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ポーランド・テレビほか「ブリューゲルの動く絵」 ~ 美術と技術の幸福な結合 [その他音楽以外]

bruegel.jpg2月3日・ユーロスペース1・正面自由席
平日の暇つぶしとして3日前の09年製作の実録映画に続いて昨年末の80年近く前の喜劇を鑑賞時に映画館の入口に掲示のポスターに一目で食指ながら詳細確認を放置のままに危うく見逃しかけた一昨年に製作の実験的映画に筋書も不明な状態で世事をかき分けて最終日の最終回へ滑り込みの参戦。8年前の新国立劇場の「ファル」での事前説明会で演技指導に写実を重視の英人演出家が曰く「フランドルへの変更理由は筋書の設定年代で市民生活を描写の絵画が唯一に残存の地域」との記憶が浮上の魅了のポスターを一瞥して入場すると最終上映に間に合わせた半数程度の客入りの観衆に微弱な同志感も湧きつつ上映まで俳優が扮装の5カ月前の「トロヴァ」の紗幕絵と同一の表題画家の自画像的な大首写真と背景画的な登場人物たちで構成のポスターを拠り所に絵画が如何ように動くのかを予想とも言えない茫漠の想像の中で待機。画家の2番目の大作と言う「十字架を担うキリスト」を題材に前半の40分間は時に絵画と実写を巧みに合成、時にその延長線上で監督が創作の映像によって中央に鎮座の風車小屋に居住の粉挽職人に始まる監督が画中の群像から抽出との人物に焦点の早朝の日常生活から街道と思しき場所での雑多な庶民の日常生活の描写に続いて次の20分間では彼らの平穏を破壊の森林を駆け抜けて到着の騎兵の一団がおそらくは異端の咎での子牛売りの若夫婦の亭主を車輪刑で処罰の事件から筋書が本格化してその光景に憤慨の画商からの提案で絵画の構図どおりにフランドルに読み替えた有料パンフではキリストの最後の6日間と言う聖譚が二重写し的に展開。後半ではいよいよ本作の山場に向けて20分間はローマ帝国を旧教勢力、救世主を独立運動家、盗人を狂人に変換での絵画には無描写の「最後の晩餐」の模様などの創意場面も含めて絵画の中心点のゴルゴタへの行進、下手の遠景での十字架刑、中央部に遠景での絞首刑図をユダの自害に見立ての展開となって圧巻は行進場面での背景図に切り絵を貼り合わせる知育教材ように絵画と同一の装束と構図での生身の人間による再現は7カ月前の「コジ」の美術にも通じる撮影地探索も含めた天然自然と伝統工芸と先端技術を見事に結合の人間の着想力と創造力の結晶の賜物と実感の後は幕引きへの展開として唯一神の象徴にも思える処刑後の地震発生は無いものの深更らしき暗闇の平原に襲来の稲光と雷鳴を転換点にパレスチナでの史実と同様に庶民の日常生活への回帰に続いて最終場面らしい明朗快活な門外漢ながら彼の地の快活なルネサンス期の世俗音楽での庶民ののどかな集団舞踊で一巻の読み切り。パンフの解説に依れば筋書展開の契機のスペイン圧政は作画時期とは前後との事実に基づく通説には相違の作品意図ながら作画から数世紀前の「鳥獣戯画」を加工の動画化を遙かに凌駕の高度な技法での人物版との卑近な連想に脳神経の非力さを痛感しつつ画家の下絵挟みから散逸の1枚に先輩格のボスの模写と思しき空想動物の線画、室内場面では窓からの自然光がフェルメールを意識とも拝察の構図などおそらくは西洋美術愛好家への監督からの暗号も含有の好事家好みの一編に作画から5年前での任地からの帰国と設定のポーザ侯爵の義憤と悲願の由来を可視化の作品として記憶に刻印しながら谷上の劇場を後にしました。
アフターシアターは、最寄駅への途中で寄り道的に「若狭屋 渋谷店」で。
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