SSブログ

東京フィルハーモニー交響楽団「第70回オペラシティ定期シリーズ」 ~ 老匠の絵筆が冴えわたる名画鑑賞 [クラシック音楽]

zedda12-1.jpg6月21日・東京オペラシティコンサートホール・3階正面A席
3カ月半前の世事事由での痛恨の初日断念に帰着の近くの「フィガロ」よりも同一会場もあってか遠くの2年前の国内組には初披露と思しき「スタバト」の感銘記憶が蘇生しつつ今次来日では渡欧組にも皆無と推測のオケ曲を連ねた"風景画家"としての筆致の披露を企図とも拝察の会場を変えながら4日間で3回の老匠の短期集中でのオケ物の初日へ参戦。無料パンフの演目紹介での初心者には中心曲以外は一様にレア物との単純至極な印象以外には曲名ではおよそ想像不能な十重二十重に張り巡らされた重層の掛け言葉的な作品間の関係性がコンチェルタートの多重唱を連想の練り上げの選曲に感嘆しつつも3作目を除けば作曲年代順での当夜の通奏低音に似た"英国ゆかり"とも拝察の4作の起承転結的な構成の1曲目は9曲組からの勝手な印象ながら当夜のイタリア交響曲の雰囲気と主題断片を含有の2曲割愛に加えて冒頭からは移動困難な序曲と対置のブリテンの引用が有名な第2曲を終曲化を前提での中間5曲の外形的には典雅と快速が交代の変化を演出の2組の後に最終曲への繋ぎ的な最短曲を配置の真意は浅学の身には勿論に推量不能ながら「ポッペア」の録音も存在とはいえ意外なバロックの弦楽合奏の選曲に室内オケ的な編成とは別次元での過去に実聴のロッシーニ作品で体験の浮游感が横溢の当代随一の優美洒脱な運びにヘンデル作品での拝聴願望も派生の当夜の楽員には腕慣らしと聴衆には耳慣らしの教育的効果を考慮の選択とも思いながら傾聴の後の2曲目はロッシーニのパリ入城時には同地で盤石の地歩との同胞先達の交響曲は冒頭楽章のやや長尺ながら当時のイタオペの序曲らしい簡素な展開の構成美や舞曲楽章の中間部での小粋な旋律に南欧風味を感じつつも本作自体は全体では門外漢には同時代のベートーヴェンの殊に本作に先立つ10年前の英雄交響曲までの3作を濃厚に連想の色彩と旋律に溢れながらも"脱独入仏"とも言える老匠らしい音色と音響がごく自然に異曲らしくも感受の本作の特色とも言える両面性の一方への見事な照射に驚嘆。後半も一段と拡大の一対の組曲と交響曲での構成となって「トゥーランドット」への第2の大詰補作の記憶に起因の苦手意識の先入観で臨んだ前半の11曲組では指揮者が教育責任者を務める毎夏開催の夏期講習会での師弟関係と推測のメゾ歌手は最上階の最奥部ではやや聴取難儀ながらも短曲とはいえ一部にベルカント唱法には不適な方言を含めた実に8種の言語との東洋人には難曲であろう殊に各曲の詩情世界の織り出しに傾注とも拝察の一節一節を丁寧に表現の健闘の後の最終曲は漸くに耳タコの泰西名曲で緊張の弛緩と思いきやこれまでの「嵐の音楽」や「テル」序曲での自然描写のオケ曲の実聴から当然に期待値をもはや凌駕の米寿途上の老匠と彼に心酔とも聞く呼応の楽員が現出の望外の軽やかで瑞々しい推進力が通底の各々に独立の一幅とも拝聴の4幅の名画を堪能の30分間の後にはおそらくは当世の国内オケでは稀有例とも推測のアンコールとして繰り出された再奏の直前の最終楽章はさらに脂が乗った文字どおりの熱演に場内は興奮の坩堝への沸騰。当然に演奏慣れの次夜への期待はなお倍加の毒蜘蛛からの刺傷も斯くやとの心身の熱気を感じながら会場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと手近に階上の「叙々苑 東京オペラシティ53店」へ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。