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サントリーホール「ドン・ジョヴァンニ」 ~ ホールオペラは半端オペラ [国内公演団体]

27161034月8日・サントリーホール・第1幕上手真横C席→第2幕2階正面下手
ホールオペラでの舞台(ステージ)真横席は3度目。最初は97年のグレギーナの「トスカ」、次いで03年のザレンパの「カルメン」。共通点は上手側、頂き物。この会場では、劇場(ホール)空間ひっぱいに広がる響きを楽しむため、2階正面席またはその左右ブロックを好みにしていますが、予算と演目との兼ね合いから近年はすっかり足が遠のいていました。当夜もいざ着席してみると、ちょうど客席に背中を見せるように配されたオーケストラと、その前に広がる舞台との境界線あたりとなり、声楽面では聴くに耐えない欠陥席であることを痛感。6年前に感じた音響的なもどかしさがいまさらながら蘇ってきました。物理的な状態としては舞台袖でオペラを聴いていることになります。しかも、舞台を見ようとすれば、自ずと壁面に掛かった歌手用の指揮者モニターの映像が目に入って何とも目障りです。ちなみにモニターは壁面に左右各2台と舞台前に2台、加えて舞台側客席用の直立型電光字幕が座席ブロック間に左右各1台。ホール側は決して廉価ではない金額を払いながらも歌手の背中からでもオペラを楽しめる方々も相手に営業していると理解。空席が散見されたため、矢も盾もたまらず休憩時に、係員に差額払いで席替えを懇請したところ、「ただいま空席をみてまいります」と券売所に向かう後ろ姿を見送り、待つこと5分強。戻った係員は申し訳なさそうな面持ちで「差額販売はシステム上できず、新規購入のほかなく高額になってしまう」との丁重な回答を得ました。それならばと、劇場への仁義は尽くしたと拡大解釈し、空席の並ぶ2階正面下手奥に陣取り、後半に臨みました。まず真横席での第1幕は歌を味わえない欲求不満を解消するべく、歌手が上手を向いた時にのみ舞台を注視し、それ以外は専ら客席側を向いて統率する指揮者を拝見することにしたため、歌手の動きを探りながら首を左右に振ってどうにも落ち着けない状態でしたが、おかげで演奏時間の95%は指揮芸術における身体表現の多様性を鑑賞できる希有な体験ができました。若手有望株と評されている指揮者は、白目が丸く見えるほど目をむいたり、科(しな)を作るように身を乗り出したり、天を仰ぐようにのけぞったりと、楽譜記号や台本に由来する伴奏音型を強調する指示に独特の動きがあり、視覚的に大いに楽しめました。第2幕のエルヴィーラのアリアでは、「私はなぜ溜息をつくのか」と歌う時のヴァイオリン音型を大きく描かせる指示では、左手の甲を額に当てながら上体を後ろにそらして悩める女性のごとき姿になったのには思わず失笑。また、叙唱伴奏をフォルテピアノを立ち弾きして強弱の表情を豊かに表出するほか、即興的にモーツァルトのドイツ舞曲を入れるなど、達者な腕前を披露。ちなみに、第2幕の墓地の場への舞台転換では、ステージ前方中央にある大型楽器搬入用エレベーターを利用して巨大な十字架にもたれる騎士長像が迫り上がり、その操作の間、ピアノ協奏曲第23番第2楽章の冒頭旋律を静かに流しました。この演目は喜劇ながら音楽的明暗の交錯が魅力。座席位置もあってか、序曲からずっと彫り込みの浅いまま進んだような気配でしたが、貴族たちの四重唱の場面から俄然佳境に。しかし、贔屓の終曲は予想外におとなしい表現で、ロッシーニ作品の大詰め前の心情吐露重唱につながる主役討伐隊の清らかな三重唱の集中力はまったく期待はずれ。しかも、出だし部分は静寂が命であるこの場面に、少なくとも真横席には召使い群が退場するギシギシ音を入り込ませる演出に大いに落胆。その後のアンサンブルも高揚感のないまま幕に。指揮者が楽員をねぎらう姿を間近で実見した後、先の席替え交渉へ。25分間の休憩後は居場所を移して2階下手最奥席からとくと舞台を拝見。従者役は昨秋のコヴェント・ガーデン王立歌劇場以来の再会。ネイティヴらしく達者に叙唱をこなし、従者の役務を果たしました。第1幕終曲中の祝宴への入りでお茶目に動き回る様は微笑ましくもあります。アンナ役は貫禄の歌唱で、当夜のプリマとして堂々過ぎるほどの存在感を示し、若手中心の共演者に得をした感もあります。農民ペア役も第三歌手の立場に似つかわしくないほどの佳唱。問題は外題役。キャリアが浅いためか、共演者たちに比べて2階奥まで声が飛んで来ません。傍観者のように観察していると、顔を向けた方角には発信できているように聴こえました。歌の表情付けも主役を張るには薄弱さは否めず、これでは共演者全員と相対してさらに圧倒的な存在感を示すべき役割をまったく担えません。昨暮の新国立劇場でのガッロさんには遠く及びませんでした。もっとも主人公を大人を相手にご乱行を重ねる青二才と考えれば、容姿が宜しければそれで良いと無理矢理の納得はできます。エルヴィーラ役も不調なのか第2幕のアリアであえなく自沈。装置は舞台中央奥に寄せ集められたオーケストラを囲むように荒れた板張りを敷き詰めてどこか中世風な雰囲気。それに対して、衣装は歌手たちは現代的(=ネクタイ着用)ながら、助演の召使い群のみ近世欧州的な繻子織風の不釣り合い。演出は筋書きどおりと言ってもよい伝統的な内容。新国立劇場、東京文化会館からNHKホール、新宿文化センターまで幾多のオペラ上演可能な劇場が点在する東京のど真ん中で、ワインヤード型のコンサート専門会場であえてステージを埋め尽くす大掛かりなセットを組み立て、歌手は終始モニターを通じて指揮を確認し、声楽芸術をまったく楽しめない客席を設け、人気演目を伝統手法の演出で公演する意味はいったいどこにあるのか大いに疑問。思い起こせば、演奏会形式でイタオペの醍醐味を味わったホールオペラ以前のオペラコンサートシリーズを懐かしく振り返り、そこには確かに声の饗宴があったことを回顧。これならば、ステージ前方にオーケストラを配し、その奥の台上に独唱者、P席ブロックに合唱を置き、P席の両手前の一角席は指揮者を観察したいオケファン向けとすれば、ほぼすべての聴衆に声楽芸術の素晴らしさを提供できます。演出もその範囲に抑えた技法によって台本の世界を表現すれば事足りるのではないかと思いつつ、カーテンコールではどの歌手にも一様な拍手で、そこここに立ち迎えの方々が目立つ驚きの光景を目の当たりにすると、有名邦人指揮者のオペラ公演と同様に、ペラゴロの住める劇場とは異質な音楽空間であることを実感。今回の公演に参戦した限りでは、所詮はわが国を代表する名コンサートホールでのオペラ公演(=ホールオペラ)とは、主役はあくまでも指揮者であり、オケファンである常連客に贈る、年に一度の歌劇もどき興業なのだと解しました。
 「伊達者の恋路を助く朧月」 昭成
アフターシアターは、手近にホール斜向かいの中華レストラン「トゥーランドット」で。もちろん分相応にテラスメニュー席にて。
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