植民地の「住民展示」と関連の現地音楽や音楽劇の上演との音楽面に絡みながらも同様に将軍異母弟が代表で公式参加との2回目から御一新後の経費不足から楽師不在の楽器と楽譜のみ展示の3回目を経て太平洋時代の幕開け前夜の5回目にはオペラでのジャポニスムの頂点とも言える「蝶々」に直接関連の川上一座の民間参加に至る日本熱の進展を概観。舞台転換を兼ねた20分間の休憩を経た後半の音楽の部は空間対策の金屏風を舞台奥に配した75分間の「オペラ、オペレッタの中のニッポン」との表題の下で3作が選択されて冒頭曲には名刺代わり的な有名曲として前世紀初頭の「蝶々」の有名アリアは2年前の同会場でのペリ役以来の再聴の留学準備中と言う主催大の卒業生は当然に起伏の平板な表現ながら民間財団研修生に採用が証左の余裕感の声量で今後の研鑽に大いに期待、後続曲は対照的に前曲から30年前の珍品とも言える日本を題材の草創期作品と言うサン=サーンスのオペラ上演処女作の一幕物から中近東風にも聴こえる前奏に続く作曲家本人も認識との中国風の軽快な主部で構成の主役の登場独唱に由来の序曲と並べて敢えて選択と思しき高声男声が先導の趣向での邦語歌詞の4人での女声合唱の一節の2曲はむしろ古くはインド、近くはシナに包含の白色人種の極東認識に合致の「トゥーランドット」の先駆とも受容の後にはいよいよ真打として当日の目当ての1時間での「ミカド」抜粋はピアノ伴奏での通し番号のみでは全24曲から半数程度を選択の筋書展開の補足対策に外題役ながら後半幕の中盤から賑々しく登場の元来の配曲も少数の父帝には語り役での俳優起用と独唱陣にも若干の台詞を割当の対応措置の一方で「序曲」との表示ながら僅かに初聴きの邦人によっては異様感も先行と思える本作唯一の日本旋律の導入部のみが演奏の結果として本作の名旋律を接続曲風に繰り出しの後続部の省略、15分の所要時間が上演時間への大きな制約とは理解しつつも幕間前の頂点を形成のオペラという舞台作品の劇作上の醍醐味と共に風刺物に共通的なオペラという音楽分野の劇的な緊張感を殊更に際立たせて大詰感自体を揶揄の滑稽感との二重の演奏効果を形成の終曲の全面割愛など本作の音楽的魅力の再現よりも粗筋追跡を重視の構成にむしろ本企画の趣旨に適合と理解しつつも喜劇には舞台経験が肝要の要諦は重々に承知ながら無料パンフに依れば学部生を主軸に各声域で3人程の合唱陣を前に独唱陣では稽古時間の制約の故なのか総じて子音が不明瞭な英語歌唱と同種分野では生命線とも言える溌剌さが欠乏の弾けない生真面目な研究発表然の進行に想定外の倦怠感ながら本作の第1ブッフォとも言うべき死刑執行相役に最も注視しつつオケ伴奏よりはピアノ音楽を重視の明快ながら同様に軽快には未到の情感が稀薄な伴奏が相俟って浮き立つような最終曲も高揚感は全く欠如のままに終演。不発の大詰を脳内補正で反芻しつつ音楽に軸足ながら共に大学を構成の美術学部との連携、音楽学部内での邦楽と洋楽の両部門の単独または協同での演奏機会の企画継続への期待と次年の設定年代への興味を抱きながら黄昏時を最寄駅まで向かえば右手に新装の美術館の煌々の照明、噴水の両側に対峙的に新築の喫茶店と軽食店の出現に恩賜公園にアメリカニズムまたはフリーメイソニズムを認容の衝撃を受けつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、今楽季初の「厳選洋食 さくらい」で。

9月の予定 ~ 新シーズン!スカラ月間! [国内公演団体]

9月は前半に4年ぶりのスカラ劇場の来日引越公演、後半は昨年に続くゼッダ翁のオケ物と大きく二分されました。また、全曲公演が前半に集中し、その中から5作8回を予定できたため、ペラゴロにはうれしい悲鳴月ともなります。まず、スカラ劇場は今回は2演目と特別演奏会のみですが、2週間の公演期間の後は10日間にわたり、都市ごとに主催者を変えながら東京と大阪で演奏会形式での別の1演目と"ヴェルディガラ"を、さらに名古屋で合唱主体の特別演奏会を上演のようです。ヴェルディ記念年らしい三都巡行となります。後半は、民間新聞社から「アイーダ」決戦を挑まれた公共放送局の高額公開収録には目もくれず、ゼッダ翁の一連の東フィル定期に通います。今年は新たに名曲企画が追加となり、米寿に迫る指揮者の無事の来日を祈るばかりです。さらに、スカラ劇場に同行の"歌姫"のリサイタルは残念ながら本人意向で"予告倒れ"となりましたが、藤原歌劇団が招聘の"女王"は上旬の「椿姫」から下旬のリサイタルへと、当月の陰の主役のような日程となっています。幻となったヴェローナ劇場の皆さんは別にしても、スカラ劇場の皆さん、ゼッダ翁、デヴィーア女史が同時期に滞日しながら各々に音楽活動を繰り広げますが、どこか複雑な心境を抱きつつ1カ月を楽しみます。予定は9月3日現在。(画像は想定の範囲内とはいえ唐突に宣伝されて忽然と中止に至った主催新聞社らしく会場を野球場に移した劇場開設100周年も兼ねた野外劇場の来日引越公演のチラシ)
verona.jpg 3日「ポッペアの戴冠」アントネッロ
   短縮版も受容の古楽楽団で本格伴奏のモンテヴェルディ第一弾
 5日「椿姫」藤原歌劇団
   本邦4度目のヴィオレッタに主催団体への声援含みの初台登城
 6日「ファルスタッフ」スカラ劇場
   初役と言うクイックリーに最関心との酔狂な目的での初回目
 8日「椿姫」藤原歌劇団
   ドニゼッティ物を熱望しつつも集客優先の選曲は承知の再登城
11日「リゴレット」スカラ劇場
   老練外題役の予定通りの出演を期待しつつ最終機会も想定内
12日「ファルスタッフ」スカラ劇場
   性懲りも無く無謀の平日マチネにも触手の高密度重唱に期待
14日「ファルスタッフ」スカラ劇場
   物好きとは自覚しつつも"ファルマニア"を自嘲の馴染み参戦
15日「ワルキューレ」神奈川県民ホール
   記念年で本邦最大規模の公演の楽日組へ残暑下の多摩川渡河
16日「第57回 午後のコンサート」東京フィルハーモニー交響楽団
   序曲でも十八番を並べられたら矢も楯もたまらずに入門企画へ
 〃 「ワルキューレ 第1幕[演奏会形式]」日本ワーグナー協会
   市民オケの故の名匠への私淑の熱演と名古屋に続く女声に関心
18日「通し狂言 伊賀越道中双六 第一部」国立劇場
   竹本義太夫300回忌との古典芸能界での記念年に追善参戦
 〃 「通し狂言 伊賀越道中双六 第二部」国立劇場
   通し興行を文字通りに昼夜通しで通う体力の通用力を神頼み
19日「第81回 東京オペラシティ定期シリーズ」東京フィルハーモニー交響楽団
   前年に続く老匠の2幅に今年はコンマス親子との3世代共演も   
20日「第837回 サントリー定期シリーズ」東京フィルハーモニー交響楽団
   前夜と同曲ながらも水彩紙を換えた名手の筆致は微妙に変化か
22日「第838回 オーチャード定期演奏会」東京フィルハーモニー交響楽団
   "音の風景画家"の写生旅行は長靴半島から英国本島に北上へ
25日「マリエッラ・デヴィーア ソプラノ・リサイタル」東京プロムジカ
   劇場三昧の当月は漸くベルカントの名歌手の模範歌唱で耳納め

二期会「パルジファル」 ~ オペラ版の「地獄に墜ちた勇者ども」 [国内公演団体]

parsifal.jpg9月15日・東京文化会館・4階下手C席
3連休とその前夜の「もろもろ4連戦」の2日目として半月前の廃校を舞台芸術活動の拠点施設に再利用の旧体育館での稽古見学の記憶も鮮明に残存の中を毎度の俄ワグネリアンへの変身気分も抱きつつ楽日予定を急遽に変更の若手組の初日へ参戦。寡聞にも伴奏オケの10年前の自団創立40周年記念との独人常任指揮者と海外から有名歌手を招聘の豪華な演奏会形式で初実聴以来の大作に緊張感も湧出の当日を振り返れば筋書上での正邪の二項対立から両者の融合との弁証法的解決の亜種とも愚考の当世風な幕切れに転化の枠組みに加味の今日的な観点での正義の邪悪への変容との逆転的な結末の二重の意味での展開の無理筋的な飛躍に頼らずに最終場では兄弟奏法の隠棲生活を暗示の和解の家族劇と大衆社会での権力争奪の政治劇に加えて新権力からの亡命者や難民も描写の社会劇も含めれば三重の主役級の人生に収斂の過程が重層的に前世紀の激動の20年に渡るドイツ史に織り込まれて盆舞台が長尺の前奏曲から粛々と回転進行の読替演出の妙味と言える演出家の着想と設定の才覚を目を凝らして堪能。7作前の外題役の養息劇との無垢の救済者待望や邪教の敵対者征伐の共通点はもはや忘却の彼方に雲散の楽劇王の最終作に相応しい繊細と豪壮、静謐と咆吼、叙事と抒情が組み合わされた時にうねりやあえぎを連想の楽想も混入の劇的な音楽の起伏に合致の同じ盆舞台でも前年の「コジ」のように筋書の深堀りで鋭角化の劇的進行とは相違の全くの新たな物語の創造と共に大河のような時間の悠揚な流転への入念な回顧とも思える伴奏での重厚な歴史劇とも言える威厳感すら放出の舞台の到底に不可能な再見願望を抱きつつ上野の杜に鎮まるオペラの殿堂を後にしました。
  「妖しげに回り燈籠時戻す」 昭成
アフターシアターは、新宿に向かって「車屋 別館」で。

藤原歌劇団「夢遊病の女」(2回目) ~ ベルカントの新星の再登板 [国内公演団体]

sonnambula2.jpg9月9日・新国立劇場・4階正面E席
前日の「終わり良ければ全て良し」で無理矢理に納得のやや散漫の初日に続いて名残り惜しくも今回の本番とも言うべき楽日へ参戦。同じ主催団体の一昨年の「タンクレディ」での東京初見参に続く銀座での職業婦人層を標的の名曲選企画でも準常連のロッシーニ物では邦人最右翼とも言うべき御曹司役は登場歌から山村の設定とは到底に思えない作曲家一流の優美洗練の旋律線もあって聴き応えも見応えも前日出番ながら居城からの出奔後の日常を思わずに妄想の庶民的な跡取り役よりも時代物風の貴族的なもはや先代領主の隠し子としか思えない風情に当日の主役然の存在感を放出して主役ペアの二重唱では跳躍の音程も丁寧かつ慎重に陰影にはやや稀薄ながら主役級での全曲初実聴は堂々の舞台作法で安定の好感の上に2日目での独唱陣の交代と団体陣の演奏慣れが主因のコンチェルタートの緊張感と構造感の生成に続くストレッタでの切迫感と高揚感に溜飲が下がった後も後半幕でも同様な傾向が継続。難役に適性の時節内に内外ともに乏少な演奏機会の現実は直視ながらも一段の歌唱工夫と表現深化での再聴願望を強く抱きつつ3週間後に新楽季が開幕の劇場を後にしました。
  「秋澄むや森の水車の飛沫聞く」 昭成
アフターシアターは、会場で会った知人の渡伊壮行会を手軽に「グリル満点星 麻布十番 新宿店」で。

藤原歌劇団「夢遊病の女」(1回目) ~ "たっぷり"のベッリーニ節は何処へ [国内公演団体]

sonnambula1.jpg9月8日・新国立劇場・4階正面E席
今楽季の初オペラとして篤志家公演が事実上の終焉の情勢下で国内でのベルカント上演の孤塁を護持の歌手団体による名作の初日へ参戦。当日は放送用収録のカメラも設置の賑々しい中で15分間の事前解説に臨めば粗筋紹介の他は主催団体と蜜月の音大オペラで馴染みの前世紀末に製作の装置は今回限りで廃棄との告知に10年前の主催劇場史に残る同じ貧民席で遭遇の「セビリャ」での伯爵役交代劇の余波の終演遅延にダブルヘッダーで予定の中劇場での同演出上演にはペラゴロ生活で初の遅参入場での前半幕の立ち見拝見との事件的経験の記憶も浮上のほろ苦い感慨を抱きながらも私語や前傾姿勢の新参者に苦慮しつつ泰西名作とも言える田園劇へのやや敬遠気味な来し方を自省しながら今回は大舞台に拡張の漸くに3度目の実聴機会に外題役は登場歌では低速にも影響の亡霊のようにも拝聴ながら前年のロジーナと同様に休憩後からが本領発揮の振り返れば本作最大の見せ場の大詰に全てを投入とも思える"20分間の奇跡"を現出の積年の実績を証左の大喝采を招来の貫禄の歌唱、対する相手役は登場歌では許嫁役と共に長い旋律線を保て無いままに豊富な舞台経験を反映の存在感は伝播ながら時折には聴く側に不安心を惹起の緊迫感に心的負担とは言え終曲アリアの比重を除けば主役にも等しい位置付けに何時にも増したようにも感受の発声位置を高めに設定の配役への準備万端とも拝察の歌唱、続いて近年では概してイタオペでは非ベルカント的な音楽に特色の会場劇場の主催公演に常連の伯爵役は属七音での最敬礼の姿勢は聴衆への背中で表情まで体現の滑稽さが個性を表出の演技と共に平素とは一線を画した作曲家の優美な旋律線を強調の伸びやかな歌唱は当日のオペラとしての価値向上に貢献の役割と拝聴ながら残念にも登場歌のカバレッタの繰り返しは省略の一方で唯一の独唱曲の装飾歌唱が生命の女将役はシャーベト・アリア的な位置での見せ場で御贔屓連からの拍手がやや贔屓の引き倒しにも聞こえる健闘の歌唱、伴奏は主役ペアの二重唱は低速での雰囲気醸成の企図が不発の上に第1幕の終曲ではベルカントの愉悦には未到の各区分内での作曲家の魅力の息の長い旋律線とそれを越えた劇的展開を積み上げの有機的な連続性に欠乏の翌日公演での演奏慣れを期待の出来映え。演出は個人と群衆とを問わずに棒立ちと滑稽所作との落差が大きいものの常套的ながら"忘れられたアルシオの希望"とも言える敢えて脇役に視点の幸福感を醸成の幕切れで総括と拝察。本作が含有のシューベルトと通底とも愚考の耽美の深奥を覗き込むような神秘の領域への踏み込みは勿論に望外とは承知の上で大団円の歓喜を拝見しつつ1回限りの宿命を背負って登壇の独唱陣を慰労しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと目的店への入店が適わずに不承不承に「ガンジス」で。

セレンディピティ・オペラ「プリターニ」[抜粋]~ 若手公演での"三度目の正直" [国内公演団体]

fukagawapuritani.jpg8月12日・深川江戸資料館小劇場・正面後方自由席
山の手の映画館に引き続いて昨秋の二重三重の悲劇が直撃の悲運の来日上演が若手の挑戦心を鼓舞の故か以降は既に抜粋を含めて1年間で3回目と思しき公営施設での簡易ながら装置と衣装を準備のピアノ伴奏・合唱抜きでの"簡素舞台公演"とも言える仕立てでの今回が初の全曲主催との主宰者自身が執筆と言う無料パンフによれば独唱陣が全員ともに初役ながら暗譜での難曲上演の声援に今楽季のオペラ公演の締め括りも兼ねて隅田川を渡河の講釈師が案内役の定期観光バスの順路で入館経験の区立博物館内の小劇場へ参戦。祭半纏の町衆も来店の最寄駅近くの喫茶店での避暑を兼ねた休憩を経て富岡八幡宮の祭礼神輿の町内巡行への水掛けの名残が一抹の涼気を醸成の残暑も幾分は和らいだ夕刻の開演までの暇つぶしとして「広重の旅と名所絵」との企画展の駆け足拝見では勝手に期待の浮世絵よりは小区画での実録の旅日記を主題のパネル展示が中心のやや拍子抜け感に早々の退散での入場後は3割程度と思しき聴衆と共に偏愛作にやや前傾姿勢で臨めば番号オペラらしく前半は序曲に続いて大胆にも開幕合唱内の無伴奏四重唱から開始での8曲、後半は2幕通しの6曲との構成での衣装は男声は白色シャツに黒色ズボンとの当月らしい出で立ちに洋剣程度の小道具で進行の当夜は本作の宿命として伯爵役への関心に傾斜のイタオペ屈指の歌手殺し曲とも言える緊張の登場歌では手探り感が前面の素っ気ない歌い回しながら展開が本格化の王妃との重唱曲からは高音出しへの溜めが自然な本領発揮が後半にも継続の最終幕の独唱ではレチタティーヴォは淡泊ながら得意の高音は勿論に伸びやかな歌声を披露、花嫁役は重点練習と推測の狂乱歌では自身の見せ場として合いの手の男声組への見せ場の次曲でのオペラ的な感情表出を促進の好影響と思しき突如の悲劇に衝撃の境遇が伝播の横臥、繰り返し、装飾との技術的な側面も含めて渾身の歌唱を示して日曜歌手を超越の技量を披露、舞台経験の豊富な叔父役は所属集団のドイツ物に傾斜の伝統由来の特性と思えるイタオペ楽曲での波状歌唱にやや稀薄な歌い回しながらも当夜の中軸歌手として殊に重唱での相手を包み込むような役柄にも適合の当夜の大黒柱的な存在感を一貫して堅持。個人公演らしき本邦で稀有と思しき上演形態に驚嘆しつつ次回演目に期待しながら劇場を後にしました。
  「信心の神輿の町や涼新た」 昭成
アフターシアターは、山手線駅まで向かって「ブラッスリー・ヴィロン 丸の内店」で。

南條年章オペラ研究室「ピラータ」[演奏会形式] ~ 本邦創唱の若手らの熱演 [国内公演団体]

pirata.jpg7月29日・津田ホール・正面後方自由席
前年と同一行程の「発表会デー」の後半として古今東西で前代未聞と推測の演奏会形式・ピアノ伴奏ながら一声楽教室が毎年1作上演でのベッリーニの全作を10年計画で挑戦との前回の泰西名曲的なセミセリアから一転の「本邦初演」と言う出世作のセリアを選曲の本企画の2回目に主催教室の本拠地劇場へ参戦。開演時刻には余裕の会場入口では在庫放出とも思える声楽発表会には場違いな今秋のオケ物公演のチラシ束を受け取って門弟係員の手慣れた対応で入場後は暫時の待機を経て序曲を割愛での劈頭は不足の男声を若干に補強の総勢約30人の発声に定評の門下生による「ナブッコ」が継受とも思える劇的表現に優れた開幕合唱で幸先良く開演の当夜は近時では本教室のソプラノ三枚看板とも言える侯爵妃役はやや生硬ながらも難役を邦人離れの構えの大きな歌唱と指導者の薫陶を反映の技巧が併存の殊に後半幕ではほぼ歌い通しの敢闘での注目の狂乱歌は前段の切々の慈愛よりは後段の堂々の激情が際立った恰幅に優れた熱唱、その相手役の伯爵役は発声と技量の両面で研鑽の成果に由来とも思える余裕からの表情付けにも飛躍の一座のプリモとしての存在感が向上、その敵役の侯爵役はやや感情の表出に慎み深い個性ながら登場歌のカバレッタでは城主らしい既に馴染みの黒い声質での凄みが増大の威風堂々の歌い振り、期待の前半幕の同趣曲では比較的快速の終曲では合唱陣の奮闘での最終音は宗教曲を彷彿の終結に声楽美の一典型を形成の五重唱の後は主役陣への負担と本企画の性格の反映とは思いながらもストレッタ好きにはベルカントの愉悦にやや欠乏の序曲にも登場の躍動旋律で侯爵妃の苦悩を浮上の長短の音楽が交錯の大詰感に満ちた繰り返しの割愛措置に重唱部との不均衡を感じつつも脳内補正の自助努力で対応。今回は脇役の男声高低2人の力量向上の行方に企画完遂までの関心を寄せつつも侍女役の端役ながら歌唱は勿論にスズキを連想の登壇中は常時に悲劇の主人親子を気遣う表情と所作にやや大袈裟ながら見立て文化で陶冶の想像力に特性の同胞には演奏会形式でも本格公演と同等的な舞台性を醸成の効能を再認識しつつ翌年には当夜作の次作のレア物との第3弾に大いに期待を抱きながら劇場を後にしました。
  「航跡の一筋光る夏の潮」 昭成
アフターシアターは、劇場で会った知人らと手近に「猪八戒 千駄ヶ谷店」で。

荒川区民オペラ「マクベス」 ~ 予想どおりの「荒川区のマクベス夫人」 [国内公演団体]

arakawamac.jpg7月28日・サンパール荒川・正面後方B席
猛暑の中を地下鉄と都電を乗り継いで後年に増補改訂とは言え「バレエ付きの完全上演」との謳い文句に加えて地元区が支援の市民オケも共催の低廉に誘われて遅蒔きながら初訪の区立劇場での14回目にして初の区民オペラの初日組へ参戦。主人公の史実略歴と原作終焉地も簡略ながら紹介の独立団体らしい作品への愛情も醸成の地域オペラの御多分に漏れずに巻末には地元企業などの名刺広告で賑わう手作り感に溢れた無料パンフによれば震災での延期措置から1年を経て無事の挙行に同慶しつつ向かい側に立地の仏教系新宗教施設の駐車場での盆踊り大会の「東京音頭」に迎えられながら会場に到着すれば幸先良くも区税支出の賜物と拝察の廉価貸出の公益便宜にも貢献の主催団体が所有との舶来のアイーダ・トランペット6本組の虫干しを兼ねたロビーでの奏者の一人が作曲と言う「世界初演」との触れ込みの不揃いと思しき日曜音楽家らしい演奏の歓びに満ちた心情が伝播のファンファーレを拝聴して入場。平土間のみ1千人超収容の座席は8割程度の客入りの様子で器楽陣では主催オケはコントラバスが板上に数十センチが突出のピットに陣取って練習量が豊富な大学オケよりも列位ながらバンダも用意の本格仕様に各幕の後で一様にトイレ休憩程度の幕間の2回目には屋外で偶然にも爆発音のみで実感の同時開催での大川端の花火大会に呼応のように腹部に響く大太鼓に象徴の2年ぶりのオペラ公演に奮起の一心不乱の手工芸感が微笑ましくも第1幕のロッシーニ流儀での大好物の大詰は無伴奏から作曲家一流の伸びやかな旋律の繰り返しの励行によって幕切れでは相応の高揚感を形成の上に合唱陣では殊に男声は練習に参加困難な壮年層が欠落の音大生を含めた青年隊と老年隊の2部隊で構成の殊に女声の魔女組は充分に蔭の主役の任務を達成の成果に加えて舞踊陣は区民オペラの特性を発揮の地元バレエ教室が担当の完全全曲公演を標榜の目玉場面では1ダース分の踊り子が振付の問題として中間部の抒情感を醸成の弱音部では音楽を妨害の足音には閉口ながらも10分間をほぼ常動での敢闘の他に5分間弱での声楽組と舞踊組の2隊合同の魔女軍団は門外漢ながらモダンバレエ的な所作も含んだ見応えに想定外の相応の堪能。声楽陣では夫人役はスピントながら達者なアジリタを披露の一方で事情推量での贅沢な期待とは言え登場歌ではカバレッタの繰り返しを割愛ながら手本と聞く名歌手を念頭の故か大袈裟に言えば作曲家の「語れ」との意向に反旗とも聴こえる豊穣な発声と丁寧な歌い回しと熟慮の表現の三位一体での楽譜研究に根ざした錬成の歌唱に刮目の喉が温まった第2幕以降は尻上がりに清澄な歌声が場内に充満の末での臨終直前の聴かせ所では伴奏の控え目配慮もあって聴覚を独唱に集中の残念ながら合いの手の医師役には奮起を期待ながらも当夜の白眉場面を形成、その夫役は総じて音楽の有無を問わずに語り芸の共通項として若手らしい生硬な表現の振幅が少ない歌唱に対して前半3幕での何れも濃密な劇的会話の夫婦重唱では冒頭幕の逡巡と督励、第2幕の狼狽と鞭撻、第3幕の決然と同調での変化は総じて薄弱ながら先輩格の相手役の胸を借りた婦唱夫随的な役柄の優柔な内面とは対照的に第3幕の大詰や第4幕の見せ場での勇将の外面とを歌い分けて殊に愛妻の独唱に先導の突撃前の有名曲では筋書展開を見事に反映の喜劇ながら「セビリャ」の大アリアに相当とも勝手に理解の改訂版とは言え事実上の大団円に相応しい当夜の関係者の越年上演への情熱を凝集とも感受の愛妻への後追い的な武人の威風と覚悟を良く表出。出奔貴族役は当夜の出演陣では最長の舞台経験が証左の共演陣とはやや異質な様式での冒頭幕大詰での図抜けた歌声、最終幕の見せ場では先祖の墓前でのエドガルドを連想の抒情色が全開の泣き節の歌唱見本のような全力投球の熱唱に続いて「湖上」の出陣場面も彷彿の合唱付テノール二重唱を主導。なお、字幕での各場の設定地の表示に初心者視点での配慮と共に照明を利用の大釜や緑色の布での森林の見立てに低予算での邦人らしい工夫に好感。前夜の世界第2位と第3位の経済大国の国立歌劇場が初めて共闘の外交的行事に対して特別区第20位の人口の区民オペラにこそ断然にイタオペの感興を堪能の同じヴェルディ物とは到底に思えない雲泥の差違に感慨を超えた関係者の奮闘が招来のオペラの魔力を感じながら花火大会を終えた初訪の街へ劇場を後にしました。
  「下町の宙を揺さぶり花火消ゆ」 昭成
アフターシアターは、公演の返礼に同区内の山手線駅へ向かって「又一順」で。

二期会「カヴァレリア・ルスティカーナ」&「パリアッチ」(2回目) ~ 仕立てが贅沢な次世代育成公演 [国内公演団体]

nikikaicavapagli2.jpg7月16日・東京文化会館・5階下手D席
中一日を空けて予備日込みの2回分を準備ながら結局は放出の手間を無精の方針変更での前半作では3カ月前の「オテロ」で注目の告発者役と後半作では2カ月後の「パルジファル」に予定の外題役との端役と主役での相違ながら共に頭角の若手と勿論に世界的に少数と思えるピットとオケ物の両面で世評で好感の中堅指揮者を目当てに本年は5回目の3連休かつ当月の4日上演の二本興行かつ今回も2回公演の若手組の三重の楽日へ参戦。伴奏はヴェリズモの代表作を意識とも思える扇情的な運びも含めて殊に門外漢ながら堅固に構築の展開に聴こえる後半作での劇中劇が舞台の殺人事件の大詰に向けて聴く者を作品の世界へ強制連行の当世風の快速への傾斜を基調に楽譜の読み込みに自身の解釈を反映の手練手管には欧州界の全貌は不案内ながらおそらくは旧西独の歌劇場とオケ物での経験が大いに生かされたイタオペの伝統伴奏とは一線を画した交響楽的な接近による一面では絶対音楽的とも言える伴奏の今世紀前半のピット界で期待の一群の系譜に連なる出来映えと愚考の堪能。短編でも断然に愛好の後半作は外題役は登場口上での棒読み歌唱に若手らしい緊張感を放出の初日を経て時間の経過と歩調の尻上がりの「経験こそ最良の教師」との金言も連想の幾分にはやや大袈裟ながら座長の役柄を反映の風格にも似た一回り大きくも見える熱唱に傾聴の作曲家が私淑のワーグナー物で研鑽の成果とも思える伸びやかで力強い声質に魅力の現在の力量を発揮と思える圧倒感、妻役は国営研修所で5年先輩の"永遠の草食系男子"とも拝察の浮気相手役の胸を借りた高音域を得意の発声は大詰での夫婦喧嘩場面の絶叫にも効果を発揮の迫力感、敵役は口上の後半などで5カ月前のバビロニア王と同様に大器とも拝察の体躯がやや不活性気味な発声の隔靴掻痒感が先行ながら狂言回しの役務を殊更に強調の設定や手法の共に映像時代を意識のネクタイ演出への自然体な対応の舞台慣れの存在感、高声団員役には良質の高音に性格テノールとしての適性を感受の好感。若手の熱演に清々しさも感じながら真夏を挟んで秋彼岸前のワーグナーの大作も脳裏に浮かんでペラゴロ生活では夏眠の準備方も思案しつつ劇場を後にしました。
  「日溜まりに若竹あそぶ背比べ」 昭成
アフターシアターは、手近に通い慣れた「さくらい」で。

二期会「カヴァレリア・ルスティカーナ」&「パリアッチ」(1回目) ~ 威勢の良さは若手公演の醍醐味 [国内公演団体]

nikikaicavapagli1.jpg7月14日・東京文化会館・5階下手D席
今楽季の主要興行の掉尾として6年前の新国立劇場史に刻印と確信の同じ2本立てでの名伴奏も想起しつつ若手組の初日へ参戦。チラシに大きく印字の昨年の「コジ」での長期滞在の放射能禍危惧事由との同胞の不始末に起因の現代史で屈指の非常時での苦渋の選択とは重々に承知ながらも身勝手な聴衆にとっては痛恨の指揮者の来日辞退を放擲の「日本オペラ界 初登場!!」との華々しい売り出し文句に逞しくも一面では震災便乗商法の亜種とも思える主催団体の商魂への感嘆とは別に昨春からの足掛け4年での周年事業で上演の全4作のイタオペ部門では原産国指揮者を招聘の3作では偶然の賜物か老壮青の各世代で名声または注目の個性的な伊人指揮者の統率の下で所属歌手陣の研究発表会的な性格の制約の中でもピットには期待の人選に聴き比べへの関心も抱きつつ今夏初の汗退き対策の余裕入場で場内を見渡せば扇子と団扇の使用が目立つ盛夏の劇場らしい光景の中で暫時の待機。前半作は顛末の前提と舞台裏での出来事を前奏と開幕合唱の間に聴衆に可視化が象徴の終始に当世風な情報公開方式の演出方針に基づく蔭出しの主役青年のシチリアーナが面前で堂々と披露の後には貸切バスを仕立てた出身地からの応援団とも推測の平土間前方の一群からの拍手に場内の蒸し暑さと指揮者の情熱的な音楽が加味の三位一体効果によってやや大袈裟ながらモノラル録音時代のイタリアの劇場に時空移動の感興にも浸りながら三角関係に起因の殺人事件の再現ドラマを注視すれば3カ月前のエミーリア役で注目の失恋娘役は邦人離れの声量で場内を圧倒しつつ本作の中軸を形成の女将への激白、恋人への哀訴、商人への密告での各々の場面では感情表出の歌い回しにはやや薄弱ながら共演の独唱陣への直球勝負の3連投で気持ち良い程の見事な体当たり的な熱唱を披露、間奏曲と家路合唱を挟んだ被害者の若者役は母親への辞世歌での悲痛には欠乏ながら大詰の独唱として息の長い旋律を朗唱、商人役は登場歌での致命的な失策の後は以降の2回の登壇ごとに右肩上がりに復旧ながら輪郭線の茫洋な歌唱に低声敵役の中年男の渋味は雲散霧消のむしろ寝取られ男の愚盲性を実証の効用が前面の実感。惰性で追加を決意の中一日を空けた楽日での若手らしい清々しい健闘を期待しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、マチネを利用の銀座へ繰り出した後に「ブラッスリー・ヴィロン 丸の内店」で。
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