SSブログ

新国立劇場オペラ研修所「フィレンツェの悲劇」&「スペインの時」 ~ オペラにお邪魔な恩師の押し付け [新国立劇場]

spain.jpg3月9日・新国立劇場・中劇場2階下手Z席
昨年の震災前日と同様に国費研修生の年度末修了公演の初日に8年前までの本企画の定価と同額の当日券で平日ソワレへ参戦。増税論議が先行の一面では「貧すれば鈍す」の格言どおりとも拝察の予算難に加えて殊に先進国で憂鬱な景気低迷による民間資金の流入不足と興行収入の前年比減少に起因の観客動員数と研修生の出番場数との二律背反的な側面とは別に部外者には経費節減活動の一環とも思える公演日の1日縮減、指揮と演出の外国人から邦人への変更の下で25枚程度の当日券客を前年の平土間の両端席での区画から全席均一料金の関係からか幕見客のように上階封鎖の2階席の一角に集中の措置に身を以て価格に相応の賤民感を否が応でも自覚しつつ係員の監視下で奇しくも共に本劇場での前半演目では「スキッキ」との設定都市で括った7年前の二期会の二本立て、後半演目では作曲家で統一の創作バレエと並立の8年前の異種共闘を乏しい記憶力から再生しながら当夜は同時代作品での「愛妻の浮気」が統一標題とも解釈して行儀良く待機。階下を覗き込むと7割程度と推測の客入りの中で初日でのゲネプロ感も漂流の幕開けとなって演出は座付の創造よりは再現に、研修所で3人の専任講師格の一角との興行よりは教育に軍配の力量とも愚考の才人の覚悟は抱きながらも当夜は悲劇で大団円への意気込みを断念の結果なのか題名並記の文字数での視覚的安定を優先の判断なのかは不明ながらチラシと無料パンフでの喜劇から悲劇への記載順序とは逆順の構成に各編の幕開けではまさかの10分程度の演劇研修生による独語物には「ナイン」、仏語物には「ノン」の唐突な原語挿入もご愛嬌の邦語での寸劇が付加のオペラの開幕では禁じ手とも思える手法が選択されて聴衆の非難を賞賛または自身への勲章と錯覚とも拝察の演出家の創作劇を強制の想定外の苦行は悲劇から喜劇への進展を暗示の居丈高の市長が掃除人へ、不良的な青年が子供へ、民族主義的活動家が花売り兵士へ、軍人隊列が下北沢の場末舞台が最適なちんけな市民群舞への役柄転換の他に両作の独唱陣の他作の群衆への混入もお手軽に古代神の石像が住居内で着席の意味不明な演劇の展開の一方で上手手前の狭隘な室内空間を専ら主舞台化の本編は個性とも愚考の性行連想の直接的表現の他はほぼ伝統的な展開に従って第12期生の晴れの修了公演に水を差すような唯我独尊的な負の効能を発揮。前半作の商人役は多弁の難曲に果敢に挑戦の末に肝腎の決闘場面でやや体力消耗感ながら体躯も加勢の作品の軸としての存在感を保持、その妻役は一触即発の室内で三角関係の頂点として双方を取りなす紅一点の健闘、王子役は雲の上の存在らしい伸びやかな高音に魅力、後半作は修了生も加勢の総じて安定感に勝って既に活躍の先輩連は別にしても2人の修了見込生は邦人歌手には鬼門とも言える仏語喜劇の中でも暴論ながら有名作では「オリー」以来の舞い上がるような洒脱色の濃厚な艶笑譚に各々に所を得て各人の長所を発揮の修了公演には相応しい敢闘の大詰として偏愛の幕切れの重唱を拝聴。伴奏は独仏の2分野で本邦の第一人者とも言える2人の指揮者が薫陶のオケは格上の前者が登壇の一方で後者は客席からの督励のようにも映じて独語物でのテヌート感が印象的な健康的な耽美、仏語物での予想外の柔軟感に生真面目な瀟洒を感受の印象。中一日を空けた再登板の成果を祈念しつつ前任の学者所長から昨年に交代の歌手所長のレア演目を選択方針との選曲力量に関心を寄せながら劇場を後にしました。
  「洋々の明日を伝ふる木の芽時」 昭成
アフターシアターは、再度に及ぶ妄想劇での時間浪費のためにやむなく「喫茶館 英国屋」で。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。