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新国立劇場「ボエーム」 ~ 軽さの歌声と厚さの伴奏 [新国立劇場]

boheme.jpg1月27日・新国立劇場・4階正面D席
前日の当代を代表の歌姫の独唱会に続いて世事に因る週末マチネへの当初予定を2日繰り上げて5回公演の4回目の平日ソワレへ参戦。政権与党の意向とも邪推の当代監督の治世より前季の「椿姫」の画家役、来季の「トスカ」の総監役と並んで代役ながら当夜は詩人役と何れもオペラ入門企画の演目での男声主役陣の一角に「日韓友好枠」とも言える隣国人の起用が続く配役は失策とも愚考の陣容に依って主役ペアでの男声は高音と装飾の力量は不明かつ好みの問題とはいえ屋根を突き抜けてパリ上空に舞い上がるような明るさは欠乏の隔靴掻痒感ながらベルカント物への親和性、女声は古楽物にも軸足の個性に因って第1幕の独唱合戦は期せずして一目惚れ場面のオペラ史上で本作の先駆かつ双璧の名場面と勝手に解釈の「チェネ」を初めて連想の前々世紀前半以前の作品での本領発揮と想起の個性を感受と同時に詩人役の先攻独唱曲は1曲としての単体感も欠如の軽量感に続いて第3幕での主役ペアの二重唱以降では本作の音楽的白眉とも位置付けの珠玉場面を精力減退によって台無しの一方でお針子役は最終幕では病身の設定が奏功とも思える実に丁寧な弱音での歌唱に実力を拝察ながら漸くに当夜でほぼ唯一の傾聴場面への到達には悲劇の再現までには及ばずに幕切れ。脇役男声陣では最終幕の高声歌手も含めた未練二重唱での喪失感を微塵も感じさせない哀愁感の欠如、続く四重唱での客席の中高年紳士を自身の青春時代への回想に誘導の精気に溢れた活力の欠如に演目名にも込められた本作の魅力の一面は皆無のままの帰着と共に堅牢な堀割にも似たヴェリズモ期の分厚い音楽で満々のピットを突破可能な歌手の不在に本人自身よりは起用側の価値観の所在とも妄想を飛躍しつつも邦人歌手では国家評議員役の昨年の非常事態下での「ばら」と同様に画家役との食卓間での眼力対決の黙演でのビスケットからソーセージに変わった咀嚼演技での存在感は毎度の出色。伴奏は年度末恒例の第二専属オケでのイタオペとはやや異質の低い重心感と角張った武骨感も演目の日程編成での優先順位の視点を痛感しつつ当代監督が重用と言う独人指揮者は低速ながら耽美には未到かつしなやかさに欠如の自然な呼吸感からは程遠い居心地の悪い人工美的な音楽づくりと愚考の来季での登場は母国物との予定にやや安堵。側聞の制作経費難に加えて昨年の国策企業の危機管理喪失の失態に因る招聘芸術家の制約は承知ながらも年末の喜歌劇に続いて年初のイタオペでの当代での国営歌劇場の通常公演の力量を実感しつつ心身ともに凍えながら劇場を後にしました。
  「ビル街の風に若菜も首すぼむ」 昭成
アフターシアターは、寒風対策に「香名屋 総本家花園店」で。
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