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新国立劇場「ワルキューレ」(2回目) ~ 第1幕は歌舞伎の時代物風 [新国立劇場]

27070664月6日・新国立劇場・4階下手サイドD席
2日目にして初日が開きました。さすが第一夜に入り、先月の序夜とはまるで違う「構え」が生まれ、(序夜を除けば)ワーグナー初の楽劇の醍醐味を堪能しました。初日と2日目の連続鑑賞はいまとなっては懐かしい前々監督時代での贔屓作しか体験していなく、この出来映えの違いに驚きました。ピットには4本のワーグナーチューバが並び、開幕前から「指輪」の世界へ誘います。第1幕は女を間にはさんだ武士(もののふ)のにらみ合いと双子兄妹の恋情話。前奏こそトレモロに迫力を持たせてはいるものの、初日よりは向上とはいえ、嵐の旋律の表情付けが薄く、公演への期待感はしぼみがちでしたが、それ以降は歌手陣、伴奏ともに初日とは一皮むけた仕上がりとなり、出奔クライマックスまで一気に舞台に引き込まれました。その最大の功績は「間」を強調した音楽づくりと「見得」を随所に採り入れた歌舞伎風味。とくに前半のドラマとなる一瞬即発の男同士の対決に様式的な緊張感と集中力を持たせる効果は抜群。「間」と「見得」は日本人中高年の舞台ファンの心をグッと鷲づかみにします。そう思いながら舞台を眺めてみると、外国人歌手の皆さんの動きも錦絵のごとくピタッと決まっています。とくに敵役は欧州を股に掛けて活躍している当代を代表する性格バス。その高名に違わず、ギョロ目をむく仕草まで役者然として堂に入っています。初日では響きがやや木目荒く感じた声も当夜は豊かに轟き渡り、彼本来の味わいが出ていました。昨秋のNHK音楽祭での同役が初体験でしたが、やっと演技も実見できました。事実上この幕の、それも第2場だけのために遙々極東までよくぞ再訪していただきました。相対する兄役は、この劇場の「オランダ人」でエリックを朗々と聴かせてくれて期待していた配役。しかし、初日は第1幕後半から見事に自沈し、「全き自由なる英雄」になり損ねたのですが、当夜は第1幕は何とか最後まで辿り着いたものの、第2幕ではやはり華を咲かせることはできませんでした。その妹役はオペレッタでデビューし、イタオペも数多く公演している経歴を持つためか、すでに人妻という設定とはいえ、役のイメージよりは表情豊かに「女」を歌い上げましたが、考えてみれば、童貞(であろう)の兄を誘惑し、瞼の父の形見の剣を指し示して終始、兄を導く役回りを立派に果たしました。第3場は兄の独唱を導入として、妹が再登場してからは一転して見事な前場との対比効果を生む開放感が舞台を包み、ワーグナーお得意の延々と続く陶酔二重唱に続いて高揚感にあふれる終結を心底から楽しみました。オペラの劇的表現の広さを感じた見事な一幕。45分間の休憩後、続く第2幕はいよいよ「指輪」全編の狂言回しとなる外題役の登場。前半は夫婦喧嘩と父の昔語りの場、後半は双子兄妹の濡れ場と異母姉弟の初対面の場。「指輪」では随所に橋田壽賀子さんばりの長い独白があり、主役級にはこの長丁場を飽きさせずに聴かせられる歌唱表現の力量が求められます。第1場では結婚神の妻が自分の面子を潰しかねない夫の秘かな計画に怒り、果ては妾腹の愛娘への溺愛をなじります。夫の計画は神々を指輪の魔力から護る秘策なのですが、伝統を重んじる妻には理解されません。天上の世界の話であることを忘れさせる、まことに現実感にあふれた場面。「指輪」台本執筆の頃のワーグナーは「総合芸術」の再興に格闘しつつ、ダブル不倫の真っ最中でしたから、自らの心情と重ね合わせたのでしょう。序夜では色気のない女を平凡に演じた妻役は、本作では伝統墨守の象徴として唯一人古代ギリシヤ神話風のロングドレスの裾をひるがえし、時には膝上までたくし上げながら目を吊り上げて怒りまくります。劇場で会った知人は「これだけ歌うと喉が心配」と半ば呆れるほど。対する夫役も先月から引き続きの出演。明るい声質もあって、荘厳な神々しさはなく人間味あふれた主神を見事に歌ってくれました。夫婦喧嘩に負けて大望が絶たれた時の喪失感、娘への昔語りの語り口、父の命に背いた娘への激昂ぶり、頓挫した計画が愛娘の自己犠牲によって新しいプロットで蘇ることを知った時の喜びようと、作品の中心にある「家長」としての益荒男ぶりは抜群でした。新国立劇場サイト掲載の取材で本人も「神ではなく人間として演じています」と述べているとおり。昔語りでは先月公演された贔屓作である序夜の場面の数々を思い出させてくれました。35分間の休憩の後、大詰めの第3幕は前半はワルキューレたちの戯れと父の怒りの場、後半は父娘の対話と別れの場。前半は本作唯一の大規模重唱を担う8人の妹ワルキューレたちを歌う邦人女性全員に対して外題役の長女一人で拮抗以上の声量を放ち、なかなかの迫力でした。初日の外題役は第3幕が進むに連れてパワーダウン気味でしたが、当夜は最後まで主役の貫禄を保ち続けました。いよいよ大円団に向かう後半では、通常は一場で持たせるであろう魔の炎と告別の場を3分割し、その中間にあたる父が長女を眠らせる件りでは舞台転換ために板前方でスクリーンを降ろし、その前を父が長女との別れを嘆きつつ下手から上手に移る間、告別の名旋律が客席空間を満たすなか、新国立劇場はワーグナーが目論んだ「総合芸術」の神殿となった瞬間に立ち会えました。その神秘は東フィル名物のホルンのトチリに始まり、途中はレジ袋のガサガサ音に悩まされながらも確かに存在。東フィルは別働隊が隣接のオペラシティで公演中とはいえ、おそらく総力を結集したであろう成果はそれなりに見事。新国立劇場屈指の体験となった当夜の公演は、初日では緞帳が降りてきても最後の一音の後までも続いた奇跡的な沈黙が、果たして降幕の途中から4階正面席で拍手が始まり、「あ~ぁ」で閉幕。一挙に現実に引き戻されました。本作のしばしの見納めにと、万難を排してでも4日目公演に出かける強い決意を胸に劇場を後にしました。
アフターシアターは、久しぶりに西新宿のフランス料理「ル・クープシュー」で。
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