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東京国際フォーラム「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012 No.141」 ~ 指揮者兼俳優兼舞踊家の一人舞台 [クラシック音楽]

東京国際フォーラム「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012 No.141」 ~ 指揮者兼俳優兼舞踊家の一人舞台

lafolle1.jpg5月3日・東京国際フォーラム・ホールC1階正面前方指定席
大型連休の暇つぶしとして前々日の知人からの勧誘連絡に頂戴券には節操なく反応の悪食習性を発露の応諾によって詳細不明のままに本年は無縁の予定の熱狂祭で開幕二番手となる"午前マチネ"との親子向けの意図が明瞭な選曲での演奏会へ参戦。前日から続く大雨の中を世事に起因の重い身体を実感しつつ開演25分前に会場口での入場券につ続いて入場後には開催趣旨に違背とも見える作品紹介の煩瑣を省略の本公演の演目表を手交されて不慣れな平土間の前方席に着席後は隣席の2年前のショパン年にも同様に有り難くも同道打診の知人との雑談で暫時の待機の後に当日から本拠地でも同趣向の音楽祭を開催と言う室内オケとその音楽監督の国内本家への参勤熱意に慰労しつつ前半は保護者向けにも等しいおそらく無調好きには勝手知った短曲が選曲されて楽譜指定は不勉強ながら世界的にも当代屈指と想像のショーマンシップに溢れた指揮者の異才が早くも発現の暗転の中を舞台中央に鎮座の低弦二部3人で人知れずに開始の序奏中に指揮台を中心に左右対称の立礼演奏での独奏ヴァイオリン2人がやや前面のヴァイオリン各3人、ヴィオラ2人がほぼ半円状に整列後の照明点灯から主部の開始となって現代曲風の展開に居心地の悪さを感じながらも何故か中盤では指揮者の制止を無視の起立奏者の指揮台への前進に指揮者の舞台脇への退避、ついには意味不明にもオケの順次退場後に独り残留の指揮者は台上に上半身をうつ伏しての終結。中心曲への舞台転換は指揮者のお色直しの時間ともなって上半身は自身の愛称と駄洒落で掛けた米国の漫画主人公入りの白色のトレーナー、下半身は赤色の運動着、足許は水色の運動靴との派手な出で立ちによって狼以外の7役を多彩な声色、能弁な語り、俊敏な動きを駆使して途中で自身の生命倫理感も主張の自筆の脚色と推察の台本に基づいて客席も使用も八面六臂の奮闘によって舞台演技の勘所を押さえた芸人的才気の放出に加えて狼の登場時にはトレーナーの下に着用の狼の頭部を正面から大写しのTシャツを客席に披露の子供を想定の視覚面での大胆な仕込み、家鴨の生還場面では狼の毛皮に見立てた灰色の織物で覆われた指揮台が実は鳥籠として実際に自宅で愛玩と言う家鴨の取り出しの「子供と動物には敵なし」との舞台芸術の定則を実践の公演効果への計算性には脱帽の一方で子供向けの音楽物語の観点からは殊に管楽器が総じて旋律の歌謡性と描写表現での「芝居っ気」とも言える呼吸感の豊かな劇性の表出にはやや希薄とも拝聴。休日午前の子供向けテレビ番組を視聴の感慨にも浸りつつ「ゲームばかりしないで屋外で遊ぼう」との還暦の指揮者の呼び掛けを聞きながら文字から画像での想像力形成に転化の21世紀世代の脳細胞の変化への否応の無い文明史の必然も想起しながら勧誘主の知人から情報入手の街角公演に向けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、従って省略。

古典音楽協会「第145回定期演奏会」 ~ 「継続は力なり」の底力 [クラシック音楽]

koten.jpg3月26日・東京文化会館・小ホール正面後方自由席
前週末からの三連戦の後半での頂き券には悪食の習性に起因の「頂戴券オケ連戦」の後半として前日とは楽団規模と平均年齢、定演歴と選曲領域などの諸点で見事に好対象な本邦初の室内オケと言う主催団体の平日ソワレへバロックを愛好の諸兄姉間に闖入の"借りてきた猫"に近い神妙な心持ちでやや緊張の参戦。当夜は大劇場の閉場日に拠る入口でのチラシ配布も無く薄暗さの目立つ閑散のロビーから下手に折れて建設当初は国際会議場としても想定と聞く国内屈指の小劇場の屋内ながら設計上の都合とは思いながらも入場口までの上り坂が醸成の楽興への期待感を一歩ごとに増幅の独特な雰囲気を体感しながらほぼ満席の指定席区画は馴染み客の歓談で喧騒感も感受の状況を後方席から微笑ましく拝見しつつ「ドイツバロックの名曲」との特集の下で冒頭曲は大バッハの2世代後進にあたる作曲家の弦楽作品をコントラバス1本での編成で肩慣らし的に演奏の後からはテレマンの2作で本格開始となって門外漢ながら女流でのヴァイオリン2挺の協奏曲では短尺の中間楽章はあくまで憂愁の情感の範囲内、リコーダーの協奏組曲では独奏者の表現に人間的な呼吸感と躍動感に溢れた活力を感受。15分間の休憩時間のロビーは開襟姿の人品骨柄の卑しからぬ熟年紳士が中心の老若男女が立談に興じる風景に異邦人感覚がなお強く湧出の後の後半はバロック分野での同年生まれの二大巨匠の個性が表象の作品を並立の選曲となって大陸残留側のチェンバロの第5協奏曲は緩徐楽章での有名旋律を装飾のピチカートの瑞々しい一音一音に伴奏の領域を超えた存在感を放出の人生の幾星霜を蓄積の演奏家からの賜物感の得難い感興から転じて勇躍渡英側は実質は演奏会形式オペラとも言えるオラトリオの幕間作品に相応しく当夜の最大編成の16人による娯楽性と同時に優れた律動感と緩徐楽章の抒情性が横溢の起承転結での4楽章の展開内容に突飛ながらベートーヴェンの第7交響曲を連想の当夜の掉尾を賑々しく飾って総じて高弦の女性陣に対する低弦の男性陣に音符が粒立った機敏性と旋律に対峙の表現性に好感の名曲選による全員が独奏者とも言える状況下での室内楽の妙味の一端を堪能。コンマスに疲労感も拝察のアンコールは後半楽曲の「バッハのラルゴ」の転用元と言うカンタータの序曲を用意の愛好家らしい粋な趣向によって編曲物を偏愛の身にはチェンバロとオーボエとの見方によってはバロック音楽を象徴の楽器間での実例拝聴の心地良い幕切れ。楽団サイトを英国籍で開設の素人目には古楽演奏家らしい行為に得心と共にロビーでは100人程の弟子・縁者・知人と思しき居残り組が三々五々に各自に関係の奏者と談笑の光景をすり抜けて対照的な左手の非常灯のみが照射の通い慣れた大劇場ロビーのめずらしい静寂光景に好奇の視線を送りつつ数日来の風邪症状も思わずに忘却の癒し効果を実感のペラゴロ人生でも稀有な機会と推測のバロック室内オケの記憶を脳内に格納しながら2時間弱前に登頂の坂を下って劇場を後にしました。
アフターシアターは、本劇場で恒例の「厳選洋食 さくらい」で。

ニュー・チャンバー・ソロイスツ「第5回定期演奏会 ~ チャイコフスキー・シリーズ ~」 ~ 景気良さは市民オケの特権 [クラシック音楽]

newchamber.jpg3月25日・新宿文化センター・2階正面後方自由席
翌日のバロック楽団との「頂戴券オケ連戦」の初戦として知人からの招待券利用の勧誘に二つ返事で呼応の市民オケの年例定演へ参戦。室内オケの名称ながらオケに拡大のアマ団体の無料パンフでの今回は前半の文学青年像と後半の人間探求描写との対比と言う企画意図によるチャイコ特集で大規模作品には初挑戦との代表者の意気込みが文面から横溢の挨拶に過去4回の演奏経験を踏まえた出来映えを期待。若手指揮者の統率もあってか若々しさが前面の肩慣らし的な「オネーギン」のポロネーズを豪快に鳴らした後の「ロメジュリ」も同様に第1主題を歯切れ良く聴かせて再現部ではチャイコ節が全開の活力に魅了の一方で第2主題の表現にやや控え目感も感受。後半の第5交響曲は最終楽章は学生吹奏楽団も演奏の有名楽曲ながらアマオケとはいえ定演ごとに現役と将来の職業音楽家も混在との「音楽的技量」での選抜を経て片手程の練習回数で本番を披露との運営姿勢の故もあってか独奏での個人的手腕と合奏での集団的力量の両面からアマの域とは隔絶の演奏内容に敢えて欲を言えば確信犯的な客観表現の場合を除いて殊に第2楽章での作曲家独特の身を焦がすような蠱惑的かつ煩悶的な旋律美の精妙微細な表出の妙味にはやや健康的に過ぎる音楽展開に物足り無さも実感。アンコールは当日の特集と昨年の地異を見事に結合の「モーツァルティアーナ」の第3曲が選曲の結果は前曲の終楽章の一面では狂騒的突進から転じて室内オケの原点らしい抑制的な弦楽主体の慰撫音楽が場内をひたひたと充満の鎮静作用に楽団員の内面の創出とも拝察。次回特集は初回と2回目で実績のベートーヴェンとの由に新編成での古典派への回帰に新たな楽団史の展開を期待しつつ週末の黄昏前の繁華街へ劇場を後にしました。
アフターシアターは、喫茶となって自宅近くのカフェで。

世界こども財団「ブリュッセル弦楽四重奏団 東日本大震災復興支援チャリティコンサート」 ~ 篤志家公演のありがたみ [クラシック音楽]

brussels.jpg2月24日・サントリーホール・小ホール正面前方指定席
先週末の楽興の3連戦に続いて各種分野で劇場通いの「諸々四連戦」の初戦として知人からの厚意の招待券を利用のペラゴロ人生で指折り程度と予測の室内楽の演奏会へ参戦。贈呈応諾後の演目と奏者の確認によって現地に留学の大和撫子を含めて団員が同門かつ各地での各々の教鞭経験に加えて先年に邦人指揮者が音楽監督に就任の歌劇場の首席連との認知に興味も俄然に増幅しつつ半ば関係者向け公演とも推測の中を他所物の立場と門外漢の分野の両面から予習も無いままに"借りて来た猫"の状態で先着者を分け入って無事に着席。前半でのボロディンの意外にも1作目を選択の初聴の演目は先月の「イーゴリ」を想起の作曲家節も確認しつつ内声二部がやや控え目ながら室内楽らしいアインザッツの鋭敏さへの感受と同時に楽章を追うごとに音色が明瞭に変化の終着点として最終楽章では結尾に向けた壮大な構築美を形成の後は本邦楽団の海外遠征でのタケミツ物のように自国の現代物の弦楽四重奏曲から最初楽章のみが紹介されて冒頭の無調性や滑走音での如何にも現代音楽らしい音響の印象によって保守感性の無粋な東洋人の耳には定型的な羽音描写にほぼ終始の曲想は蜂よりもむしろ虻を連想しながら飛行音の消滅的な終結は退散なのか絶命なのかが判然としないままに10分弱で終息。20分間の休憩後は主催団体の活動と当夜公演の目的を考慮の結果とも拝察の役柄では乙女とは程遠いものの弦楽合奏分野での「ボエーム」にも比肩のシューベルトの有名曲が選曲されて前半曲での古典的な作風とは好対照に歌謡性に優れた本作の特徴とピットが本務の団員の特質が合致の殊に変奏楽章は連作歌曲の語り部のような自在な速度設定と表現変化に当夜の白眉とも思いつつ最終楽章のタランテラを想起の主題のほの暗い律動感も印象的に拝聴。アンコールもやや我田引水ながら古典とロマンの曲想の2曲が並べられて当夜の実質的な主宰者とも推測の後方区画の最前列中央に陣取った障害児教育分野での私学経営に辣腕の創業者の愛好曲と言う献呈的な有名カノン曲に続いてチェロ奏者の楽譜不携帯の御愛嬌を先導に訪問国の聴衆用に用意と拝察の歌唱旋律を第1と第2のヴァイオリンからヴィオラへの3節に編曲の「悲しい酒」では音符を追っただけの棒読み歌唱の退屈感の周囲への説明の比喩曲の思いがけない登場に吃驚のイタオペでの伊語の波状感と歌詞含意に無顧慮の歌唱よりも当然ながら遙かにベルカント的な演奏表現に中高年が中心の客席は当夜の最重要課題とも愚考の貴賓席の楽興感も含めて後方席にも気遣う大和民族の異民族の起立拍手に代わる顔前拍手も散見されて当夜の成功を部外者としても同慶。地殻活性期への突入と共に5年前の「キショット」を最後に資産家の出資興行も期待不能の状況ながら当代の海外雄飛の邦人音楽家の筆頭格とも言える音楽監督の下での当夜の楽団員の本業での来日をひたすら待望の一方でウィーンの歌劇場と同様にピットと室内楽活動と後継者育成との三位一体の演奏家活動に国情による社会風土と劇場経営の多様性は承知ながらも歌劇場の社会的位置付けと楽団員の役割認知に彼我の相違を再確認しつつ喧噪の残る劇場を早々に後にしました。
アフターシアターは、手近に最寄駅ビル内の「いづ味」で。

東京藝術大学演奏藝術センターなど「オスマン帝国の栄光 ~ トルコ行進曲の秘密」 ~ 世界最強のオスマン軍を聴く [クラシック音楽]

genroku4.jpg10月15日・奏楽堂・正面後方自由席
女王陛下の名演説に感銘の「東京ベルカント祭」の閉幕公演から中1日を空けて週末からの3連戦の初日として前週末に続いて「元禄~その時、世界は?」との芸術大学らしい音楽愛好家の好奇心に訴求の学際的な視点での全5回の企画中で目当ての欧土の形勢逆転劇とも言える第2次ウィーン包囲が元禄改元の5年前との史実に着目の第4回へ参戦。入場券の発売時よりドニゼッティ晩年の介護に子息を遣仏の実兄がトルコ軍楽隊の洋楽化への初代楽長として厚遇との観点では仮想のオペラ祭の名残行事として実に唯一の国営音大らしい好事家好みの変化球的企画との牽強付会の解釈と直木賞作家の国営放送局のドラマ主題曲として巷間に流布の独特の魅力を放出の軍楽の元祖とも愚考の稀有な実聴機会との二重の意味での期待感を抱きながら前月中旬より週2回平均で入場の劇場が主催の「リゴレット」に行列の聴衆、劇場脇に集合の修学旅行の中学生、浮浪者への説教に余念の無い宗教家と伝導手段の食糧配給までしたたかに着席清聴と思しき一群と秋日の恩賜公園を随意に楽しむ集団三態を遠望しつつ雀躍の足取りで会場へ到着すれば前回との比較では邦楽組の出演の有無が影響の故か後援のトルコ共和国大使館の関係者とその家族と思しき異邦人を含めて開演5分前で約100人が参集して現地より演奏家を招聘ながら本企画への関心者の稀少性を痛感。開幕前の企画者の挨拶と反射板装置の不具合への陳謝の後に開始の1時間弱の講演の部では突厥に由来のトルコの軍楽と楽器についての豊富な資料画像と実演動画を交えて5分間の地理と日土関係の前置き的な説明後に15分間の8世紀に遡る軍楽史の概説での親衛歩兵軍団とその付属軍楽隊の規模や平時の役割などの実像、10分間での4種の打楽器と2種の管楽器で構成の使用楽器と指揮杖の紹介での攻め手側の状況に続いて以降は防御側の受容の具体事例として10分間の18世紀以降の楽器と楽曲の両面での欧州への決定的とも言える音楽的影響を再認識の講話を経て学部2年生のピアノ独奏による10分間での優美なモーツァルト、5分間での編曲版の豪壮なベートーヴェンの両者のトルコ行進曲への解説では前者での長短の交替、反復形の頻出、強弱の急変に欧州でのトルコ軍楽への心象の端的な集約の他に楽章全体の鳥瞰を踏まえた左手の表現意図の析出に対して後者での音量変化による冒頭から大詰に至る歩兵軍団の去来の音楽描写との指摘には忘却の作品の表現意図をあらためて再認識。30分間の休憩を経て演奏会の部も伝統楽器を軸に編成の講師の解説付きでの当日の呼び物の軍楽隊音楽と伝播変容のウィーン古典派のオケ曲との土欧の音楽対比の2部構成を採って客席通路から登壇の2人の来日奏者による哀愁を帯びた二重奏での音色紹介を目的の2曲の他に口伝承継と19世紀前半から第一次大戦までの伝統楽隊廃止の故に西洋流儀に基づいた採譜曲と前世紀以降の新作が現存との実状に洋楽化の治世下での初代楽長の音楽史上への貢献を実感の楽譜は当日用に邦人奏者の西洋楽器向けに編曲の特別版を使用して陰出しの演奏開始に続いて下手から2人の来日組の名手に挟まれた主催機関長の任務の器楽科教員が統率のほぼ学部生の7人の管楽器と5人の打楽器の13人の邦人奏者での15人編成の日土合同楽隊の一列縦列での行進入場の後は舞台上では現地と同様にティンパニの原型楽器奏者を三日月状に包囲の陣形によって2拍の3連と3拍での計9拍との西洋音楽に馴染んだ者には素人にも演奏困惑と拝察の楽曲、意外にもベリーダンスの本場も彷彿の明朗快活な曲調曲、モーツァルトの曲想を連想の質素な古曲、歩兵の敵陣突撃を想像の後半に倍速化の駆足曲など解説を挟みながら全8曲を2曲ずつ披露の後には登場時と同様に往事の隊列を彷彿の下手への退場。後段は舞台転換のための20分間の再度の休憩後に采配はやはり副学部長の職務に就く器楽科の教員の率いるコントラバス3本編成の学部生オケでの3曲の演奏となって「後宮」序曲は貴族役の独唱から引用の中間部の悲哀感に欠乏ながら大太鼓はトルコ楽器を模倣の左手の撥での木枠への打擲の他にシンバル2対とトライアングル2台を用意の聴覚と視覚の両面からトルコ風を際立たせた演出の傾聴に続いてその副題付きのヴァイオリン協奏曲第3楽章では指揮者が異国趣味をやや強調の独奏の後にベートーヴェンのトルコ行進曲では意表を衝いた器楽演奏での来日奏者2人の今度はオケとの合同演奏によって当日限りの欧土融合の世界初とも推測の楽興に満ちた空間の創出に加えて終結部では歩兵軍団の歩調に倣ったトルコ人と指揮者の縦列退場で掉尾を飾る趣向に聴衆は客電の点灯後も温かな拍手を継続の日土文化交流の得難い午後を共有。元禄年間からは約2世紀前ながら古典派最後の巨匠と言えるロッシーニの巷間では無名に等しい傑作の「マオメット」の世界も脳裏に浮かびつつ欧州を震撼の伝統音楽とその脅威から解放の約1世紀後の古典派音楽が脳内を駆け巡る中を最寄駅まで意気揚々と行軍しながら劇場を後にしました。
アフターシアターは、人形町に足を延ばして「カフェ シェ・アンドレ ドュ・サクレクール」で。

PMF組織委員会「PMFチャリティコンサート」 ~ 潔癖なワーグナーと豊満なブラームス [クラシック音楽]

pmf11.jpg8月4日・東京オペラシティ・3階正面A席
前月下旬から続く夏名物の若手発表会への締め括りとして前々月に代役来日のピット内外の両面で世評の高い一握りの同業の中で当代屈指の指揮者による昨年に芸術監督に就任の夏期講習会の成果発表の場として講師と受講生で編成のオケでの前日の有名歌手が出演の公式公演よりは低廉ながら収益金の全額は震災被災地の教育支援に充当との追加的な今次講習の最終公演へ参戦。前半は1曲目の「魔笛」の世界も彷彿の古今の管楽器協奏曲を代表の名曲が当夜の指揮者と共に震災後初の引越公演での主席奏者として来日の講師の独奏によって経歴に相応の指揮者の個性にも共通の清潔感と歌心に溢れた音楽が提示された後にペラゴロ的には最注目の「トリスタン」の前奏曲と大詰曲の接合という類例の稀有なオケ用の一対曲ではコントラバスが前曲の6本から10本に拡大の大編成に拠って合奏の緻密性は短期講習の制約から等閑視の上で作曲家の革新性を再認識の一球入魂的な緊張感で満場の空気を一変の冒頭部に続く前奏曲部は若手奏者たちの人生経験も考慮との邪推も生じる程に男女の出口の見えない情念の重畳による芳醇な色香には皆無な実に指揮者らしい潔癖な清潔感が前面の演奏の一方で後段の大詰部では一瞬の切替との印象の前段とは別曲の本編の幕切れに相応しい劇的展開が格段に増して図らずも指揮者の個性とも拝察の二面性を意図的に15分間に凝縮とも受容の一粒で2種を玩味の拝聴。後半は先行の交響曲が音楽史上で特筆の難産曲との事情もあってか10年足らずながら"トリスタン後"との史実も想起の上にベートーヴェンの交響曲第7番と同様な確実性の濃厚な演奏効果も期待の贔屓曲では木管楽器でさらに4人増の大所帯の編成から前曲よりも明瞭に艶やかさに満ちた両作間の通念を逆転の音楽づくりの仕掛けにやはり好悪の問題は存在ながらも楽曲解釈と演目構成に指揮者らしい肯定的な観点での"作為"を実感しつつ多くは職業音楽家として今後に飛翔の若手奏者の研修発表との性格を踏まえて当夜の満場の聴衆を迎えて世界史的被災への慈善かつ約1カ月の集中講座からの解放とその打上との当夜の公演環境に起因の殊に青年期で顕著に発露の精神的高揚も手伝ってか室内楽が拡大化の精緻な合奏力よりは演奏行為自体の歓喜から派生の開放的な威勢が横溢の耳タコの有名交響曲から最大限に豊潤な響きが常時に場内を充満して舵取り役のピットの泰斗らしい全曲を通じて上手と下手へ時々に激しく上半身を揺らして曲調ごとに千変万化の色彩感と後期ロマン派の器楽曲の演奏経験に由来と思しきポリフォニックな音楽づくりに拠りながらも素人も含めた若手に傾向が顕著と思える快速の最終区分に特有な演奏完遂の達成感へ到達直前の独特な精神状態によってか見方によっては異様な熱気が舞台を覆い尽くして指揮者を含めたオケが最終和音に向けて時に幽玄感も期待の音楽の陰影よりは展開部後半での小休止を経ながら終着点への焦燥感にも似た突進感が充満の運びに満腹感を覚えつつ小宇宙として完結の終結部は最後には前世紀中葉の巨匠時代やオペラの幕切れを彷彿の一気呵成演出を微笑ましく拝聴。受講生の青春の爆発への郷愁感と講座修了への慰労の念を抱きつつ熱気に包まれた会場を後にしました。
アフターシアターは、恒例の手近な階上の「叙々苑 東京オペラシティ店」で。

デュオ・ブリランテ「ピアノ デュオ ブリランテ IX」 ~ 余技を愉しむピアノ女子会 [クラシック音楽]

pianoduo.jpg5月28日・東京オペラシティ・リサイタルホール下手後方自由席
知人からの勧誘に応じて都心近くでのロッシーニのセリアの映像鑑賞から一転して副都心近くでの女流奏者6人によるピアノの連弾と重奏の器楽演奏会へ参戦。当夜は「フランス&ロシア 輝く色彩 豊潤な響き」との副題での今回でほぼ毎年開催の9回目を迎えて3組体制への移行以降は過去3回の演奏会では偏愛の編曲物が相応に採用されて平素は録音での密やかな愉悦を実音で拝聴できる貴重な楽興の機会として今回はチャイコのバレエ組曲とラヴェル作品の選曲となるも専らこの2曲に関心を寄せつつ各組が前半と後半で各1曲を披露の構成による残る4曲は全くの初聴きという初心者以前の状態での拝聴。全3組の中ではやや大袈裟に言えば少女趣味的な自らの演奏行為にピアノ奏者としての悦楽を発現の一組の一方で強弱や遅速による旋律の音節感の他に運指の切れ味によって楽譜の音楽化という芸術再現行為に音楽家としての自己表現を希求の一組もあって三組三様の演奏模様を興味深く傾聴するも今回は時勢の諸々の制約もあってかアンコールは従前の華麗な多重奏から各組1曲の短曲披露の趣向に切り替えられて懐古的にも聴こえた一曲、楽曲の格調には未到の一曲、時節に呼応の鎮魂の意思が込められた一曲が順次に演奏されて各組の選曲と表現の価値観を如実に象徴と勝手に受容。次回選曲への期待感を忘却の程にピアノという打楽器の怖ろしさを再認識しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、所要のため直帰となって割愛。

東京国際フォーラム「映画と後期ロマン派(2)」 ~ 2011年米国映画の旅 [クラシック音楽]

lafolle11-5.jpg5月5日・東京国際フォーラム・ホールD1正面後方自由席
熱狂音楽祭の無料講演企画のいよいよ最終回として前日に続く映画紹介の第二弾へ参戦。開場時刻に合わせて到着するとさすがに集客は低下の開場時刻で6割程度、開会時刻で9割となって通い慣れた客席では丸の内界隈での特別展巡りで疲労の両脚を指圧しつつ暫時の待機。今回は音楽祭の表題を直接に反映して後期ロマン派の米国映画への音楽的影響を主題に4つの話題の提供に加えて主催側の関係者として事態収拾に講師自身もおそらくは関与の故の強い意向からか終了時刻を大幅に超過の時節問題に関連の主張性の高い問題提起の5部構成として拝聴して最初の部分は総論的に「キングコング」の新旧作を例示作として1933年製作の旧作は「風と共に去りぬ」も担当のウィーン出身でシュトラウスが命名父、マーラーからは評価と言う渡米作曲家の作品として映画史上初の50人編成でのマーラーの第7番第4楽章を使用場面の放映の他に76年製作の新作での愛のテーマ、その翌年製作の「スターウォーズ」の作風を採り上げて後期ロマン派との親近性について何れも前回と同様に映像付きと同抜きのパソコン加工による比較視聴で明瞭に実例を20分間で示した後に各論的に3人の作曲家を並べて亡命組の2人の最初でのコルンゴルトの紹介では「スターウォーズ」の製作者から作曲家への依頼時に例示と言う元米国大統領が就任式で自身の俳優歴で自己を代表の音楽として紹介との逸話も披露の41年製作の「嵐の青春」の表題部分と大詰場面の放映に10分間を割いて続くワックスマンの紹介では46年製作の「ユーモレスク」から現代でも演奏と言う「カルメン幻想曲」、主演女優の入水自殺場面で使用の「トリスタン幻想曲」の映像を15分間で説明後は米国人作曲家としてハーマンを取り上げてヒッチコック映画の有名作「めまい」の主人公の死者に似せた女性との接吻場面でのマーラー作品も想起の「トリスタン」風との音楽を10分程度で紹介してほぼ終了時刻に近づきつつもあえて震災関連問題に言及して邦画から89年製作の武満の「黒い雨」での「突撃」との台詞で登場のマーラーの第5番第1楽章第1主題を引用の背景に死者の語りとして転用元の「死んだ鼓手」を楽譜配布も含めて紹介の後に「亡き子」に言及して第3番第2部を引き合いに「マーラーが私たちに語ること」との問題提起。「映像以上に音楽が登場人物の思惟を雄弁に代弁」との結語に至って大地震による会場の使用不能、発電所事故による外国人演奏家の来日中止、縮小開催に伴う払い戻し騒動の三重苦を克服の主催関係者の閉幕への万感の想いを感受しつつ2日間の一連の無料行事便乗を振り返りながら会場を後にしました。
アフターシアターは、前日と同様に内食で。

読売新聞社&三菱地所「ブラームスとリストの世界 ~後期ロマン派のタイタンたち~」 ~ スタンプラリーのための3人の天才たち [クラシック音楽]

lafolle11-4.jpg5月5日・丸の内界隈複合商業施設4棟
熱狂音楽祭の楽日に公開講演会の最終回までの待機時間を利用して今年の標題で"巨人たち"と命名の後期ロマン派の巨匠5人の紹介行事として大手町に本社の新聞社と東京駅北側の大地主の財閥系不動産会社が結託のさすがに民間企業らしく近年に再開発が進展の商業施設の販促も目論見の「特別展」の最終日へ散歩を兼ねて参戦。5会場の順路は最初に出発地の有楽町と隣接の複合ビルでのシェーンベルクを始点に有害物質の飛散吸入を覚悟しつつ駅舎の円屋根の頭頂部を残して工事用防塵幕で遮蔽の東京駅を上手に眺めながら最遠地のシュトラウスから南下のようにリストを経て最後に同一ビル内のマーラーとブラームスの会場への経路で見物するも展示会として独自の会場空間の用意はチラシのとおりブラームスとリストのみとなって残る3人は無料行事ながら驚愕の通路でのパネル展示と関連品1点程度との実に急場しのぎ的な企画で実施の後者では最小規模のシュトラウスがパネル14点に「あなたを『ばらの騎士』の世界にお誘いします!!」との案内チラシを配布の国内愛好団体の宣伝が加味されて次いでシェーンベルクが同15点で展示品は自筆譜の複写となって両者ともに飲食店階のエレベータ脇の通路に2層分に分散配置されてお手軽感が横溢の様相となるもパネル展示三人組では本家"巨人"のマーラーが曲がりなりにも35階の南面の展望室を利用の開放的かつ独立的な空間が確保されて協賛企業の高級スピーカーから意図的か「巨人」が大音量で再生の中で拝見すると第5番第4楽章での夫人による楽譜清書時の修正を指摘の資料を実見して昨日の講演会で紹介の近作映画で題材の夫婦関係を想起。独立の展示室を設置の二人組のうち年長の今年が生誕200年のリストは商店階の一角に屋根の無い小屋程度の小規模ながら守衛を配置の本邦初公開との自筆書簡を含めた原本資料も展示されてペラゴロ的視点では絵葉書程度の寸法ながら1842年制作と言うごく緩やかなすり鉢状で開放感を感受のイタリア座の内部と仮面舞踏会風景を模写したガルニエ宮以前のオペラ座の石版画、1840年から5年間のドイツでの演奏曲序列での1位の自作と2位の「魔王」の編曲から以下は「ドンジョ」「悪魔のロベール」「ルチア」の各追想曲が後続との説明で往事の聴衆の嗜好を連想していよいよ最終会場のブラームスは高層ビル内の催事会場全体を使用して入場口前の広いロビーには右手にようやく展示会の定番の売店も設置の相応の規模に間借り的な他会場との隔絶の相違に感嘆しつつ入場すると交響曲第1番第1楽章に出迎えられて本会場のみウィーン楽友協会の協力によって彼の地の資料館長からの邦訳挨拶も展示されて作曲家の音楽室を再現の趣向も目新しく岩倉卿令嬢の在墺公使夫人が演奏の「六段」を実聴との19世紀末葉の音楽の都と邦楽との接点も初認識して展示の目玉との位置付けの国内唯一の自筆譜で本邦初公開との喧伝の最奥部の照明配慮の特別室での脇に守衛が警護の武蔵野音大が所有との作品番号が付されない歌曲小品の自筆譜の拝見は緊張の空気を敬遠して足早に退場。各展示場で作曲家の似顔絵印を揃えるスタンプラリーの景品は予定数終了との由に意外にも酔狂な御仁の多いことを再認識しつつ有楽町へ向けて会場を後にしました。
アフターシアターは、軽食を音楽祭会場の「帝国ホテル ケータリング車」で。 

東京国際フォーラム「ニーチェ超入門」 ~ "超入門"の真意を理解 [クラシック音楽]

lafolle11-3.jpg5月5日・東京国際フォーラム・ホールD1正面後方自由席
前日に続いて大型連休の都内名物行事に定着の音楽祭で入場券を提示不要の無料公開講演会に参戦。前日から一転の曇天の肌寒い天候に加えて前々世紀の哲学者を主題の故か開場時には定員100席の約7割の客入りの様子で他人事ながら集客を危惧するも開会時には前日同様にほぼ満席の盛況に落着。本回は人文学での文筆家らしくスクリーンは不使用となって登場の講師は白色の背広姿に唖然の同色のカンカン帽を着用のままに曰く「1時間は長いので途中で随時に質問を」「終了後に希望者にはサイン可」「クラシック音楽愛好家への講演は難儀」との無料聴衆の前ながら挑発的発言で開始の講演はニーチェの思想に関する断片的な内容説明と客席への発問呼び掛けに応える講師の執筆書籍を読了と思しき真面目な哲学指向の青年男女からの質疑応答が合間に挿入されて全体には首尾一貫性が無く門外漢にはサイトに明記の「ベストセラー『ニーチェの言葉』の作者が、後期ロマン派の時代に絶大な影響を及ぼしたニーチェの魅力をわかりやすく解説」への直接情報を得られないままに閉会となって対話形式による虚無主義の実例実践との最大限の解釈を踏まえても音楽と無関係の時節話題を含んだ質疑への時に攻撃性を帯びた融通無碍な返答で若者を掌上で翻弄の大人の言辞遊技にも聞こえてペラゴロ的関心からは遊離の時間が場内に漂流と感受の展開に虚無感を感じつつ時間満了の到来を待望の一念で拝聴。閉会時刻前にようやく当日趣旨を理解の参会者からのワーグナーとの決別如何の質問には驚愕の「自分で調べて下さい」との一刀両断の回答に最後のダメ押し的衝撃に絶句して参戦経験で最悪の1時間に呆然としながら会場を後にしました。
アフターシアターは、東京駅周辺での関連行事参加のためテイクアウトを「ブーランジェリ・パティスリー・ヴィロン 丸の内店」で。
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