SSブログ
映像・録音 ブログトップ
前の10件 | -

METライブビューイング「椿姫」 ~ 病身に憑依の演出意図 [映像・録音]

mettraviata.jpg5月13日・新宿ピカデリー・スクリーン1正面後方指定席
前週の本日の主人公が愛読との設定関係の名作物の仏語オペラに続いて初演は30年先行で原作者の体験が反映の筋書にも共通点のイタオペの代名詞とも言える娼婦の悲恋譚に残有回数券の費消を専らの目的として今楽季の本企画の最終作へ参戦。本邦を除いて世界同時中継と言う仕掛けの中で最多の集客数との進行役歌手の発言に納得の上映館で最大の客席数の会場でも後方区画がほぼ満席の状況下で上演劇場名物の土曜のダブルヘッダーでの収録日にはマチネの本作に続くソワレは前週上映作との紹介に1世紀以上を画した設定年代は前後ながら現地での同日組み合わせの妙味も感じつつ幕間で第1幕が最難と言う外題役は前奏からの演技に続くいきなりの開口では時に声楽発声から逸脱の全くの不調的な叫び声を上げて同幕の有名アリアでは装飾歌唱は当代一流ながら旋律部では掠れ声は個性ながらも"歌う女優"らしく"ムジークテアター"の理念を承継の演出家からの主役の悲劇を強調の演技指導に十全に対応の力量を体現しつつも病身に抗しての出演には悲壮感も放出の銀幕を通じて聴く者に痛々しさすら惹起の印象に対する相手役は喜怒哀楽に希薄な歌唱表現が風采と併せて人造人間を想起の木偶の坊的な雰囲気が配役の性格を考慮との精一杯の解釈、その父親役は南仏の税務署長と聞く生業よりは出で立ちからも裏社会に君臨のような尊大で孤高的な雰囲気を醸成の自身の個性ながらも終始に居丈高な直立姿勢が図らずも息子役との父子関係も感じつつ周囲から隔絶の世界を構築の結果として本作の主役陣が鼎立の側面を見方によっては過度にも思える程に強調の構図を現出。幕間ではソーシャルネットワークやツイッターでの情報展開、自在パネルと宙吊りが売り物の「指環」の世界営業も紹介されて国内では夏季恒例の再上映が「四部作」に変更の事情も納得。来楽季の宣伝映像に拠れば本日の主役歌手はバロック作品に出演との情報に来季への期待を抱きながら客電の点灯を待って劇場を後にしました。
アフターシアターは、隣駅に足を延ばして「礼華」で。

METライブビューイング「マノン」 ~ 原作表題への回帰の均衡 [映像・録音]

manon.jpg5月6日・新宿ピカデリー・スクリーン1正面後方指定席
大型連休の前半と後半の緊急連戦での疲労蓄積ながら中一日を空けて最終日の暇つぶしとして本作の不覚にも11年前の国内公演と敬遠での今回と同一演出での2年前の来日公演を未実聴のせめてもの穴埋めに1カ月半ぶりの上映館へ参戦。朝方のやや重い身体に鞭打ちつつ中高年が過半数に及ぶ本館では客席数が最大の会場で現地時間で1カ月前の土曜マチネらしい開演前の客席映像の平服姿の聴衆を半ば漫然と拝見後の本編は英国王立歌劇場の直近来日公演と同一の演出に依る舞台での東欧人の主役ペアでは外題役は感情表現への意欲は伝播ながら重心が低く後頭部から響き出るような人種的特性よりもなお過度とも思える本人の背後に幽体分離の錯覚にも導引の発声でのやや困惑の歌声に対して相手役は門外漢にはベルリオーズ向きとも拝聴しつつ純情青年らしい声質に工夫のベルカントらしい歌声を希求の一方で神学校場面では劇的再会を重視とも思えるイタオペ的な雰囲気も感受。主役陣で唯一の仏人の富豪役は幕間での手品師や騎馬劇団員との経歴紹介にやや驚愕の仏語台詞への対応要員とはいえ芸歴に裏打ちの戯画的な堂に入った所作は高声域もあって他の出演者とは異質な独立の存在として浮上ながらも筋書原語を堪能の時間として傾聴。初振りと言う指揮者は仏語物の初聴きの機会に鋭敏気味な運びに当世風とも思いつつ優雅よりも快活感に勝った印象。残念ながらささやかに期待の作曲家作品への苦手意識を克服の実感できないままに劇場を後にしました。
アフターシアターは、恒例の遅いランチを会場近くの「車屋 別館」で。

METライブビューイング「エルナーニ」 ~ 歌役者たちの激突 [映像・録音]

meternani.jpg3月18日・新宿ピカデリー・スクリーン2正面後方指定席
4カ月ぶりに本企画の今楽季の3本目として半年前のボローニャ市立劇場の来日楽日でのカーテンコールで被災国民を慰撫の「ナブッコ」合唱と共に遠望ながら鮮明に記憶の公爵役の同一役での老練歌唱の追体験を目的に初期ヴェルディの佳作へ参戦。果たして"エルナーニ・カルテット"ではやはり公爵役が名物の幕間での質問に披瀝の見解のとおり4人中で最後の登場から大詰での心中の生き証人までの最も起状に富む役柄を見事に具現の接写による明瞭な表情と一挙手一投足によって閉幕直後の緞帳裏での国王役からの慰労への答礼時の大きな溜息が物語るように30年以上も当代屈指のオペラ歌手として活躍の偉業が裏付けの本上演でも展開の状況に応じて配役の内面変化が聴覚と視覚の両面から表現された主役然の貫禄の名唱に続いて恋敵への敵愾心と求愛者への誘惑心を歌い分ける国王役、同様に唱法の無理に起因なのか第1幕と最終幕の登場時で独特の掠れ声が発生ながら生い立ちの悲劇性と恋人への執着性を歌い分ける山賊役が両脇を固めつつ練達の男声3人の胸を借りるように主催劇場の新人発掘行事によって控え歌手から本公演に配役の貴婦人役は立派な体躯を利用の素直な声質と感情表出に加えてアジリタ唱法の技巧を基盤に今後の習練の成果に期待の出来映え。伴奏は四人組が各々に他の3人との強固な関係性の中で展開の濃密な筋書を反映の緩急と強弱を駆使の本劇場のイタオペ主任的な立場に相応しい成果によって伴奏音型からも切れば血の出るような愛情と対立の熱気が横溢の初期ヴェルディの生気が持続の作品の価値を高める音楽によって独唱陣を先導と支援の両面から蔭の功労者的な存在感。劇場で会った知人曰く「初期ヴェルディの魅力の威勢良さはピットの派手な演奏も一要因」との感想に同意しつつ本企画の視聴作品の中で屈指の好感の勿論に中期ヴェルディへの匂いを感受ながらも殊に前半に強く残存のロッシーニの形式とドニゼッティの風味にも魅了の目的達成の満足感を抱きながら小雨の繁華街へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、遅いランチを劇場から程近い「三太」で。

METライブビューイング「ドン・ジョヴァンニ」 ~ 「ドンナ・エルヴィーラ」に等しい配役 [映像・録音]

metdongio.jpg11月20日・新宿ピカデリー・スクリーン1正面後方指定席
オペラと芝居での「喜劇映画デー」の前半戦として2週間前に続いて本企画の今楽季の2作目に6月の来日引越公演に同行の本劇場総裁には強制配転による露人歌手の格下扱いの"イタオペの女王"、映像では昨楽季のマラテスタに続いて実演でのマルチェッロで注目の外題役、次代の音楽監督を射程の代役指揮者に加えて3年前の奇しくも本日との同名役が記憶に刻印の若手ソプラノの4人を目当てに馴染みの映画館へ参戦。開映の5分前に到着すれば本企画で初体験と思しき封切り映画館らしい場内放送での待機音楽として興行側の意図かは不明ながら作曲家の故郷を舞台の米国産のミュージカル映画からのオケ編曲版での主題曲との選曲に合点しつつ最大客席の会場で150人弱と目測の集客にやや寂しさも感じながら提供企業と今楽季の宣伝映像を漫然と遠望の後に本編では女性陣はやはり貴婦人役が幕間の本人説明に依れば「両ドンナで演技比重の高い役柄を選択」「その基本方針は外題役が最後の男との決意」との解釈に得心の録音を含めたこれまで経験の同役を凌駕の大看板に相応しい劇唱を披露の一方で彼女との装飾合戦も見事に対峙の本劇場に初登場との令嬢役は来日公演よりも鋭利で透明感に優れた声質と清潔感に溢れた歌い回しに加えて容姿と雰囲気に成熟度が向上の大器を期待の歌唱に安心感すら湧出。他方で主役は稀代の誘惑騎士への配役には高貴性と神秘性に不足のやはり従者が適役の存在感、本公演で出演200回との婚約騎士役は芸達者な他の主役陣との違和感が大きい上に経歴に見合った迫真の歌唱には未到のままに漸くに後半のアリアで本領発揮の後手ながらカーテンコールでは貴族女性2人組への予想外に薄弱な拍手に対して最大の喝采を獲得の地元民の趣味もやや理解。端正な音楽運びのチェンバロ奏者を兼務の指揮者は冒頭の2音から往事の劇場指揮者を想像の音楽の可視化とも受容の指揮姿によって序曲ではアクセントやスフォルツァンド的な強音によってブッファらしい音楽を披露の後に年齢的にもマーラーを連想の新大陸からの招聘を受諾の緩急、強弱、間合い、アクセントの他に対旋律的な音楽でのベルカント的な音節感に優れた生命感が横溢の思わずに板上の歌唱への意識を忘れるほどの"第9の独唱者"らしい音楽づくりに傾聴。幕間での聞き手役からの「54カ国への配信にも入用」とのいよいよ本企画の存亡に言及の寄付金の脅迫表現に彼の地の国情を想像しつつ1パーセントの富裕層の篤志に深謝の一念で開映前と同様にザルツカンマーグートの自然美が条件反射的に想起の映画音楽に見送られながら次回の来訪は未定なままにモーツァルトとほぼ同時代に設定の喜劇映画に向けて映画館を後にしました。
アフターシアターは、後半戦への待機を兼ねて上映館近くの「ドトールコーヒーショップ 九段店」で。

METライブビューイング「アンナ・ボレーナ」 ~ 怒りのオペラ歌手の本領発揮 [映像・録音]

annabolena.jpg11月6日・新宿ピカデリー・スクリーン2正面後方指定席
週末の暇つぶしとして新楽季の初演目の主催劇場では初上演と言う作曲家には連作の意図なしとの史実ながら「チューダー三部作」の一作目との初物尽くしの御目出度さも感じつつ通い慣れた繁華街の映画館へ参戦。ベルカント作品に予想外にも300席がほぼ満席の客入りに5季目に突入の本企画の浸透と5カ月前に来日敬遠の外題役歌手の人気を実感して米国経済の低迷の反映なのか提供企業の昨季と同一の宣伝映像を退屈に眺めた後に開幕公演に相応しく才知に長けた総裁による「モスクワからバンクーバー、エルサレムからトーキョー」との海外展開の例示にモスクワは今季に初配信との事情に対して他の3都市には言外の意図も憶測と同時に本年が統一記念年ながら都市名ではなく国名でのイタリアにも同様に初の同時上映との事実は幕間でのインタビュー担当歌手からの紹介による告知となって上演作の故国よりも総裁自らが主役陣の3役はロシア勢で占有との得意満面と合わせて伊露両国の米国にとっての存在感への連想と共に主役歌手への聞き取りは上演中は負担大との本人意向に対応との別日収録の挿入映像のような雰囲気も漂わせつつ本企画の今楽季初の演目もあって総裁自身が聞き手を担当の開演前の別室での単独取材の破格的な扱いながら楽屋通路での本企画恒例の幕間を利用の次作主役陣との問答の後方で舞台上では不和の夫婦役の同国人との緊張感の反動の表出とも思えるやや常軌を逸した空騒ぎの様子に冒頭映像に総裁の肝煎り公演への演出的作意感も邪推。三角関係の国王の愛妾を含めた王族全員がスラヴ系の発声によって全編を通じて最も傾聴の共に6月の主催劇場の被災同盟国への慰問興行に出演の愛妾役が劇中王の4代目王妃に似た低声ペアの重唱を筆頭に16世紀前半のクレムリン宮殿でのイワン雷帝の愛憎劇のように拝聴しながら高声ペアの重唱は情愛よりも保身の色合いをよく表出して王妃役は期待に違わずに天下一品の怒髪天を衝いた情動の表出には毎度の刮目。伴奏は理知的演歌のように歌心と快速感の両立による展開の先導役と歌唱の援護役として本劇場のイタオペ主任的な役務を遂行の一方で演出は次代の処女女王の幼少期を想像の女児役も含めて装置と服飾を設定当時の再現に苦心の延長線上として成人向けの絵本を想起の拷問後に登場の楽師の衣装には四肢の鉄輪痕と全身の血糊、照射で目立たせたドーバー海峡の対岸から招請と言う総身鎧姿の斬首人へ外題役の長髪を左手で上げて半身を差し出す姿勢に本企画を通じて劇場名物と認知の農耕民族には正視困難な写実描写も当然のように導入。理由は複合的とは想像ながらも全体を覆う感覚上での停滞感に因るベルカントの愉悦に欠乏の故か「栴檀は双葉より芳し」を想起のドニゼッティ節が散見の出世作らしい魅惑的な楽曲が連続の本作での録音を含めた鑑賞経験で初の退屈感に当惑しつつも1カ月で実演と映像、旧大陸と新大陸、名人と初役での相違ながら三部作の終作と初作との逆順での拝聴によって未だ劇場で未聴の中間作の実聴機会への待望感へ代償行為的に意識を切り替えつつ今楽季の本企画への来訪予定も漠然と手堅く検討しながら約半年ぶりの上映館を後にしました。
アフターシアターは、遅いランチを会場近くの「珈穂音」で。

METライブビューイング「オリー伯爵」(2回目) ~ 天下の名手たちによる天下の名作 [映像・録音]

metory2.jpg9月8日・東劇・正面後方指定席
平日休暇の暇つぶしとして当週より開幕と勝手に設定の「東京ベルカント祭」への景気づけを兼ねて本企画では異例の再見の願望に抗し難く4カ月前に鑑賞の"世界オペラ映像遺産"とも言える本作上演史上で最強とも想像の独唱陣を配置の古今のオペラで屈指の傑作の再堪能に重ねて6日前に発覚の実質的には前世紀から営々と構築の技術国家の国際的暖簾に所管官庁が自ら損傷の放射能禍に起因の本人の意思か否かは不明ながら来日回避のテノール歌手の実演に代わる代償行動も付加の1粒で3度以上とのキャラメル菓子を超える美味を企図の国内興行元の再映商法を利用して東銀座の上映館へ参戦。常用の新宿に立地の雛壇形式の映画館とは規模と形状が共に相違の靴箱型の客席には平日午後の故か30人強の集客となって後方席は周囲が皆無の貸切状態の中で音楽の流れに巧みに合致の常套手段ながら誇張を主体の喜劇性を強調の所作と殊に主役ペアの当代一流との世評に納得の小粋な艶色性を表出の視線演技に注視しながら前回鑑賞の記憶も蘇生しつつ映像収録と作品の曲想もあってか家庭教師役は乾杯歌ではカメラ目線とも思える実演録画では初見の行動に象徴の実力派の主役陣の弾け具合いも名演に寄与して城主妹役の登場のアリアを筆頭に忘我の正味140分間を再体験。震災から約1カ月の長子誕生から約2時間が経過の時点で幕間での外題役の「心からのキスを、日本の皆様」との見舞挨拶に5カ月後の来日を楽観視の判断力を猛省しつつ新年度以降に体得の同胞の不始末の因果とも言える大袈裟ながら国際社会への連帯責任を甘受の代役公演への防衛機制を痛感しながら夕刻の銀座へ向けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、徒歩で銀座に向かって「スターバックスコーヒー 銀座ファイブ店」で。

METライブビューイング「カプリッチョ」 ~ 歌手とオケが一体の舞台 [映像・録音]

metcap.jpg5月14日・新宿ピカデリー・スクリーン1正面後方
前週に続いて新緑の季節のオペラ枯れ対策として通い慣れた繁華街の映画館へ参戦。今楽季での本企画の主催劇場の看板歌手枠は所要時間がプッチーニ作品の1本分に相当の同じ一幕物の「ライン」と同程度のイタオペ派には上演の稀有なドイツ物最後の大家の後世への置き土産に題名にも含意の弟子筋の指揮者と共にオペラの創造と再現の泰斗2人が縦横無尽に描出の連句の筋書も魅力の作品が採用されて当然に幕間名物の歌手同士の問答は開幕前の1回限りの日程上の都合なのか前回に出演のメゾ歌手による同国籍の後輩から先輩への質疑応答によって自他ともに本作を十八番の主演歌手に相応の自信に満ち溢れた応答に依れば大詰の独唱には間奏曲は不可欠との見解が表明されて08年末の昭和の歌舞伎座での大晦日上映として本作の最終場も含んだ彼女のための特別演奏会の映像を想起。歌手陣は映像化時代の趨勢ながら8人全員ともに例えば恋敵同士の二者比較の範囲では作曲家役の外向性、詩人役の内向性など容姿・演技・歌唱で見事に筋書の人間像に合致して殊に伯爵役はアイゼンシュタインを連想の天真爛漫な人柄描写によって姉のような容姿と歌声と存在感の令嬢役に最大の違和感を感じながらも支配人役も加えた五角形の主役陣関係を形成して他の3人の脇役陣も万人が共通に認知の配役人物の国籍と職業を戯画的に好演。英国人指揮者の下で長寿のオペラ大家が最晩年に到達の草書のような精妙な伴奏音楽による室内オペラを映像化への機械処理の効果もあってか巨大劇場での上演でも充分に堪能の目的達成の満足感を抱きつつ未来の3度目の国内公演機会への参戦を期して劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場近くの「車屋別館」で。

METライブビューイング「オリー伯爵」 ~ 当代随一の名歌手による「オペラ映像遺産」 [映像・録音]

metory.jpg5月7日・新宿ピカデリー・スクリーン6正面後方
本企画の初楽季を飾った「セビリャ」以来の南米人のテノール歌手と北米人のメゾ歌手に今回は独人のソプラノ歌手を加えた当人達も特典映像的な幕間取材で「各地で共演」と自認の当代最強の布陣による過去最大の期待作にやや前傾姿勢も自覚しつつ通い慣れた映画館へ参戦。果たして入場案内板には「満席」との貧弱な記憶力ながら近年では未聞の集客となって観衆の多くは当日現在の段階では9月に訪日予定の主役歌手、少なくは翌月に国内初オペラを披露の相手役歌手、ごく僅かでは8年半前の新国立劇場史に残る「セビリャ」以降は瞬く間に檜舞台へ跳躍の小姓役を目当てに主催劇場で初上演とのオペラ史上で最も洒脱な大傑作に参集と推察。大地震発生から1カ月足らずの上演とあって幕間には外来音楽家の来日中止の不幸が連続の被災民には予定通りの上野での出演に根拠の無い期待を抱かせる実に心強い災害見舞いの発言の一方で本上演直前に愛息誕生との家長の立場への家庭環境の変化の朗報を耳にして4カ月後の来日公演に安堵と危惧の天秤が悩ましい外題役は前夜からの出産立会いに起因の肉体的疲労に精神的充足が勝った寡聞ながらマントヴァ公爵役以外に舞台での不出来を側聞しない安定感に加えて生来の個性がロッシーニのブッファ経験を通じて強化と拝察の喜劇作品への適合性が明瞭な表情付けや立ち居振る舞いの名演技によって生物学的制約ながら加齢と共に声質が太くなっても同様に聴衆が待望の聴かせて見せて魅せられる期待を裏切らない上質の出来映え、小姓役も同様に盤石のアジリタ技巧の上に手慣れたズボン役に相応しい溌剌の演技となって三角関係の一角としての存在感を十二分に醸成、初聴きの城主妹役は幕開けから快調な共演陣に触発もあってか登場のアリアから上品な雰囲気を保持しつつ大袈裟な常套的身振りを多用の喜劇的演技を目の当たりにして期待以上の歌唱と芸達者ぶりに魅了されて来日公演での悲劇作品への期待も増幅。演出は初演当時の芝居小屋の再現によって巨大劇場での本作上演の課題を解決しながら寝台場面での主役陣3人の動作と関係性が展開に即して判然としない点を除いては音楽の流れと一致の喜劇所作を随所に織り込んで好感。初日の故か交通整理すらやや破綻の指揮表現に画竜点睛を欠くも「オペラ映像遺産」とも呼ぶべき後世の鑑賞に半ば永続的に堪え得る文化遺産の出現と慶賀しつつ伯爵役と城主妹役の無事の年内実聴、小姓役の望み薄な再来日をひたすら待望しつつ再上映の営業展開時での再参戦も考慮の本企画初の感慨も抱きつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、遅いランチを劇場至近の「珈穂音」で。

METライブビューイング「西部の娘」 ~ 米伊連合の"西部劇ごっこ"へのノスタルジー [映像・録音]

Met1905.jpg1月30日・新宿ピカデリー・スクリーン6正面後方指定席
週末の暇つぶしとして世事多難に起因の4年前の新国立劇場公演への参戦を断念の西部劇オペラへ自国を舞台の初演劇場の上演100周年記念と言う楽日マチネを収録との映像の上映に通い慣れた映画館へ参戦(画像は本作初演当時の初演指揮者が音楽監督を務める初演劇場外観)。近年の「ホールオペラ」で事実上の音楽監督的な役務の新進指揮者による本楽季企画に共通の開始音楽にも短縮採用の往年のハリウッド映画の表題音楽に強烈な残像を勝手に感受の短尺ながらも陰影感と膨縮感に富んだ華麗かつ流麗な劇性を放出の前奏以降、通例とは順序が反対ながら西部劇映画の舞台公演として見れば、接写によって明瞭に目撃の第2幕の紙吹雪が何故か溶けないご愛嬌は別として伊人演出家のまるで屋外ロケの大規模装置の板上への移設かと見間違える舞台的写実に徹した美術の中での群衆場面を含めた演技指導の下で映画女優にしては女傑感に大いに勝った米人外題役以外は年少期は一様に拳銃遊びに興じたと言う伊人中高年の独唱陣、恒例の幕間取材ではおそらく本企画初と推測の自身の生業選択理由と楽屋話も披露の地元の動物調教師と格闘振付師の起用による現実感覚の増幅、出稼ぎ労働者の喜怒哀楽を好演の合唱団からの登用も含めた米国在住脇役陣の好演、作曲家の旋律美を劇伴の視点から殊更に強調の活力と起伏を巧妙かつ精巧に下支えして現代的な懐古感を創出の伊人指揮者の音楽面での貢献もあって本企画での平素の音楽的な異質感の感得なしに拝見。楽季最終作で戦乙女長女役を予定の主役の咆哮を目の当たりにして本役への体力的要求を視覚的にも実感と同時に同胞の盗賊役に影響されてか代役の保安官役の休憩後の復調による三角関係の声楽的安定化によって全開のプッチーニ節を最後まで堪能しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人に従って西口の百貨店へ出向いて「カンタベリ カフェ」で。

METライブビューイング「ドン・カルロ」~ 颯爽の「ドン・ロドリーゴ」を注視 [映像・録音]

metcarlo.jpg1月9日・新宿ピカデリー・スクリーン6正面後方指定席
3連休の中日の暇つぶしに現地ではほぼ1カ月前の土曜マチネで上演と言う版名は不明の伊語5幕版へ専ら侯爵役を目当てに参戦。廃棄対象とも推測の旧版演出と聞く本年の来日引越公演に向けた演目予習も手伝ってか客入りは従前の同じ週末に比較して20代女性が目立って本楽季では初見のほぼ満席の様子にヴェルディの有名作の営業面での優位性とも解釈。外題役には96年の仏語版の同役で一躍脚光を浴びて近年では06年のスカラ座の開幕公演でのラダメス役解任の憂き目に因る同劇場との絶縁宣言とのオペラ界での話題も記憶に残るテノール歌手が新世界での檜舞台に転じて世界同時中継という熨斗(のし)付きで「江戸の敵を長崎で討つ」の故事に近似の配役ながら前半2幕は低調な出発から声帯に負担の発声なのか終盤の主役ペアの二重唱では僅かにかすれ声に達するも最初の休憩後からは態勢を立て直して劇場で会った知人曰く「本企画の映像では概ね不満のない歌唱」との歌手本人としては一世一代的な意気込みは感得しつつその相手役は新進歌手らしい清純な歌声で弱音も丁寧に保持するも年齢の故か最終幕の見せ場のアリアは平板の一方で第2幕第1場や第4幕第1場での声を荒げた歌唱では迫真の表現ながら両者の二重唱では発声の人種的な相違に起因とも思える男声の放出感と女声の内包感が殊に第1幕では相思相愛の雰囲気には至らずに音楽的な感興は全くの不完全燃焼。低声陣では女王役と同じロシア勢の公女役は最初の独唱曲での難度を何とか乗り越えた印象から出番を追うごとに本領発揮の様子で事実上の最終独唱では体躯と同様に貫禄の出来映えを示すも当日の聴き物はやはり侯爵役と国王役に尽きて前者の台詞研究で熟慮された表情、後者の演奏回数に裏打ちの自家薬籠中の節回しの安定感は本作の音域的な下支えと劇作上の重量感を形成して殊に前者の登場時での王子の禁忌吐露を受けた晴天の霹靂的な独言の黙演、その後の華奢な体躯を補完のように王子の庇護者を明示の随所に微細ながら納得の所作、臨終時での板上での横向き歌唱にも刮目して例えば第2幕の女王のアリアの間中は合唱陣の脇で直立像のように不動の姿勢でもなお存在感を放出の雰囲気など「歌う男優」に相応しい見事な立ち居振る舞いに加えて演技巧者には必要不可欠な眼力の変化にも注目して伏し目演技一本のような外題役とは対照的に登場中は他の歌手の独唱時でも常時観察したい願望にも抗しきれずに彼の欠落画面を隔靴掻痒の拝見。演出は全5幕から第3幕を独立の三部構成として移動背景を利用した各場への転換も遅滞なく進行して第2幕第1場の奥舞台まで使用の円柱の遠近感による空間創造には迫力満点ながら続く第2場の各重唱での弱音処理のための音響板としての庭園を分断の壁面の不自然性、第3幕第2場の大詰での火炎を描写の照明を板上の歌唱陣に照射の象徴的表現への好感から一転の幕切れでのミイラような人形でゴルゴダの丘を可視化のような本火での焚刑表現など結局は米国舞台らしい大味かつ説明的な負の期待を裏切らない着地に妙な納得感。偶然ながら初演年がわずか2年先行の翌日の「トリスタン」も連想の政略結婚によって年齢が乖離の隣国の老王に輿入れの王女、彼女と相思相愛の関係の王子または養子同然の甥、両者の関係を察知の老王という三角関係を構成の三者三様の苦悩を描いた作品にアルプスを挟んだ中欧国家に誕生のオペラ史上の高峰としての存在感を再認識しつつ旧教国の貞操、中部以北では新教国の背徳という恋人ペアの関係構築には作曲家の個性または信教の反映とも愚考しながら通い慣れた映画館を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと遅いランチを兼ねて手近に劇場近くの「マ・シェーズ」で。
前の10件 | - 映像・録音 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。