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二期会「ナブッコ」(1回目) ~ "次世代大器"の熱血伴奏 [国内公演団体]

nabucco1.jpg2月17日・東京文化会館・5階下手E席
今楽季の中盤での頂点と位置付けの音に聞く新進気鋭の指揮者を目当てに実に本格公演は4年前の独人演出家でのフェニーチェを除けば14年ぶりでの贔屓作も加わって物好きは承知の「ナブッコ3連戦」の初戦に万難を排して都営歌劇場へ参戦。果たして耳タコの序曲の前半部は序奏部での強音の打ち込み、低弦が主体の蠢動のような仰々しさ、丸裸の歌唱旋律の音節感と伴奏ピチカートの生気に早くも作曲家後年の「運力」序曲にも通じる本曲独特の緊張感の場内への充満に続く後半部では律動感が全開の音符の粒立ちの良い鋭敏な快速よりも高速に近い血気盛んな演奏に先年にミラノと離別の大御所の若手時代を連想の序曲での早計とは思いながらも本国での逸材評価に得心の本編への期待も増幅から拍手を挟んで続く幕開けは思いがけずも「オテロ」の冒頭合唱を想起の迫力とその後の強弱の振幅を意識の呼吸感の実に自然な混声合唱、第二国家での提携公演先での再唱慣例を前提とも拝察の演出措置と演奏効果も考慮の劇中での1回目の円陣状のヘブライ人に指揮棒を置いても予想外に淡泊な音楽に対して2回目の客電を点灯の中で舞台前面に並列移動での表情を付加の上に最終音を推測12秒もの引き延ばしの一種の外連見と団体競技に一日の長の国民性も活かされた統合感と透明感に優れた歌声の統率力、母国物とはいえ旋律の見事な波状感の表出の上に「フィガロ」の二重唱から七重唱への拡張場面とさらに「ドンジョ」の夜会場面を手本にロッシーニが創始と勝手に解釈のコンチェルタートの劇的展開を閉幕まで少なくとも伴奏音楽はピリピリした緊張感とキビキビした力動感を保持のままにベルカント物の醍醐味を硬派風にやや大袈裟ながら身体の躍動感を誘発の実音化の手腕に本邦の学齢では大学院生に相当の弱冠24歳の大器への芳香を十二分に実感。独唱陣では前半はゲネプロの延長とも受容の出来映えとなって外題役は今後の伸張に期待の蛮王然とした声量での場内制圧の不足を補完の技量の旨味には今後の経験の蓄積を待望の中途半端感で閉幕、長女役は難役とはいえ開口時はメゾでの出自に納得の低音に安定感の一方で声域の切り替えに苦慮とも拝察ながら最期の独唱に至って当夜の主役陣での先輩格らしい本領発揮と拝聴の聴衆の同情感を醸成の作曲家の意図を体現とも思しき帳尻り合わせ的な退場、大祭司役は低声とはいえ伊語感に希薄かつ長音が一本調子のイタオペの魅力とは乖離の棒読み歌唱に祈祷歌では絡み手の独奏チェロがむしろ有節感を放出の主客転倒感と何れも中1日を開けた楽日への再聴に持ち越し的な期待感。決定者は不明ながらベルカント物の愉悦の一部が消滅の本作の「三大」と言うよりは全3曲のアリアでの何れもカバレッタの繰り返しの省略措置には欲求不満感ながらもおそらくは演目との相性も最適の兎にも角にも鬼気も伝播の眼光の若手指揮者の天性と拝察の速度感と弾力感と間合感で聴衆を熱狂に誘導の"音楽での大衆扇動家"とも言える資質を痛感の本邦初お目見えの体験をペラゴロ人生の記憶に留めつつ初日の劇場を後にしました。
  「春疾風明日を持ち来よ心地良し」 昭成
アフターシアターは、寒風下を隣駅まで徒歩の定番の「厳選洋食 さくらい」で。

オペラ彩「アドリアーナ・ルクヴルール」 ~ 女の対決から伯爵の悲恋へ [国内公演団体]

lecouvreur.jpg1月22日・和光市民文化センター・2階正面後方C席
週末の暇つぶしとして拙ブログのアドレスに憧憬の登場人物名を借用の贔屓作の上演に触発されて28回目の今回まで縁遠くも初見の共催団体に本会場を運営の市営財団を連ねた特設の市民合唱団も交えた地域密着のオペラ公演に最寄駅が都心からの地下鉄では乗入私線の終点で直結ながら現地までは徒歩では難儀な主催団体の本拠地とも言える初訪の劇場での若手組へ参戦。当日の陣容で特徴的な国営歌劇場の研修所修了生を起用の男声貴顕三人組では配役筆頭格の伯爵役は結果的には主役化の習練と経験の成果と拝察のプルニエ役でも出演の往事からは別人のような声質と声量によって登場からが実質的な開始とも思える場内の空気一変と共演陣への好影響の効能の出来映えに息の長い舞台人生を切に祈念しつつ演劇の伝統から移入の「トゥーランドット」の先駆と勝手に理解の悲劇に喜劇を混入の存在に畏敬の公爵と実生活での模範の僧院長の主従役は声域の持ち味を反映の静と動、渋みと軽みで研修所では入れ違いの3期差の間柄に相応しい最適な上下関係の絡み役の役務を乏しい興行予算の制約下では間口の広過ぎる空間の中で堂々と務めて高位役のカーテンコールでの憮然的な表情には疑問ながら第3幕での御役御免まで好感の今後の持ち役として経験を重ねた後年での再聴の願望を抱いて拝聴の一方で当日の同役降板に因って当日興行の浮沈を左右の重責を連投の大健闘で完遂の支配人役は本作に奥行きを付加の中年男の滋味には年齢的にも今後に大いに期待。一方の女声陣は中間2幕での大詰の対決は安定感と気迫に欠乏の作曲家が意図の高揚感の醸成は不発に終わって本作の魅力の一面は減退。伴奏は本主催団体に5年ぶりの登壇と言うオペラ自作と歌劇団主宰の両面での活躍に納得のヴェリズモ物ながら「トスカ」と同様な芸術家と高位者との対決に相応の交響楽的に安定かつ構えの立派な演奏の大枠の中で悲劇と喜劇の区分、小気味よい音楽づくりの展開の下に歌謡性と抒情性が前面の欲を言えば本作の一大特質のプッチーニを彷彿の極上旋律の使い回しによる旨味を活かした作曲家が折角に企図と思しき伸びやかで重畳的な実に巧緻な高揚感の形成にやや薄弱な音楽的構築に溜飲を下げきれないままの閉幕。直前まで参戦にやや躊躇ながら若手歌手の溌剌の活躍に前週末の他所行き感覚で拝見のロシア物とは対照的に実に3カ月ぶりの勝手知ったイタオペに本年のペラゴロ生活の本格開始を実感しつつ最寄駅までの行軍中は武蔵野の寒風を忘却の脳内に名旋律の渦巻く幸福感と同時に和光市に納税の市民と企業・団体に謝念を抱きながら劇場を後にしました。
  「目出度さに彩り添へて初音売」 昭成
アフターシアターは、副都心での喫茶となって「珈琲舎 バン 伊勢丹会館店」で。

エスト!エスト!「ルチア」[抜粋]&「プリターニ」[抜粋] ~ 傑作2作を超圧縮の隔靴掻痒感 [国内公演団体]

lucia&pritani.jpg12月9日・ヤマハエレクトーンシティ渋谷・正面後方自由席
年末気分も収縮の国営歌劇場での平日マチネに続いて同じ区内の初訪の劇場で開催の「ベルカントオペラ隆盛期を飾る1835年初演2作品」との趣向による9月の来日公演が刺激の故か今秋の椿事とも言える2カ月前の日暮里での若手公演に続いてベッリーニの難曲に挑戦の主催団体の「ダブルオペラハイライト」との企画の第1弾の意気高揚と推察の関係者への激励も兼ねて本会場と同資本企業が主催の毎秋の銀座での演奏会で既に馴染みのエレクトーン伴奏で無合唱での粗筋紹介の説明入りの形態による抜粋形式の演奏会へダブルヘッダーでの参戦。前半はドニゼッティ作品からの前奏曲を除いた全12曲から5曲、後半はベッリーニ作品からの前奏を除いた全10曲から過半の6曲の構成での作品ごとに独唱陣は交代の形式に依ってルチア組はイタオペで定番的な声域で描出の相愛の高声ペアとその妨害役の低声男子の3人が出演との前提の下では愛好のコンチェルタートは当然に割愛ながら外題役の登場歌と決闘申込の二重唱の他は主要楽曲が並んでやや先輩格の主役が相応の歌声と狂乱歌での貫禄の歌唱を披露の一方でその相手役は自害の最終場を活き良い歌声で情緒豊かに表現して当夜の制約条件の中では名作の拝聴に過不足の無い選曲と独唱陣の熱意が伝播の好感。他方のプリターニ組は当夜の趣向に相応しく初演当時のように"カルテット"が揃えられて合唱が加勢の奇数幕の終曲の除外は受容ながら前半作より約30分の長尺とはいえ叔父と姪の二重唱の他にやはり奇数幕での高声騎士役が活躍の楽曲での相手役との二重唱に縮小の短縮措置による聴く側の不完全燃焼感が先立って選曲如何の問題よりも薄命の作曲家の最終作としても本作の他のオペラとの比較上での特異性を一層強固に再認識しつつ主役のやや可憐過ぎる歌唱ながら狂乱歌での全編を通じて安定の歌いぶり、その相手役の同声域で屈指の難役を若々しい発声で高音も無難に披露の健闘、その敵役の実に自然な歌い慣れた唱法による押し出しの良い歌声に低声での優位性は認めながらも"カルテット"の筆頭とも感受。急坂を下りながら好みの問題とはいえ国費も投入のオケ伴奏と豪華装置付きの大劇場での健康的な生命感が横溢の「金の時代」のオペレッタの魅力を伝播できない空疎感の漂う公演よりも自主公演による独奏伴奏と衣装程度の小空間でのチラシの意匠も直接的にイタオペの天下一品の名旋律に溢れたベルカントの傑作を果敢に再現の若手の心意気に敬意を抱きつつ次回の組み合わせに好奇心を抱きながら週末目前の繁華街へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、会場から最寄駅を挟んで対角線上に立地の「ブラッスリー・ヴィロン 渋谷店」で。

二期会「ドン・ジョヴァンニ」 ~ 散漫の前半から凝集の後半へ [国内公演団体]

nikikaidongio.jpg11月23日・日生劇場・2階正面後方D席
祝日の暇つぶしとして3日前の世界の檜舞台での上演映像の記憶も鮮明に主催団体の創立60周年公演の第3弾の2年ぶりの日比谷公園に面した共催の竣工50周年を迎える劇場へ参戦。外題役には不敬にも宗主国を揶揄の7年前のお払い箱扱いにも等しいネクタイ演出でも配役の2人が担当の年長組の初日は殊に伴奏は前半はゲネプロ感が横溢の音楽にやや緊張感が弛緩の出来映えの中で独唱陣の本領発揮には未到、演出の独人への負の期待を裏切らない色彩感の乏しい装置での粗筋程度の認知ながら「ロッキー・ホラー・ショー」風とも想像のドン・ファン伝説の展開も判で押したような辻褄の不合致に居心地の悪さも生じつつ後半は一転の筋書の進行に比例の伝統的演出の意表を突いた着想の人物描写の放蕩譚に収斂のように最年長と思しき令嬢役も経歴を反映の休憩中での立て直しの成功を筆頭に概して年齢の昇べき順に好感の登場人物の存在感が主人公へ一気に収束化の展開に注視。旧教の高位聖職者の生き霊とも見える彼岸の騎士長は別にしても本作の初演から恒例のように疎外感を強制の婚約騎士役の役割は今回の演出家の才知を以ても不変の立場の役柄に同情に似た安堵感を抱きつつ有料公開研究発表会の翌日以降の出来映えと読替演出の本場の共同制作劇場での反応に好奇心を抱きながら劇場を後にしました。
  「安息の亡者も醒める冬の雷」 昭成
アフターシアターは、外堀通りの「銀座シシリア」で。

北区文化振興財団「コジ・ファン・トゥッテ」[コンサート形式] ~ やはり主役は専属古楽団 [国内公演団体]

hokutopiacosi.jpg11月13日・北とぴあ・2階正面後方A席
震災に起因の放射能禍への危機感が世相に暗雲を残す6月の俊才の読替演出が売り物の国営劇場公演から初演当時の音色の再現が呼び物の区営劇場での本公演まで偶然にも本作の大詰で重唱の台本作家の警句が被災国民の心構えと見事に符号の当年の国内での当たり演目の週末マチネでの楽日へ参戦。視覚面では昨年の充電期間との中断を挟んだ2年ぶりのオペラ公演は7年ぶりのモーツァルト作品となって演奏会形式との触れ込みながら無料パンフでは演出家は無表記の中で装置では上手側での円卓の三点セットの設置、衣装では士官2人組と女中の簡便な変装用意、動作では独唱陣の演奏中での上手と下手間での大胆かつ自然な立ち位置の移動や張り出し舞台での簡単な所作、さらにオケ後方の雛壇に陣取る合唱団の区切りの良い楽曲でのごく簡単な演技付きの出入りなど字幕を含めれば筋書理解には全く支障の無い進行の企図に演出家の営業妨害と舞台美術の発展阻害の意図は毛頭に皆無なものの経費節減または演出面から音楽陣への出費の傾斜配分の観点から景気低迷に苦慮の国内興行で大いに参考かつ検討の余地ありの先導的取組とも愚考の創意工夫に感心。聴覚面では古楽を基軸の音楽祭らしく初演を意識の趣旨の下で棒振り姿からも明瞭な指揮者の個性の発露とも拝察の生真面目な演奏による瞬発力の強固な序曲から殊に管楽器や打楽器の古風な音色も際立って愛好者と思しき聴衆からの作品の進行に伴って2年振りの待望感にオペラ史上の傑作上演も手伝ってか演奏成果は同感ながら異様感も湧出の盛大な掛け声と拍手が会場を満たして割愛が通例の楽曲もレチタティーヴォも含めてか完全演奏とも推測の変装劇の本編開始に至る第10曲までは作曲家の意図とも飛躍の想像すら惹起の快速感の中で叙唱の中に珠玉のほぼ重唱曲がモザイクのように放光の幕開けから通して全体で一つの楽曲とも錯覚の驚愕の実に円滑な音楽進行に感嘆しつつ全体では独唱陣よりは本音楽祭のためのオケが主役との特異性を十二分に理解の上に個々の演奏では例えば無バルブの金管楽器の難技での素朴な輝き、木管楽器の控え目な滋味、打楽器の跳躍的な軽快音に近代楽器では感受不能な本作の特筆の生命感を感嘆と共に再認識。独唱陣は低声士官役と女中役以外はバロック音楽での経験者が参集して姉妹の二重唱では透明感に溢れた清明な音色によって双子的とも思える同質性を表出ながら哲学者役と共に姉役は楽譜を追いながらの歌唱にほぼ終始して後者は重唱部分では繊細な表現を表出ながら何故か両幕の見せ場のアリアすら下向き歌唱によって「彼女の個性」との知人評ながらも感情表現の希薄な出来映えにやや本作の特質の内面的な劇性が後退とも拝聴の一方で繰り返しの励行にも指揮者の意気込みを感得ながら好みの問題とも思いつつわずかに総じて装飾歌唱の奥ゆかしさに喜劇的な側面にやや欠乏の不足感。とはいえ5カ月前の視覚的には衝撃ながら代役指揮者によって音楽的感興では低迷の当日とはまさに雲泥の差の新都心の劇場とは対照的に聴覚的な充実感に溢れた沙翁流に言えば「喜劇は悲劇」の妙味に溢れた音楽史上の最大の天才が遺したオペラでの最高傑作を反芻しつつ翌年の本作より1世紀以上前のレア物喜劇に期待しながら下町の劇場を後にしました。
  「冴ゆる夜の夫婦の槇の揺らぎをり」 昭成
アフターシアターは、当地での定番の「ラ・カザワ」で。

オペラ・クリオーゾ「ランスへの旅」 ~ 音楽は歌い手を輔く [国内公演団体]

reims.jpg10月28日・ゆめりあホール・正面後方自由席
ベルカント4連戦の3日目としてリスト祭の千穐楽でのオペラ作品の編曲演奏会との重複による選択に逡巡ながらも翌日組へは先決公演との連戦不能の状況下でオペラ史に刻印の傑作群の範疇を超越の機会音楽との特質もあって古今を通じて奇蹟とも言える珠玉の名作に果敢に挑戦のピアノ伴奏での自主公演への激励も兼ねて平日ソワレの初日へ参戦。既に馴染みの急激な傾斜の靴箱型の会場は関係者を中心に8割程度の客入りとなって作曲家生誕地での音楽祭で恒例の本作を教材に利用の若手全曲公演を毎夏に実聴の知人らを羨望しつつ国内組には公演自体が事件的な作品の上演機会に期待と危惧が同居の心境で開演まで待機。無料パンフに依れば端役の一人二役を含めて当夜の独唱陣15人中で音大声楽科以外の出身者が推計9人との陣容に驚愕以上の衝撃の他に当夜の演出家の門下生が10人との布陣に戴冠式の祝賀行事としての往事の名歌手の顔見世興行とは勿論に異次元ながらも彼の地の若手公演と同様に市中の一声楽教室の研究発表会での活用との受容の展開の中で独人役が難曲披露に代えて全編を通して隙の無い舞台慣れの歌唱と眼力も含めた演技によって狂言回し役を完遂の自主公演オペラとして成立の伊人役と波人役の両女声陣を両脇に従えた頭抜けた中軸的な存在感に安堵感を覚えつつ記憶には伯爵夫人役の達者なアジリタ技巧、瑞人役の伴奏よりも先行しがちな早口独唱、騎士役の髪型にも影響の若手芸人を連想の流し目での怪演歌唱が残存。第3曲までの50分間を前半として10分間の休憩後の後半は約30分間の祝宴場面を含んだ85分で設定の演出は女将の独唱場面での拳銃騒動の違和感、コンチェルタートでの激しい動作指示による天下の名場面での心情吐露の無伴奏重唱の静止画的秩序感と手紙朗読をシエーナ的に挟んで旅程変更合意を導入のストレッタ部分での舞曲以上に精神の高揚と身体の振動への抗し難い誘引効果の動画的喧噪感を連ねた作曲家のお家芸とも言える音楽的美観の毀損、さらに同場面へのベリーダンスを想起の衣装の舞踊家をお賑やかし役として投入の発想の安易性は視覚への疲労感を惹起ながらも存外に全体的には山あり谷ありの出来映えが却って公演に変化を発生の当然ながら手作り感が満載の装置と美術に学芸会的な雰囲気の一方で5週間前と2週間前に同一作を体験のベッリーニとは対照的に歌唱に大小の難があっても天上的との比喩よりは現世で最極上と解釈の楽興によって意外な程に堪能可能な作曲家の天才的技量を再認識しつつ残念ながら拝聴不可能な翌日マチネでの完成度の向上への祈念と共に老若男女の文字どおりの体当たり的な奮闘と指導者の本作を選曲の英断に多謝しながらオペラ史上の最大発見とも聞く蘇演から30年足らずでユーラシア大陸を横断の先行事例が存在とはいえ極東の島国での当夜の陣容による上演に感慨と同時にパンフに依れば主催者は震災後の国内状況への視線との一方で第3曲を拝聴のうちに奇しくもギリシャ危機に呻吟の大陸欧州、殊に庇護者の独仏両大国への激励の想念を抱きながら区営の劇場を後にしました。
  「萬国の旗もエールの運動会」 昭成
アフターシアターは、予定店が注文終了のために線路際の「麺屋 蕃茄」で。

日伊舞台芸術協会「プリターニ」[抜粋] ~ まさかの難曲上演の心意気 [国内公演団体]

puritanin.jpg10月11日・日暮里サニーホール・コンサート・サロン正面自由席
前月の外来全曲公演から僅か半月を経て「サロン・オペラ・シリーズ」との企画の下で合唱なしのピアノ伴奏ながら予想外の上演自体が事件的な難曲に挑戦の邦人団体への表敬のために国営歌劇場での威風堂々の失速公演から電車を乗り継いでホテルと同居の下町の区営劇場へ参戦。無料パンフに依れば本年は「ロマン派へ」との副題の下で本作の他に「コジ」と「チェネ」を公演済みのようで贔屓の先行2作を聴き逃した非力な情報収集能力を悔悟しつつ屋根裏部屋のような長方形の会場をおそらく通例とは異なる長辺部に舞台を設置の僅か2列の客席配置に平素は最も忌避の舞台を見上げるかぶりつき席以外に選択の余地も無く御常連と思しき高齢紳士群の他は出演関係者を中心の30人弱が参集の中を不承不承に着席。上演中は2メートル足らずの至近距離での出演者を前に視線の遣り場に大いに困惑しつつ合唱部分や繰り返しの省略などによって各幕の演奏時間は国内では9年ぶりの前月公演とは約3分の2の各々で30分・10分・15分の短縮の60分・40分・30分を15分・10分のトイレ休憩的な幕間で繋いだ強行軍での当夜の存在感と印象度の両面での主役は断然に令嬢役となって無料パンフの紹介欄に依れば海外での研鑽を踏まえたベルカントからプッチーニまでを範疇のドラマティコ・ダジリタとして活躍と言う経歴によって高音部での突如の弱音化や装飾部分のスラー化には物怖じしない突撃精神に満ちた女座長然とした貫禄感すら伝播の激唱を披露の力演と好対照に同窓と言う王妃役は登壇時間の少ない中で国内ながらオペラへの出演経験に裏打ちの堅実な歌唱に好感。4人の男声陣では叔父役が前月公演で好演の同役歌手の残像もあって慈愛に満ちた安定感の一方で注目の王党派騎士役は流行音楽分野での出演にも納得の聴覚での風合い感を醸成の独特な掠れ声ながら最終幕の見せ場まで難役への出演自体に意義の役務貫徹の敢闘。アンコール後の座長挨拶では自身の配役希望を受付との自信のみなぎる挨拶に本企画の継続を楽観視してペラゴロ人生に特別的な記憶と確信の至近距離の困惑下で屈指の贔屓曲に蛮勇で挑戦の女座長が率いる5人の独唱陣と長丁場を孤軍奮闘の伴奏者を慰労しつつ主役ペアの個性に溢れた歌唱に驚異と衝撃を感じつつ劇場を後にしました。
  「日暮里や釣瓶落しに似つかわし」 昭成
アフターシアターは、会場近くの恒例の中華店を変えて初訪の「美佳」で。

藤原歌劇団「セビリャの理髪師」(2回目) ~ 華麗な原外題役と颯爽の現外題役 [国内公演団体]

barbiere2.jpg9月11日・新国立歌劇場・4階正面E席
初日から中一日を挟んで見方によっては平日と休日での興行日程との大枠の下で大きくは孤軍奮闘の外題役の休養と少なくは貸切費用の節減を前提に1回目は平日ソワレ対策として人気のソプラノ歌手を配した年長組による新校訂版の付録曲の披露を前面の集客力考慮の上演に対して週末マチネの2回目では若手中心のメゾ歌手での本作初演に準じた新校訂版の実質的な国内初演とも言える棲み分けも明瞭な楽日へ参戦。やや沈滞の前回から気分一新で臨めば隊長役と前回の従者役のこれまで経験の邦人歌唱では最強とも拝聴の共に南條門下生の役不足とも思える程の押し出しの良い端役2人らと一枚看板の外国人歌手を除いて総入替の独唱陣は総じて奇しくも公演時間帯と同様に朦朧の夕闇から明快の白昼に転じたようなブッファらしい活力が横溢の出来映えながら殊に初役とも思しき理髪師役は現代の外題役として「妙薬」での軍曹役が印象深いものの筋書上の窮地を好機にも変え得る才気煥発な若者像を表出のアジリタ技巧を含めて想定外の溌剌の歌唱力と後年の許嫁からの指摘までは主人への忠誠心を堅持の相手歌手への畏敬も反映とは思いつつ従者らしい目線と姿勢で上下関係を表現の清々しい程の演技力によって愛好曲の伯爵との二重唱は前半の白眉とも受容の自身の当たり役として相応の共演陣を得た再見、再々見の機会を熱望の好演。一方の初演時の外題役は復調には及ばずに2日目の舞台慣れと若手共演陣との相性も加わってか歌唱面よりは演技面での一段の滑稽味が向上の出来映えとも拝見しつつも配役の身分と心情に相応の振る舞いによって令嬢を巡る医師との鞘当て救出譚の再確認に至る前回の本役での来日公演でカーテンコールの序列では理髪師の後塵を拝した国営劇場の異邦人監督または邦人演出家の非礼を回復の主役扱いに9年を経て秘やかに溜飲が下がる感慨。なお、演出家自身による字幕は近年の流通版での獣医の医師への呼び掛けで医師名を邦語の語呂合わせによって原意を喪失の意訳を廃して原語での妙味が括弧書きで表示ながら四字熟語や常用漢字外の漢語の頻出によって授業の一環とも聞く主催団体との蜜月音大の学徒への理解に他人事ながら危惧も抱きつつ興味深く拝読。フィガロ三部作の最終作は当然に除外ながら突然の指揮者交代によって世界初企画とも推測の半年間での巨匠による前半二部作を拝聴の好機の到来に欣喜雀躍しつつ指揮者と主役に盤石の布陣での開催国代表のロッシーニの部に相応の満足感を得て劇場を後にしました。
  「長老の指図天晴れ秋祭」 昭成
アフターシアターは、劇場で会った知人らと西新宿まで行軍して「ピッツァ サルヴァトーレ クオモ 代々木店」で。

藤原歌劇団「セビリャの理髪師」(1回目) ~ 歌唱力と集客力の両立の悩ましさ [国内公演団体]

barbiere1.jpg9月9日・新国立劇場・3階正面C席
いよいよ旧同盟国による「東京ベルカント祭」の第一弾としてオペラ上演史に刻印のロッシーニの権威とテノール歌手を招聘の開催国を代表の主催団体による中日の邦人組の廃止に対応の初日と楽日で邦人歌手を交替との新方式の初日組へ参戦。当夜の売り物の傘寿を超えた指揮者の新校訂版での付録曲と言う初演から3年後の再演時でのソプラノ用の追加曲と先立つ音楽稽古場面での長い独唱曲以外は素人には認識の困難な新版を拝聴よりは無念にも国内組には実聴の最終機会と推測の泰斗による作曲家の代名詞とも言うべき傑作喜劇をひたすらに堪能の場として臨めば初日の故かコントラバス3本の編成が却って馬脚をさらに露呈とも愚考の心許ない合奏に先行きを危惧ながらもロッシーニ・クレッシェンドでは序曲での壮麗な隆起は言うに及ばず大は迫力満点の第1幕の大詰や第2幕の五重唱から小は第1幕の男声二重唱や音楽教師役のアリアまで天下一品の立体感に溢れた音響隆起の醍醐味を満喫の一方で序曲から際立ったトランペットとシンバルの伴奏音には仏革命以降の戦乱の残響にも通じる軍楽隊の音色の印象に加えて低弦のピチカートは聴く者に一音一音の存在意義を伝播の心地良い弾力感に溢れてブッファの神髄とも言える生命感に満ちた音楽が場内に充満。本作の初演時では外題役ながら以後の格下げ扱いの慣行から近年に復活の大アリアを披露の公演では事実上の主役に復帰の伯爵役として実に9年ぶりに同役で同じ舞台に登場の名手は有り難くも被災国への上陸敢行の前月末からの稽古を経て独唱会から中2日を挟んで中一日で再登板を予定の強行軍もあってか幕開けのカヴァティーナでは3日前からの不調感を継続ながらも第一声から好みの問題ながら本役では録音時代で最良とも認識の見事なソットヴォーチェを織り交ぜた甘美な歌声によって大向うの掛け声を飛ばしたい衝動も湧出の程にさすがに重心は下がりながらも現在でもなお当代でレッジェーロの最右翼に位置の絶品歌唱の他にもカンツォーネでのフラメンコ調への変容はさすがに今回は影を潜めるも得意のギター自演、2年半前の「チェネ」でも披露の愛嬌たっぷりの静止動作、理髪師との二重唱での邦語台詞、丸めた宿舎提供免除証をボールに見立てのサッカー演技、大アリアのカバレッタでの彼一流のツイスト歌唱などもはやオペラ歌手の範疇を超えた聴衆を魅了の独壇場の一挙手一投足に加えて駆け落ち直前の正体暴露からの三重唱、さらに見せ場の大アリアではリンドーロで見せた自身と等身大とも拝察の庶民的な存在感から一転の別人と見紛うような後年の駐英大使に任命の家格の大貴族としての高貴な微笑と威厳に満ちた立ち居振る舞いが眼前に出現して難曲自体の堪能と共に歌役者の面目躍如の楽興の時間に忘我の境地。その相手役と低声3人組は概して旬の歌声よりは舞台経験と共にほぼ比例の大劇場への集客力を優先のいわゆる年功序列的な人選によって巨匠が40年を隔てて心血を注いだ再度の校訂版の披露機会を損傷とも愚考の一方で主催団体と巨匠であればベルカント作品の醍醐味の一部と確信の脳内物質を大いに刺激の急速部分での繰り返しの励行とカバレッタでの当該箇所での装飾歌唱への当然の反応のように作曲家生誕地での音楽祭と同様に全編を通して各楽曲では伴奏の最終音の消滅まで拍手が発生しない見方によっては国内では驚異的とも思える聴衆の拝聴姿勢の反映として金曜ソワレながらカーテンコールは10時前になっても喝采が継続の反響。振り返れば共演陣には大小の難点ながら久方ぶりの主要劇場での喜劇上演に耳福の時間を実感しつつ翌々日のメゾ歌手での本来の上演形態の楽日組へ心機一転の期待感を抱きながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと隣接の高層ビルの「叙々苑 東京オペラシティ店」で。

首都オペラ「ミニョン」 ~ 明暗の対比が印象的な配役の妙味 [国内公演団体]

shutomignon.jpg9月3日・神奈川県民ホール・3階正面後方
新楽季の初オペラとして当月の第一週末の公演が恒例の湘南に本拠地の団体の本企画へは作品の魅力と歌手の陣容の勘案に依って昨年に続いて偶然にも本年は仏文芸オペラが選曲されて翌週からの「東京ベルカント祭」と勝手に命名の残念ながら本興行の終演後に情報入手の来日を楽観視の1人が脱落ながら当代を代表の名歌手がベルカント三人組で競演の前代未聞の慶事への前哨戦的な関連行事のようにも位置付けつつ初日組のロッシーニを得意の邦人離れのアジリタ技巧を体得の女優役の若手歌手を目当てに多摩川渡河も厭わずに勇躍の参戦。新規開業の最寄駅からの動線にも漸くに慣れて開場時刻の直後に到着の後は苦行を覚悟の最上階への階段踏破を経て無事に着席すると開演の30分前より舞台上では合唱団の最終の位置確認と錯覚の座長役と思しき長身紳士の楽譜らしき紙片の座員への手交や彼らの談笑が黙演で延々と展開されて団員への同情の念を抱きつつ会場で会った知人らとの世間話の横目で拝見ながら女座員の外題役への精神的同体化の劇中劇を基調と拝察の貧民席に陣取る凡人には計り難い十八番の投影手法も含めた高尚な側面も含有の故に本邦初と言う原語上演かつ60年ぶりの東京公演との機会には変化球が曲がり過ぎのボール判定との判断に至った演出は当然ながら脇に置いて目当ての女優役は幕の進行に従って本領を発揮の技量と共に個性の発露とも思える健康的な艶美も比例増幅の登場の度に東欧オペラを彷彿の明度と彩度が揃って低い舞台を救済の一条のスポット照明のような新境地を開拓とも拝見の存在感に対して主役は不幸な境遇の下で屈折の恋心を抱くズボン役を自身の経歴の金字塔とも受容の本作の演劇的な一面を担当の体当たり的な挑戦に好感。男声陣では遠目には人気の脇役俳優に似た容姿の男優役が喜劇的な所作と仏語楽曲の専門家らしい歌唱によって一頭抜けた出来映えとして拝聴の一方で当夜の成果は主催団体には6回目の登場ながら今回が初聴きの在独30年余と言う邦人女流指揮者のピット慣れの力量に負って前半の1時間強、後半の1時間半弱にわたって歌手の呼吸感と楽譜の旋律の流れに根ざした自然な緩急と"間"によってイタオペに比べてやや退屈感も抱きやすい本作の音楽的魅力を望外に提供の結果として伴奏音楽は翌日も拝聴したいとの願望も惹起。残念にも来季は最有名の仏語作品との予告に本団体ならば大劇場の制約は承知ながら国内では稀有な上演機会と思しきアルコア版での相応の独唱陣による公演を勝手に期待しつつ劇場を後にしました。
  「新涼や潮の気回る港街」 昭成
アフターシアターは、馬車道通りへ向かって「勝烈庵 馬車道総本店」で。
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