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新日鉄文化財団「中村恵理 ソプラノ・リサイタル」 ~ ドイツ製エンジンを搭載の国産車 [リサイタル]

nakamura.jpg9月14日・紀尾井ホール・2階正面前方A席
春の大型連休に準じた秋の中型連休とも言える3連休の前夜に昨秋に訪日のバイエルン州立歌劇場の一員として凱旋帰国の国営歌劇場の研修所から欧州へ雄飛の若手歌手の国内初と言う独唱会へ参戦。本会場での海外で活躍の邦人女声歌手の帰国公演となれば経歴には大きな相違ながらも本劇場を3年前のリートの披露からは例年開催の国内本拠地化にも等しい楽劇作品で国際的に定評の先達を想起しながら最寄駅から外堀沿いに向かえば上層の客席には研修所同窓生も散見の中で10分遅れで開演のミュンヘンでの指導者的存在とも思える伊人伴奏者との当夜の35分間での前半は外国語学習にも力点の研修成果を反映の3カ国語の歌曲選では長い旋律線の保持と波状の歌い回しに稀薄なベルカント的な歌唱とは距離感の故に出来映えは独仏伊の順とも拝聴の結果に好みの問題ながら後半への危惧も抱きつつ20分間の休憩を経て35分間のアリアの部は短尺の伊仏の有名4曲が並んで当夜の劈頭の一群で選曲のイタオペでのロメオの登場歌との同旋律曲に対応とも思えるジュリエッタのロマンツァでは張り上げ調に一族の名誉と自身の恋情との葛藤の身の上に悲嘆の心情はやや薄弱の余韻、次いでノリーナの登場歌での淡泊な歌唱に演歌と同様に単調な音符の朗々歌唱では役柄で最重要な男好きの色香の客席への伝播はほぼ皆無の印象、続くマグダのサロン歌はイタオペ版喜歌劇の要素も加勢の曲調との好相性とも思える場内に可憐な一輪が開花の芳香が充満の風趣、掉尾では1曲目に対応の仏語でのジュリエットのアリエットは当夜を締め括る自身の心情が表出とも拝聴の華麗かつ伸びやかな一編に個性の正の側面が満開の好唱。アンコールはこれも短尺のムゼッタの誘惑歌では本編とも符合の曲調との適合性が合致の活きの良さに対して後続には国産歌曲が飛び出して邦人歌手の研究発表会の雰囲気が場内に醸成の若手らしい締め括りに好みの問題ながらアリアの世界は一気に瓦解。客電点灯が誘発の一層の喝采を目撃しつつ無料パンフによれば蘭英独と精進に邁進の新進歌手の一層の前進に向けた女流ながら武者修行の末の有望な前途への関心を抱きつつ喧噪のロビーを抜けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人の案内で「スパゲティ ながい」で。

シャネル銀座「シャネル・ピグマリオン・デイズ・クラシックコンサート2012」 ~ 卒業生としての風格 [リサイタル]

messina.jpg5月26日・ネクサスホール・正面後方自由席
前年の若手支援を目的の年間演奏家への御礼公演にも似た昨年の4回目で共演の若手指揮者が伴奏との付加価値も魅力の無料抽選制での本企画で初声域と言うメゾ歌手の独唱会へ幸運にも当選の恩恵に浴して参戦(画像は当日配布の出演歌手が尼僧役で録音のA5判の新譜紹介チラシ)。座席増設と思しき集客と共に本年からの仕様変更なのかは不明ながら如何にも卒業生公演に相応しい重々しく黒色の硬質紙に挟まれた演目表を用意の待遇を慶賀しつつ1時間での構成は前半は当代屈指のメゾ歌手の録音盤になぞらえればその標題歌手の実妹名との「ポーリーヌ」が相応しい同一声域での大先達を追慕と思える前段の歌曲2曲と後段のアリア2曲での対比の上に主催企業の本拠地のパリに所縁の2曲を同地で夭逝の作曲家の2曲で挟んだ巧妙な配列での「カプモン」のメゾ役の登場歌を連想の有名歌曲で極上旋律を情感豊かに口開けの後は快活なショパンの小品を経て一転の「サッフォー」の有名歌では沈潜の情念を歌声と表情が一致の大振りな歌い回しで披露して結びは本企画への晴れの初回が震災順延に象徴の激動の昨年も脳裏に浮上しがちな前半のテーマ歌手と姉妹関係の大歌手が創唱と言う「プリターニ」のナポリ版での狂乱歌が繰り出されて前回と同様な作曲家の天賦の才能を発揮と愚考の千変万化の楽譜とそのオケでの音色に熟知の伴奏ピアノの領域を越境とも思えるペラゴロには至福の演奏に支えられて楽曲研究の成果が明瞭な魅惑的な弱音や愉悦的な装飾などの殊にカバレッタの繰り返しでは邦人屈指の装飾技巧に裏打ちの自在な表情付けでベルカント歌手に適格な個性を堪能。息抜き的な仲入り後の世界はメゾ声域でのオペラ楽曲の概ね時代を下る起承転結的な配置の中に恒例の主催企業の創業者を顕彰の小曲を混入して先発のケルビーノの自作歌ではギターを模したピチカート音を再現の左手とソナタ形式の展開部を想起の中間部の後半に魅力の伴奏による既に落ち着きの中に回帰部には僅かに得意の変奏も入れ込む自家薬籠中感でのズボン役の以降は混入曲を除いて"女三態"とも言える変化に富む3曲の選択にミニョンの郷愁歌ではライン河の滔々の流れを彷彿の帰郷への夢想とも聴こえる懐旧感、ペリコールの微酔歌では副王都で繁栄のリマの宴席と錯覚の歌唱演技も適度に加味の白昼ながら一服の清涼剤とその血脈とも思える大衆歌が歌い慣れた節回しで歌唱の後には冒頭曲とは月球での連結を企図と言う本企画で初聴きのルサルカの有名歌ではボヘミアの森への月光と言うよりは演奏時刻を反映の故か陽光を意識の明度と軽度の高い伴奏の下で初夏の週末の昼下がりに相応しい曲調を意識の穏やかさと優しさに勝った歌声を拝聴。今回も幾重にも張り巡らされた選曲の妙味を愉しみつつアンコールは前半部のパリへの回帰にショパンの練習曲への作詞物が選択されて本劇場から飛び立つ若鳥の万感を込めたやや感傷的な愛惜歌として世事都合で欠席の最終回に代えて客席から慰労と共に前年からの舞台人としての飛翔を回想しつつ再訪未定な劇場を後にしました。
アフターシアターは、銀ブラの後に「ブラッスリー・ヴィロン 丸の内店」で。

日本舞台芸術振興会「バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル」[Bプロ] ~ いよいよ豊饒の時代へ [リサイタル]

frittoli2.jpg2月1日・東京オペラシティ・3階上手C席
6日前のイタオペ派にとっては「ヴェルディの部」に続いて中3日での伊仏歌曲の福岡公演を挟んだ「ヴェリズモの部」へ前回より半値の2段階下降の視野狭搾席で気分も新たに参戦(画像は決定曲目を明記の第二弾チラシ)。当夜も前回と同様に前半の歌曲と後半のオペラ曲に明瞭に区分の構成に依って前回のシュトラウスと好対照に彼とは8歳年長の母国人の作品を選曲ながら序曲代わりのオケ曲に続く連作歌曲はヴェリズモ期と同時代の中でむしろ両者のちょうど中間年生まれのマーラー風な耽美色の濃厚な曲調を拠り所に初聴の作品を傾聴しつつも門外漢もあって聴く側の態勢に難ありの状態のままに20分間の休憩へ突入。当夜の目当ての後半は前回と同様に概ねオケ曲との交互登壇に従って前奏曲的に配置の意表を衝いた「アンジェリカ」の間奏曲でプッチーニの世界へ誘導の管弦楽は上の空に映像で拝見の本作の外題役での舞台名唱が専ら脳内を占有の効果を経て後半の独唱の3演目4曲は徐々に成熟度を引き上げの配列とも理解の上でアンコール曲の本編混入とも錯覚の舞台出演はもはやあり得ないとも想像のラウレッタの有名曲は乙女の懇願よりは女丈夫の自身の青春を回顧の貫禄と余裕の別次元的な歌唱に続いて作曲家の最終完成作から一転の処女作の第2間奏曲では偶然とも思いながら両夜で各2曲の舞踊曲の最後として「魔女の祝宴」との標題に相応しい作曲家の個性はまだ薄弱な曲風の派手な演奏の後に前曲と併せて1曲分との計算なのか同様な短曲での出世作の第2幕の独唱が旦那と恋人の狭間で呻吟の情婦の濃艶と可憐を融合の結果は堂々の姉御然の出来映えから続いて同作の間奏曲は逃走中の主役ペアの愛別離苦への顧慮に皆無なプッチーニの落とし穴に見事に落下の脳天気な環境音楽の域に終始の前回の「運力」序曲と同様な緊張弛緩の時間を経た後にこれも前回の本編最後で披露の同曲の有名アリアと同じく今後の持ち役化と言うアドルクの演奏効果を考慮と思しき曲順を逆転の最終幕の悲嘆歌と最初幕の登場歌は「運力」と同様に少なくとも演奏曲は各々に舞台場面を彷彿の既に準備万端の態勢と拝聴の歌唱に往年の同役を持ち歌の大歌手の系譜を継受の屈指の贔屓演目もあって来日引越公演を待望の予告編的な出来映え。歴代のイタオペの歌姫が披露の天下の名歌の伸びやかな名唱の最終音の質量ともに充足の場内を充満の歌声が惹起の前回以上とも思える万雷拍手に呼応のアンコールはパリの女優からローマの歌姫へと繋がる今次来日の掉尾に相応しい昨年に初舞台とのトスカの有名アリアが静々と開始されて全曲経験を踏まえたプッチーニ節が横溢の魅惑旋律を中間部での色調変化も繊細に実聴体験の中で屈指の本曲の魅力を表出の大団円直前の咆吼と弱音の対比も見事な見方によっては凡演全曲より価値ありとも思える当夜の頂点と受容の感銘。好みの問題ながら両夜の後半対決では当夜に軍配の前週の独唱会と併せて大歌手の円熟への道程の実感に半年前のミミも想起のできればイタオペでの次回拝聴を熱望しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、手近に階下の「謝龍 オペラシティー店」で。

日本舞台芸術振興会「バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル」[Aプロ] ~ イタオペとリートの狭間 [リサイタル]

frittoli1.jpg1月26日・東京オペラシティ・3階正面A席
半年前の旧帝国陸軍の体質と酷似の国策会社と監督官庁の失態に由来の若輩の後塵にも等しい本人にも聴衆にも無念の強制配転の記憶も新たに東京での2回の独唱会のまずは初回へ参戦。当夜は前半のリート、後半のイタオペ曲との明瞭な2部構成に依ってオケ伴奏では通例の幕開けに配置の序曲の代替としての作曲家40歳余の「サロメ」の有名舞曲では絢爛ながら小綺麗感が前面での本曲の魅力の妖艶感に欠如かつ表題に合致の音色と描写の変化の味わいにも欠乏の出来映えに加えて冒頭曲としての位置付けにも居心地の悪い選曲に後続曲への露払い的な観点からやや親和性が強固ながら「ばら」の大詰三重唱のオケ編曲でも相応と愚考の反面で後半冒頭のバレエ曲に相対して片や出世作での外題役歌手の舞踊を想定の原曲、片や最晩年でのバレエ場面の挿入への追加曲との相違の上に作曲年は世紀の変わり目を挟んで僅かに10年足らずの共に中近東の芳香を放出の7つの舞踊に好対照感も抱きながら拝聴しつつ歌手本人の意向とも聞く最晩年の"自画像作曲家"らしい生涯を回顧とも飛躍の発想の連作歌曲は残念ながら独語的な発声が予想外に脆弱の中で第3曲から一変の本領発揮的な人生の秋を情感豊かな表出に伴奏も前半との比較の上では見違えるように同調のコンマスとの対面の歌唱での大看板歌手らしい詩情が沈潜の世界の再現に続いて最終曲も継続の雰囲気を醸成ながら劇場で会った知人曰く「彼女が歌うべき音楽は別にある」との指摘に同意の作品を大きさを増幅させる至芸を享受の感銘は抱けずに「リートの歌姫」との認識には未到の領域と拝聴。客席の諸兄姉の多数も同様と勝手に推測の不完全燃焼の休憩を経てオケ曲との交互登壇の僅かに3曲ながら期待のイタオペの部ではリートの部と同様に「オテロ」パリ版のバレエ曲が選曲の同国人作品への親和性の故か小気味良い伴奏音の上に歌謡性に優れた音楽に当夜の目当ての後続曲への期待感を醸成のお膳立てに続いて「トロヴァ」でのレオノーラの登場のカヴァティーナでは当夜で唯一のカバレッタで繰り返しの省略が何とも恨めしくも自家薬籠中の"地に足の着いた"または"水を得た魚"然の貫禄の歌唱と堂々の姿勢での歌姫の降臨に客席は漸くに前半の耐乏の末に惹起の爆発的な万雷拍手で熱烈歓迎の意思表示、興奮の中で開始の「アッティラ」の前奏曲は楽想の特質から"オケ版アリア"とも言える程に歌謡性が一段と増幅の後に「シモン」でのアメリアの登場のロマンツァでは伴奏の角張った水面表現が耳障りながらも完全終止感の希薄な名刺代わりの一節にも似た短曲への地中海の海原を連想の旋律線を大きく見せる技量と豊穣な声量での確信に満ちた歌声に中期ヴェルディ以降のイタオペでは当代の第一人者を再確認の故に却って客席に欲求不満感も発生とも推測、早くも最終部の「運力」の序曲は耳タコの接続曲での40代としては引用旋律への味わいには欠乏ながら委細に顧慮の無い終結に向けた威勢の良い開放感を緊張の弛緩時間として利用の後には同曲でのレオノーラの見せ場のアリアでは当夜の掉尾に相応しく自信の大曲を配置の役柄の境遇を思わずに想起の前曲が前座曲にも思える絶好調とは思えない中での圧巻の出来映えに帳尻を合わせた見事な選曲と歌唱にも圧倒の感慨と同時に昨年の非常事態下での遭遇場面の回数には相違と推測の本作2興行の中止顛末も待望での贔屓作だけに恋々と脳裏に浮上。熱狂の聴衆へのアンコールは6日後の"ヴェリズモの巻"に繋げるようなリューの臨終独唱のみとなって十八番曲での名唱とはいえ2年半前の前回の独唱会でのモーツァルトとイタオペのアリアを繰り出しの印象の満腹感に対して当夜の腹八分程度と思しき聴衆の興奮も客電の点灯を合図に鎮まって半年前の雪辱戦に淡い期待のエリザベッタの有名アリアは前回に披露の故に予告どおりの後半以降のイタオペ4曲で「1曲に付き3千円也」との収支の戯言も脳内を巡りつつ次回の未知の前半曲と既知の後半曲での感銘度合いも案じながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、会場で会った知人らと定番の階上の「叙々苑 東京オペラシティ53」で。

武蔵野文化事業団「マヌエラ・ビシュリエ ソプラノ・リサイタル」 ~ またしてもアンコールを超えた大曲 [リサイタル]

bisceglie.jpg12月18日・武蔵野市民文化会館・小ホール正面後方指定席
週末の暇つぶしとして本年最後の演奏会にチラシの「アリア11連発」との謳い文句に刺激のペーザロでの音楽祭で本人を既聴との知人らの勧誘に応じて2年ぶりに郊外の中核駅から徒歩ではやや遠距離に立地の市営劇場へ参戦(画像は宣伝文に新機軸を打ち出した主催団体名物の諸見出しが躍る手作り感が横溢の斜め裁断のチラシ)。演目表に依れば前半と後半で各2曲の伴奏者の独奏曲を挟んで「看板に偽り無し」の歌曲は皆無のベルカント物を中心の6曲と5曲の合計15曲がB4版二ツ折の片頁に縦列の壮観な構成に期待感を抱いて暫時の待機を経て11日前の邦人若手のアンコール曲で楽曲と歌手の両者の美質を同時に放出のノリーナの登場歌が当日は対照的に冒頭に配置ながら初来日の緊張感と喉慣らしの故か本役の魅力の可憐かつ逞しい溌剌さは不十分なままに次曲のスザンナの最終幕のアリアで一旦に気持ちを鎮静化の以降は例えば前半の仏語物のミカエラでは作品中で屈指の流麗な旋律線で表現の決然性にやや不足、フィオルディリージでは音階跳躍の難技も混じった劇唱的要素を含んだ哀願の表情にやや不足、後半のジュリエッタやアミーナでは悲恋を悲嘆の悲歌で聴衆の琴線を揺さぶる悲哀性にやや不足、ラウレッタではアンコールで頻出の短曲の中での中間部での前半部との変化と後半部での頑固親父の心変わりを促す哀訴性にやや不足など総じて年齢と経歴に相応の今後の習練と体験によって技術と表現の両面で深化を期待の出来映えの裏返しとして何よりも2桁の持ち歌を長駆の来日公演で披露の意欲と馬力に感心も束の間にアンコールでのムゼッタの後でのまさかのソフィアのアリアではさすがに最終曲での奥の手的な選曲に納得のファルサの掉尾作に相応の一連の作品で屈指の名歌を別人とも思える装飾歌唱も万全の本人の自信が伝播の実に堂々と自家薬籠中の歌いぶりに満場の聴衆は当然の大喝采。伴奏は鈍感な感性では全て一様な立体感の薄い音色で深みの無い表現を環境音楽のように漫然と拝聴ながらも例外的に3曲目はオペラ楽曲の編曲物を偏愛の身には随喜のワーグナー張りとも感受の連綿の二重唱でのカヴァラドッシの旋律が豪華客船でのサロン音楽のように場内に鳴り響く望外の楽興を享受。次回の再訪は未定のままに後味の清々しい演奏会を振り返りつつ師走の武蔵野の最寄駅へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、新宿に戻って「珈琲舎 バン 伊勢丹会館店」で。

シャネル銀座「シャネル ピグマリオン・デイズ・クラシックコンサート」 ~ 舞台は歌い手を輔く [リサイタル]

trovatore2.jpg10月29日・ネクサスホール・正面後方自由席
ベルカント4連戦の最終日、前月のテノール歌手の独唱会で開幕の旧同盟国のベルカント物に定評の3団体が"ベルカント三傑"から一作ずつの競演を経てソプラノ歌手の独唱会で閉幕と仮想の「東京ベルカント祭」の当月内での名残行事の最終公演、毎年に若手演奏家5人程度を選定の本企画でのメゾ歌手の全5回での前回からは国営歌劇場への端役出演を挟んだ2カ月後の4回目ながら翌月の最終回は世事に因る申込自粛のための最終機会との三重の意味での締め括り感に一抹の虚脱感も覚えつつ仏服飾企業の社会貢献事業の恩恵に便乗の無料抽選制での1時間の演奏会へ通い慣れた空調音が騒々しい銀座の多目的ホールへ参戦(画像は12日前に楽日の侍女役で出演の「トロヴァトーレ」のチラシ)。毎回の曲目構成の妙味に演者の才知も実感の今回は前半のモーツァルト曲、後半の仏語曲と伊語曲の2部構成の上に第1部は開演の喉慣らしを兼ねた伊語歌曲を序奏として以降は各部とも歌曲とアリアをの各2曲を配置の"起"としての夭折ながら作曲家の円熟期の素朴と劇性な曲調を対称の独語歌曲、"承"としてのズボン役でのブッファとセリアの動と静を一対を並べた伊語アリアでは後者の固唾を飲むような大まかには逡巡の心の襞に沁み入る低速部から決意の歌唱技巧を披露の派手な高速部への劇的な変転の頂点への見事な歌い上げに歌唱後には客席から思わず掛け声も発生の前半の白眉を形成。5分間の休憩後は"転"としての恒例の出資企業の創業者にちなんだ優雅と華麗を対比の仏語歌曲、"結"としての静寂曲と絢爛曲を対照の得意の装飾歌唱を披露の伊語アリアでは前者の後段では三部形式の神髄を衝いた中間部による感興を反映の単なる再現以上の効果を客席に伝播の深い悲哀が会場に沈潜の後半の白眉と感得の一方で難曲の後者は残念ながらも当月の舞台公演の大任を完遂の解放感からかアジリタ技巧にやや力瘤の入った結果に終わるも同作の導入曲に転用への関係性も余興的なアンコールの馴染みのスペイン風歌曲では加速にも歌い慣れの余裕感すら感得の俊足かつ明快な音符が場内を駆け巡る聴覚の快感に到達して予定時間を10分超過の幕切れ。流行歌手と同様な演目間での語りでは国営歌劇場の開幕興行の演出で唯一に注目の侍女の擲身行動が稽古中に本役の彼女からの発案との秘話に独人演出家による公演印象が遂に奈落への唖然の衝撃は脇に置いて任務貫徹を経た自信も伝播の歌唱は勿論に震災起因の延期措置での初回から半年足らずを経て堂々の立ち居振る舞いに拍手を献呈の他にも4日間のこれ自体も本邦では少数例と推測の各々に個性に溢れた多彩な企画物を相応に堪能の低廉のベルカント関連の集中公演への感慨、事業者の設備の不具合にまさかの制御不能との失態による人類史上最悪と言う放射能禍を惹起の政官業学の電線で結合の利益共同体の不始末のために祝典気分も飛散の2カ月間弱の本邦で空前絶後と思えるベルカント物の祭典とその名残行事の回顧、本企画以外には無縁な出資企業の篤志事業に便乗の有り難みを実感しながら専用エレベーターで劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと遅いランチを「銀座キャンドル」で。

都民劇場「エディタ・グルベローヴァ オペラ・アリアの夕べ」 ~ 老陛下の治世を回顧の一夜 [リサイタル]

gruberova.jpg10月13日・東京文化会館・4階下手C席
前週の三連休からの6日間で7連戦の最終回は前月のテノール歌手の独唱会を開幕と設定の勝手に仮想の「東京ベルカント祭」の閉幕演奏会としてドイツチームでの外題役では演目楽日に満場の聴衆から大喝采のソプラノ歌手の滞日延長での各々で中3日を空けて3回目の当夜は会員制の官製芸術愛好会が主催の離日前最後の独唱会へ参戦。10日余り前の本劇場での大詰アリアの絶唱の余韻がなお脳裏を巡る中で半期5回の定食を賞味の聴衆が参集の客席の一隅での異邦人感覚も抱きながらオペラ上演史に金字塔の大歌手の今回来日での聴き納めに加えて本年は近くは1カ月間のオペラ祭への感慨、遠くは被災国民への女王陛下の慰問興行的な要素も付加の御来臨まで高齢会員対策なのか10分遅演での開幕冒頭のオケ曲を含めて特別な緊張感を保持しつつ気構えでは直立不動での待機。当夜は「後宮」から「椿姫」までを編年的に配置の在位40余年の治世を凝縮の構成に依って陛下にとっては喉慣らしを兼用とも思しきモーツァルトで聴衆の心の襞に浸透の作曲家独特の深い哀しみが当代随一の歌唱による感情表現の制御技術によって見事に表出された後に彼女と共に15年前の来日公演で本役を競演の伊人歌手は3カ月前の独唱会では登場曲へ変更の「ルチア」の狂乱歌では客層の特性によって残念にも喝采による中断ながら聴衆に固唾を呑ませる名人芸を披露の中でカバレッタの後半部は高音の不安定性と高音に引き上げた最終音の絶叫調を超えて前期高齢目前の女王がなお難曲でも全く鼻歌然の信じ難い驚異の技巧の傾聴を経て無料パンフでは近年の取組曲との「ルクボル」の大詰曲では今回来日の全曲作品と全く同様に作曲家の熟練期の筆致による名曲がやはり本曲でも当代の双璧と推測の7月に披露の伊人歌手を想起の生娘よりは一音一音に切々とした情念が込められた年代に相応の母親の哀歌を当夜の白眉とも受容。同世代間での共感も手伝ってか高齢層が主体の聴衆の大喝采を経て20分間の休憩を挟んだ場内に高揚感が充満の後半では本邦では9年前の自身が自ら歌唱以降は漸くに前月の同じ劇場の来日興行で狂乱歌手が後継の「プリターニ」の狂乱歌は交響楽ながら同時代性を勝手に連想のシューベルトの大交響曲にも通じる作曲家一流のオペラ史上で屈指の息の長い旋律美には肺活量の限界からか僅かに切断気味ながらカバレッタは独特の節回しによる自家薬籠中の装飾技量が発揮の少なくとも本曲限りでは前月のイタリアチームの同役とは格違いの貫禄の出来映えに続いてさらにヴェルディ作品の最初のアリアでは往事を彷彿の瑞々しい声質によって有名曲もあってか繊細巧緻なカヴァティーナと流麗華美なカバレッタで平素は知人曰く「9時を回ると帰巣本能」の冷静な会員諸兄姉も興奮の客席は熱狂の坩堝と化して突入のアンコールでのオペレッタの部は前曲から続いて同じパリでの1世紀前の同業者とも言える立ち位置での大胆演技も交えた可愛さと不気味さが混在のまさに怪演のクネゴンデ、自身の人生三態とも拝察の当夜の掉尾には実に相応しい3節の歌い分けも万全のアデーレに至って高齢者の淡泊な心情の発露なのか文字どおり引き潮のように離席の平土間客の一方でかつての巨匠の来日公演では慣例的だった楽団退場後の舞台下に居並ぶ聴衆との握手交流の光景を懐古的に眺望。サロメ隊と推測のオケを牽引の陛下が御指名と拝察の指揮者は伊人ながら北欧で研鑽との「トロヴァトーレ」の指揮者とは対照的に露人ながら当代のロッシーニの二大権威に師事との経歴を反映の序曲では「後宮」での主部と中間部との対照性、「デヴェリュー」での陛下の前夫を遙かに凌駕の軽快感と構成力に加えてバレエ伴奏でも活躍との紹介に納得の舞曲では「テル」の新郎新婦の舞踊での「始めは処女の如く終わりは脱兎の如し」との演説の要諦にも通じる終結部の直前からの作曲家の意図を具現の音楽的充実、「ジョコンダ」の有名曲での変化に富んだ音楽表現によって何れも短曲ながら快速感を基底の全体像の把握に基づく各部分の速度と曲調変化を意識の音楽づくりに今楽季の国営歌劇場の開幕演目で拝聴願望の仮定法過去完了の空想も湧出。陛下との握手拝謁に熱狂の一部の聴衆を微笑ましく遠望しつつ次回の謁見の栄誉を熱望しながら本企画では異例と推測の9時40分に会場を後にしました。
アフターシアターは、年内最後の機会として定番の「厳選洋食 さくらい」で。

東京プロムジカ「アントニーノ・シラグーザ テノール・リサイタル」 ~ 週末公演への一抹の不安 [リサイタル]

siragusa.jpg9月6日・東京オペラシティ・2階正面A席
当月から約1カ月間で仮想の「東京ベルカント祭」の開幕公演と勝手に位置付けの当代を代表のテノール歌手の独唱会へ参戦。入場口前でのチラシ袋の最前面には前夜に公式発表の体調不良を理由の来日不能歌手の代役に決定との速報の招聘元のマスコミ企業らしい迅速な手回しに感嘆しつつ当夜の主催者名物の3階席封鎖を苦々しく思いながら着席すると平土間には3日後に迫った「セビリャ」の指揮者夫妻の臨席も目視できて新楽季の開幕感も増幅のうちに開演に先立って当夜を「被災国民を鼓舞舞」と共に来日直前での事故死と報道のテノール歌手の「業績と冥福への追悼」との本人挨拶の後に通訳紳士に伴われて一旦の退場を受けて前半は30分強のアリアの部となってネモリーノのロマンツァは御家芸のソットヴォーチェによる悲歌として強調、ラミロのアリアではカバレッタの繰り返しは省略、仏語に転じてロメオのカヴァティーナは発声の張りと抜けによる強弱の対比によって格調感を創出、当夜で唯一の注目曲とも言えるアルノールのアリアでは長い伴奏に瞑想姿を示しつつ緊張感を保持の歌唱ながらやはりカバレッタの繰り返しは無いままに最終音も短く終わって最終曲のマントヴァのカンツォーネは鼻歌同様の軽業で予定曲を1曲割愛の残念ながら不調感が伝播の出来映え。15分間の休憩を経て後半のカンツォーネの部は殊に中高年婦人の琴線を痛打の恒例の歌曲が並んで喝采の後は体調を反映の第3部とも言えるアンコール曲目の繰り出しには至らずに20分間での得意のギター自演によるリンドーロのカンツォーネ、2曲目から早くもオペラ歌手で当代唯一とも推測の平戸間への繰り出しに移って聴衆への握手や空席への着席に加えて巨匠夫妻への一礼も愛嬌に満ちた名人芸を伴ったカンツォーネ、当夜の打止と理解の再度のマントヴァ曲で幕。代役攻勢の状況下での来日敢行に加えて中一日の強行軍の十八番役での事実上の外題役出演、さらに数日前に決断との当代で歌唱可能は僅少と思しき配役への1日限りの代役受諾と「東京ベルカント祭」の開幕歌手に相応しい義侠心の発露に体調回復をひたすらに願いつつサインを所望の長蛇を形成の同胞の行列に複雑な想いを抱きながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと階上の「叙々苑 東京オペラシティ店」で。

銀座シャネル「シャネル ピグマリオン・デイズ・クラシックコンサート」 ~ オペラ歌手の面目躍如 [リサイタル]

abscieds.jpg8月27日・ネクサスホール・正面後方自由席
旧盆を便宜上で画期に設定の新楽季の初公演として仏服飾企業の創業者の遺徳を承継との社会貢献活動の一環の若手演奏家への年間5回程度で1時間の演奏機会を提供の抽選制の無料行事へ参戦(画像はアンコール曲を主題曲とした映画の市販ソフト)。過去2回と同様に選曲の妙味にも関心の当日は想定外との表現では言い尽くせない吉事として従前のオペラ・アカデミーでの恩師の女流伴奏者に代わって独唱者と同様にローマ在住と言う川崎市でのオケ祭に出演で帰国の既に国内よりは彼の地で活躍の若手指揮者に交代の故もあってか本企画で初とのメゾ歌手らしく前半は異性役、後半は同性役との区分も実に明確なアリア大特集となって男女での歌い分けよりは達者な歌唱表現を基盤に各曲の歌詞内容を吟味の伴奏者の薫陶にも与ったとも思えるオペラ楽曲への適性を明瞭に場内に放出して冒頭曲から歌声の張りと感情移入に前回とは一線を画した意気込みが伝播の当日の出来映えへの期待感を増幅。ズボン役の部の最初は仏語作品から「ロメジュリ」の従者のシャンソンが咽慣らしを兼ねて丁寧かつ可憐に披露から一転のバロックと古典が並んで自身が長調ながら愛妻を永遠に喪失の深甚な詠嘆が却って最も悲哀を表出に感得と言う「ロザムンデ」の間奏曲で感受の長調の底知れない哀感を連想しつつオルフェの最終幕の独唱を劇的に表現の後はケルビーノのアリア、セストのアリアを古典美も意識下と拝察の端正な歌唱によって伴奏の巧緻な音色変化も含めて前半を見事に終了。5分間の休憩後は女性らしい両肩を露出の純白の衣装に着替えて前半と同様に起承転結的な4曲構成に拠ってデスピーナの最初のアリアでは快活に後半の装飾音符を巧みに披露から転じて2曲目は緩徐楽章らしく「チェーザレ」の女王の有名アリアでは殊更に主部の大地に沈潜のような詠嘆と得意のアジリタ技巧が効果的な中間部の天空に突出のような憤怒の対比を意識の佳唱に続いてローマでの生活ぶりを紹介の後に本企画の選曲で恒例の出資企業の創業者との関連曲としてサティの小品を挟んで最後は「チェネ」の大アリアで全曲の掉尾を飾るように威風堂々のカヴァティーナと絢爛豪華なカバレッタに圧倒されて前回の雪辱を充分に凌駕の難曲を堪能の気分爽快の出来映え。特筆は特別共演とも言える伴奏となって殊に左手が雄弁に鳴り響く指揮者らしい原曲を明瞭に想起の音楽運びは例えばアンジェリーナの大アリアは勿論として耳タコのケルビーノのアリアでは天才作曲家の変幻自在の音色を彷彿の音楽づくりによって平生の独唱会の伴奏者とは格段に相違のオペラ的な雰囲気が場内に充満の望外のペラゴロ生活に悔い無しと思える楽興の1時間を満喫。振り返れば異邦で信頼の同胞指揮者の伴奏を得て精神的な充足感が反映の結果とも拝察の成果への満場の喝采に呼応のアンコールは愛好と言うロッシーニのスペイン風歌曲では「ボレロ」を彷彿の粒立ちの良い正確かつ漸増の盤石の伴奏に支えられた装飾歌唱は最終節での低速から高速への劇的な展開で万雷の拍手を誘因の後に初回で演奏の1934年に銀幕で採用のショパン曲での心地良い鎮静に場内の空気を一変の歌姫の貫禄すら伝播の幕切れを創出。充実の伴奏も加わったアリアの繰り出しに70分間ながら想定以上の精神的満腹感を抱きつつ翌月の「東京ベルカント祭」の幸先を感得しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、外堀通りへ向かって創業60余年と言う「銀座キャンドル」で。

銀座シャネル「シャネル ピグマリオン・デイズ・クラシックコンサート」 ~ 真骨頂は次回に期待 [リサイタル]

chanelono2.jpg7月30日・ネクサスホール・正面後方自由席
週末の暇つぶしとして仏服飾企業の社会貢献活動の一環に毎年5人の音楽家に自社施設の多目的空間での年間5回程度の演奏会を提供の企画に登場の本企画で初の声域とのメゾ歌手の2回目の独唱会へ参戦。前回と同様に出資企業の創業者の逸話も視野の機知に溢れた楽曲構成に拠って前半ではその服飾家が幾度かの傷心旅行での訪問地と言うベネツィアに焦点を当てて幕開けは仏作曲家の寡聞にも伊語歌曲の上に当地の方言での歌曲集からの喉慣らしも兼用の幕開けらしい選曲の後に本年の正月恒例の博物館でのロッシーニ演奏会で共演歌手が披露の競艇三連作ではオペラ歌手としての実力を発揮の3曲を通して一編の大アリアを形成のような曲調の変化に良く対応の情景と人物の描写によって最終曲での邦人離れの恋人の勝利に歓喜のアジリタ技巧に作曲家が想定の連作の頂点感を表現して最後はやはりアリアでの締め括りとなって作曲家の出生地の表題地への愛惜が前面の「カンピエッロ」の最終曲では「スキッキ」の脅迫場面に効果的な郷愁感の秀逸な名旋律のヴェネツィア版を連想の演奏後には掛け声が発生の程に繊細かつ伸びやかな歌声での情感に溢れた清澄な雰囲気が場内に充満して振り返ればベネツィアの風土・名物・郷土愛を早暁・白昼・薄暮を彷彿の曲調で連ねて世界史上で特異な位置取りの運河都市への歌唱による一編の紀行文を堪能の気分のままに5分間の休憩へ移行。後半の4曲はアリアを並べつつ中間2曲はオペラ曲の編曲物を愛好の身には随喜の歌曲が採り上げられて前座的なケルビーノのアリエッタでは演者の独唱会らしく再帰部での初聴の装飾歌唱を付加の妙技を拝聴の後に「ソプラノ歌手のように舞台上で事切れてみたい」との自虐的な戯言の後の2曲目は前回も選曲の「妙薬」のロマンツァのメゾ用仏語版を経て3曲目の編曲作品とは順序は異なるものの「ボエーム」の8年前に作曲と言う第3幕の四重唱に転用の歌曲では否応なく前月に拝見の名場面の想起を惹起の当日の白眉を形成して「生徒時代より続けているが泣きたくなる程に難事」との紹介に続く真打曲の持ち歌とも言うべき「チェネ」の大アリアは当日はカヴァティーナでの音決めに苦労の様子が窺えたものの達者な歌唱技術を駆使のカバレッタは一気呵成に終結。アンコールには「プッチーニの主役を歌いたい」との再度の冗談的な悲願のささやかな結実の場としてラウレッタの有名曲をソプラノ歌手では往々に発声の困難な低音域も明瞭に拝聴して異種格闘の健闘を讃えながら次回公演の抽選当選を祈念しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、会場で会った知人らと三笠会館内の「大和」で。
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