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映像「アドリアーナ・ルクヴルール」 ~ 敵役が外題役に [映像・録音]

26719233月29日・NHK衛星放送第2自宅録画・2000年1~2月収録・スカラ座
市販ソフト(画像)があるため、国内で最も流通している映像でしょう。公演後もなお傑作的な旋律美の世界に浸りたいと思い、DVDを手に。幕開けは筋書きと同様に演奏も落ち着きませんが、主役の出とともに一気に引き締まります。主役に限らず、卓越した歌手の登場アリア1曲によって公演の出来映えが一変することは国内でもよく経験します。白眉は出番が少ないとはいえ、大公夫人役のボロディナさん。台詞によれば初めての恋に身を焦がし、その恋路の邪魔となる主役と嫉妬対決する高貴なる中年女性の哀切と凄みを余す所なく表現。敵役が主役を凌駕して外題役に相応しい存在感を示すことは、これも国内でしばしば記憶のあること。この公演では些細な例ですが、第3幕の恋敵をあぶり出す作り話の場で修道院長に向かって「黙って!」という一言もビシッと決まり、なかなかの見応えでした。第1幕の舞台監督役による短い失恋歌は、初演が10年早い「パリアッチ」の幕開けで朗唱されるトニオの前口上と雰囲気が瓜二つで、ヴェリズモの香りが漂っていることに遅まきながら気づきました。両作品とも演劇人の悲劇をライトモティーフ手法で描いています。しかし、ライトモティーフと言っても本家のワーグナーのように数小節が台詞・行間の意味に基づいてモザイク式に点滅しながら聴こえるのではなく、そこは同じイタリア南部人気質からか、名旋律として朗々と響いてくる美意識も共通しています。また、この舞台監督役は第3幕でチェロとのユニゾンによる強く印象に残る一節で、「お戯れは高貴な方々に任せよう。私たちにはなんの得もない」とのヴェリズモの世界に生きる庶民の心情を垣間見せます。余談ですがこの後、主役がロウソクを消す場面の静謐感は間奏曲的な効果を生み、作品の山場である女優対大公夫人対決の場への導入の役割を果たします。この作品の持つ大きな魅力の一つは、悲劇の中に滑稽役である大公役、修道院長役、俳優仲間役を入れ込み、作品に絶妙な変化を持たせていること。悲劇での喜劇的脇役の登場は有名作では、「仮面舞踏会」のオスカルを先触れとして、「運命の力」のメリトーネ、「カルメン」の密輸商たちを経て本作に至り、この後約10年して「トゥーランドット」の3大臣に至る系譜が見えます。この点にも本作のオペラ史的な価値は大きいと理解。なお、本ブログはこの大公に敬意を表して役名をハンドルネームとしています。
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