SSブログ

藤原歌劇団「夢遊病の女」(1回目) ~ "たっぷり"のベッリーニ節は何処へ [国内公演団体]

sonnambula1.jpg9月8日・新国立劇場・4階正面E席
今楽季の初オペラとして篤志家公演が事実上の終焉の情勢下で国内でのベルカント上演の孤塁を護持の歌手団体による名作の初日へ参戦。当日は放送用収録のカメラも設置の賑々しい中で15分間の事前解説に臨めば粗筋紹介の他は主催団体と蜜月の音大オペラで馴染みの前世紀末に製作の装置は今回限りで廃棄との告知に10年前の主催劇場史に残る同じ貧民席で遭遇の「セビリャ」での伯爵役交代劇の余波の終演遅延にダブルヘッダーで予定の中劇場での同演出上演にはペラゴロ生活で初の遅参入場での前半幕の立ち見拝見との事件的経験の記憶も浮上のほろ苦い感慨を抱きながらも私語や前傾姿勢の新参者に苦慮しつつ泰西名作とも言える田園劇へのやや敬遠気味な来し方を自省しながら今回は大舞台に拡張の漸くに3度目の実聴機会に外題役は登場歌では低速にも影響の亡霊のようにも拝聴ながら前年のロジーナと同様に休憩後からが本領発揮の振り返れば本作最大の見せ場の大詰に全てを投入とも思える"20分間の奇跡"を現出の積年の実績を証左の大喝采を招来の貫禄の歌唱、対する相手役は登場歌では許嫁役と共に長い旋律線を保て無いままに豊富な舞台経験を反映の存在感は伝播ながら時折には聴く側に不安心を惹起の緊迫感に心的負担とは言え終曲アリアの比重を除けば主役にも等しい位置付けに何時にも増したようにも感受の発声位置を高めに設定の配役への準備万端とも拝察の歌唱、続いて近年では概してイタオペでは非ベルカント的な音楽に特色の会場劇場の主催公演に常連の伯爵役は属七音での最敬礼の姿勢は聴衆への背中で表情まで体現の滑稽さが個性を表出の演技と共に平素とは一線を画した作曲家の優美な旋律線を強調の伸びやかな歌唱は当日のオペラとしての価値向上に貢献の役割と拝聴ながら残念にも登場歌のカバレッタの繰り返しは省略の一方で唯一の独唱曲の装飾歌唱が生命の女将役はシャーベト・アリア的な位置での見せ場で御贔屓連からの拍手がやや贔屓の引き倒しにも聞こえる健闘の歌唱、伴奏は主役ペアの二重唱は低速での雰囲気醸成の企図が不発の上に第1幕の終曲ではベルカントの愉悦には未到の各区分内での作曲家の魅力の息の長い旋律線とそれを越えた劇的展開を積み上げの有機的な連続性に欠乏の翌日公演での演奏慣れを期待の出来映え。演出は個人と群衆とを問わずに棒立ちと滑稽所作との落差が大きいものの常套的ながら"忘れられたアルシオの希望"とも言える敢えて脇役に視点の幸福感を醸成の幕切れで総括と拝察。本作が含有のシューベルトと通底とも愚考の耽美の深奥を覗き込むような神秘の領域への踏み込みは勿論に望外とは承知の上で大団円の歓喜を拝見しつつ1回限りの宿命を背負って登壇の独唱陣を慰労しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと目的店への入店が適わずに不承不承に「ガンジス」で。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。