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新国立劇場「オテロ」(2回目) ~ 水を使わない運河舞台の奇妙 [新国立劇場]

otello2.jpg4月13日・新国立劇場・3階上手D席
6日前の週末マチネに続いて新制作時には屈指の贔屓作への勢いにも乗じて都合4回を堪能の一昼夜を明瞭に再現の照明の下での筋書から着想とも拝察の"蜘蛛の巣運河"とその中心の回転塔によって一杯飾りを巧みに変化の舞台の再見機会と同時にそれ故の唖然の背信演出を再確認の衝動にも抗し難く万障を繰り合わせて着座からの視野では平土間の下手区画から3階正面の両脇区画はほぼ空席の平日マチネの楽日へ緊急参戦。幕開け当初はロッシーニが創始と聞く開幕合唱曲の一頂点とも認識の大合唱では平生の席位置と舞台とのほぼ中間地点での音響と音塊に違和感も覚えつつ「50トンの本水使用」と豪語の宣伝文句が空虚に響く資金難と側聞の一方で経費節約の偽装水路でも充分に機能可能とも愚考の本水効果が喪失のペラゴロ人生に刻印の再演での演出の変容は思い付くままに、1.歌手の運動能力の影響とは思いながらも酒宴場面での敵役の事件の首謀者としての一挙手一投足に切れ味は皆無、2.相聞二重唱での上手食卓を利用の夫妻和合を明示の姿勢の省略や歌手の個性とも思いながらも夫人役の当初から憂愁感が全面な表情付けなど後続幕での悲劇との落差の御膳立ての対比感は稀薄、4.第2幕の前奏などでの先年公演では天井桟敷から大道具組を密やかに激励の造波装置での水音の音量調整に苦心の試行錯誤を放棄の故かドブ川と化した運河からは水流音は消滅、3.同幕の幕開けで巧みに表現の「三一致の法則」を再認識の払暁の朝靄から早朝への移行照明と悪役の登場時の時分感と待機感を映画的に表出の歩行喫煙は欠落、5.「クレド」終盤での旗手役の上官居宅の壁面への苔色塗料での手書きの十字架は3回目とは書き順が逆の縦から横への変更に加えて縦横線がほぼ同一の赤十字型の上にさらに縦線の書き出しがくの字化の故にもはや演出意図の図形の連想は困難、6.同曲後での同役の塗料が付着の指先洗浄は先年の歌唱中に持ち上げたバケツを利用の後にそのまま十字架洗浄への円滑的な処理から放水後に直接に運河へ屈伸の行動変更によって無粋な洗浄音の発生と同時に場面移行の緊張感は喪失、7.同曲以降での敵役の以前に経験の同役への演出を反映の結果とも推測の狂人化への眼差しと所作の深化によって原演出者の意向は放擲、8.第一波攻撃の疑念生成を経た第2幕の混声合唱と栄光決別歌での時間進行を中断の幻惑的な照明表現を背景に外題役の愛妻の浮気妄想を可視化の前者での合唱との筋書を情夫との関係に読み替えた夫人の淫婦性を強調の大胆な素足露出と副官からの宝石袋を受領行為や後者での彼女自身から邸内に誘引などの細やかな指示に基づく黙演はほぼ全滅の故に演出意図の聴衆への伝播は後退、9.同幕の主役夫妻二重唱とその前後の主従夫妻四重唱での台本の意味内容を体現の人間心理に根ざした日常的な所作と表情の表出は大いに減退の上に主役はハンカチを運河に投げ落とさずに下手の一段高い街路に置く行為への変更によって敵役が水面から棹で掬い上げた布をその妻が受け取ってさらに夫が奪取との一連の策略の象徴物と本演出での運河を結合の聴衆に証拠物件を印象付ける演出処理は消滅、10.第二波攻撃の目撃証言後の盟約二重唱では部下の先年公演での先行して膝立ちの上官の背後で見下ろす構図から上手後方より眺める立ち位置の変更によって前半の大詰での上下の逆転関係の可視化は減衰、11.第3幕の第三波攻撃の証拠提示での謀反人の先年での頭上にかざす行為からハンカチの早々のポケットへの仕舞い込みで客席への物件提示は不発、12.同幕の本国辞令の黙読場面での主役の苛立ち感は皆無の様子での先年での運河への落下時の副官の驚愕表情と掬い上げ行動から棒立ち的な無表情での捨て置いたままへの変更のために自然な感情の発露と聴衆の重要書類の投棄行為への認知度は低下、13.続く嫉妬の夫からの罵倒で虚脱の潔白の妻は先年のプロンプターボックスへ身体を預ける姿勢からその手前での位置変更によって呆然自失の悲嘆歌唱の情感印象は縮小、14.コンチェルタート後での上官の愛妻への呪詛発言時に敵役の頭部傾斜角度が最大化の所作によって悪事の成就確実感と同時に心神耗弱が誘発との推量可能な逆臣行動の根本原因は矮小、15.同幕の大詰での決め台詞の悪役は橋桁上で気絶の主役から離れて大物の獲物を他者に誇示の狩人のように上手前方から客席に向かって上官を指し示す大見得は消滅して勝利感の聴衆への訴求力は失滅、16.続く幕切れ直前での奸臣の先年での悠然と歩行後の上手後方から悶絶上官への慇懃無礼な一礼から総督夫妻の椅子へ移動後に奥方用を強く後ろ倒して夫君用に深々と着座への完全変更によって策略の動機は変質、17.「柳の歌」での夫人役は先年での寝装の裾をたくし上げて運河内の移動を廃した柳と不可分の僅かな水音をむしろ雑音として拒絶とも思える陸上歌唱への変更によって本演出の独特な情感は衰滅、18.同曲後の侍女の退場では夜道の中で帰路の太鼓上での主人の憂鬱が気掛かりの帰参の逡巡行動は省略、19.続く祈祷場面での妻役の先年での寝台上での横臥歌唱から中盤には上手の月光が差し込む窓に向かってフェルメールの美人画を彷彿の夫の救済を祈願の一場から単純にベッド前への立ち位置の変更によって音楽と合致の宗教画にも擬せられる視覚上の静謐感は消失、20.侍女の殺人通報での太鼓上への移動とその夫の上手居宅の2階の窓からの呼応は何れも玄関前に変更の簡略化によって事件発覚の騒動と謀反人の計略達成の吉報待機を可視化の立体的配置は削除、21.続く自害場面での外題役は「柳の歌」での配偶者と対称のように先年での運河内に聳立の刺腹から瀕死状態で右半身を水路に沈ませながら居宅前の橋桁に仰向けの亡妻に向かって水中前進の末に何故か公演日での結末の相違も想起の結果的には無理心中夫婦の接吻旋律での指先接触での歌詞の代替行為から専ら陸上での立ち回り後に絶命時に漸くに橋桁の上手側から足を運河に差し入れながら自身の上半身を愛妻に重ねる構図への変更の故に手遅れの相思相愛への回帰の静寂音楽の中で移動時の水音が醸成の大団円に至る独特の余韻は放棄、との変化を目の当たりの結果として水張り運河はもはや"無用の長物"との感慨に夫役は本水に全身を浸したくないのか、妻役は聴衆に下肢を見せたくないのかとの疑念も生じる程の徹底性には脱帽ながらオペラには邪道とは承知しつつも本水や本火から発生の僅かな自然音が板上の情感を倍化とも思える殊に大詰での思い起こせばピットでの懐古的なつい前夜の接吻旋律との結合によって名画「ベニスに死す」の入都映像にも共通なベネチアという都市を象徴の聴覚上の表現以上に事件発覚の喧噪から英雄の自害への急転直下の最弱音の中での水音が却って悲劇の一夜の静寂と英雄の純愛を聴衆に伝播の上演国に顕著な美意識にも通底の映画的な効果音の放擲とも愚考。さらに演出家が効果を重視と言う照明は新制作時と同一の邦人原案者が担当ながら外圧なのか演出意図を反映の例えば妄想描写での前後場面との対照、コンチェルタートでの旗手の復讐助言と騒動教唆の2カ所で暗転風の中での会話の2人のみへの照射、「柳の歌」後の侍女の退場時での燈火が目立つ程の暗闇での中央塔の浮上、主役の自刃後から夫婦の各々への照射が幕切れの接触と同時に合体との何れも明暗を強調の鋭角的な照明処理が時に対照性の判別困難な立体感を喪失の明度設定への変更によって劇的展開感では別演出のような印象。独唱陣では盟約二重唱での母語の不明瞭な主従役は楽日の故か疲労気味の様子で全く高揚感を生成できないままに休憩入りの上にピットは前半の大詰の威勢良さとは対照的に後続幕での主役と夫人の各々の嘆きには憐憫の情感も無く淡々と進行の劇伴感の稀薄な音楽によって贔屓曲の堪能には前回と同様に女声陣に頼りつつ被害者役はこれまでの同役での出演経験に基づく終始にわたって無実の悲劇の主人公を強調の清楚な困惑の貞女の表現に対して侍女役はやはり最終幕の登場場面ではヴェリズモの登場人物を彷彿の歌唱ながら自身が主役化の堂々の好演。遅まきながら初めて強烈に体験の再演での原演出の溶解的な変質に業界での許容範囲の寛容度に驚愕と同時に唖然かつ愕然の一方で贔屓作の正常再演を切望ながらも前途暗雲の劇場経営の中で三演は至難とも予測の複雑な気持ちを抱きつつ劇場を後にしました。
  「桜冷え運河の街の波止まる」 昭成
アフターシアターは、新宿に戻って「渡邊」で。
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