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新国立劇場「サロメ」 ~ 老練指揮者の滋味伴奏に陶酔 [新国立劇場]

salome.jpg10月12日・新国立劇場・4階上手D席
前日の悪夢と衝撃のイタオペ2連戦に続いて今楽季では年内に集中の新旧制作を一対の併行上演の前半の1幕物へ参戦。道化師役に続く短尺配役の本劇場では英雄役で馴染みの簒奪王役の降板によってドイツ派諸兄姉には御無礼ながら本興行への関心は皆無となって業務上疾病の芸術監督が任期2年目に満を持してのピット初登板宣言との販促戦術で前面の謳い文句が不履行の指揮者交代の措置によってあくまで結果論として国産品を除いた9演目中の貴重な1枠が偶然にも2日前に来日楽日の南独劇場が製作のもはや薄汚れ感も散見の美術と衣装での本劇場で「セビリャ」と並ぶ5演を誇る単幕のドイツ物との作曲家の国内愛好会員以外には魅力に欠如の天井桟敷組には三重苦とも言える演目だけが残骸のように残置された無駄遣いに等しい現実に代役イヤーの観点も加味の本劇場史に残る椿事として世事を繰り合わせて劇場観劇への高揚感に代わる入場券消費の義務感で入場。独唱陣では外題役には少女声の発声に工夫を感受ながら声量の安定感に欠けて傾聴への気力充填は断念、その母親役は舞台映えの存在感と安定感は経歴を連想ながらもはや輪郭が喪失の年増声によって役柄の年回りには適合との精一杯の好意的解釈、その義弟役は代役としては健闘とは受容ながら歴代の格上歌手の拝聴経験との照合の衝動を抑制できずに声量や表現に欲求不満の中で手慣れた邦人端役陣への団体入賞的な比較優位感も湧出の舞台空間への関心から全く遊離の落胆の一方で特筆の伴奏は幕開けは処女のように起状に弱く整理感のみの物足りない印象ながら傾聴姿勢に切り替えれば織目の詰まった絹のような充足感を感得しつつ前半の大詰から徐々に否が応でも音楽に誘引されて以降はオペラ史上屈指の奇譚の語り部としてピット指揮者の名声に納得の職人的な音楽づくりを砂塵への天雨のように当夜の聴覚の救済に位置付けつつ専ら堪能。当夜の客席と板上の空疎感で倍加の6日間で7連戦の疲労感を抱きつつ翌日の女王陛下の独唱会への期待を活力源に劇場を後にしました。
  「山縮み地には生命の竹の春」 昭成
アフターシアターは、新宿に向かって「珈穂音」で。
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