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新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」(2回目) ~ 読替演出はみんなこうありたいもの、または代役たちの学校 [新国立劇場]

cisi2.jpg6月11日・新国立劇場・4階正面C席
先週末に続いて楽日の週末マチネへ参戦。開演30分前に馴染みの天井桟敷に着席すると作曲当時の木管八重奏への編曲も連想のピットでの木管奏者の練習演奏で名旋律を拝聴できて期せずして編曲愛好者には早着特典的な耳福の待機時間を堪能。独唱陣はほぼ中2日の間隔での5回目の上に居心地の悪そうな伴奏と全編にわたって迫真の演技を要求の演出による疲労の故か総じて発声と重唱の緻密性、本作の喜劇的要素の現代人への提示を企図の動作の切れ味が低下して3回目での初見時の記憶で脳内補正しつつ世情混乱中での来日敢行によって本劇場が独自に世界に発信できた名演出の稀少例と確信の舞台の成立に功労の彼らへの慰労の念を抱きながら拝見するも他方で中1回を挟んだ前回と同様な傾向として愛好曲の贔屓感を捨象してもダ・ポンテ三部作の最終作として神童作曲家の晩年らしい音楽神が降臨とも思える筋書を凌駕の楽譜とオペラの非現実性に現実感覚を付与の欧米人らしく大自然を完全に人工創造と聞く美術の中での演劇的表現による等身大での感情表現によって喜劇の中の悲劇への没入によってか後半幕は前幕とは格段に音楽が深化の代役三人衆の歌唱面での向上に注目して姉役は妹役との二重唱では経歴では先行活躍の低声役が声量と技量に勝って存在感で優位を示すも前回より安定感を高めて前々場の二重唱と共に本演出の山場とおそらく衆目一致の第2幕のロンドは当日の白眉となってカーテンコールも含めて聴衆賞とも言うべき最大の喝采を獲得、その浮気相手役は手順を変更の故か独力でのテント張り作業の順調な完了に祝意を示しつつ聞き慣れも生じたのか籠もり声の高音部と中低音の声質の隔絶感も控え目となって山場の一翼を形成の友人との確執の壮絶感も一層に深化の表現、女中役は不出来の独唱部が改善されて旋律の流れに基づく歌詞内容の表現の進化による筋書展開と音楽的感興の中断の発生を感受しない最低線には到達と拝聴、指揮者は周囲からの圧力なのか演奏回数の増加による譜読みの進化なのか天上の音楽を地獄に撃墜の無表情な伴奏音型は後退して加速が図られるもそれ故の結果か殊に前半に顕著な板上との不揃い感が目立ってカーテンコールでは楽日に至っても天井桟敷の中央部からの無粋感すら発現の執拗な非難の掛け声に苦笑で対応。それにしても映像を含めてもペラゴロ人生で初めて大詰などの特定場面や登場人物の個々の所作という次元を超えて全編を通じた完全な読替演出で納得感を惹起の出色の演出は哲学者の位置付けの再設定を軸に利用客に非日常を提供のキャンプ場の受付窓口から屋外に登場の瞬間から万人に一目瞭然な複雑な過去を持つ人物像を放出の尋常でない雰囲気に本演出への期待感は幕開けから上昇して女中の登場までの仕込み部分は薪割り、雄鹿頭部の剥製、コーラ缶、大衆雑誌の男性写真、旅行鞄、軍用車、軍艦模型、キャンプ用の食器と舞踊の当て振りに共通の常套的な表現ながら楽曲ごとに象徴の大小の道具を繰り出した巧妙な場面表現の連続進行に舞台への注視が続いて2番目の五重唱は合唱の停止動作での心象表現と後続の合唱団が一列での下手から上手への軍艦模型の波状移動は漫画感覚での超現実的な情景描写に感心の後に男子組の変装からの本編に移行すると第1幕は総じて喜劇を強調の前代未聞の演技指導が行われて第11番での売店の食器類の散乱、第13番でのキャンプ道具の撤収、第14番でのテント張りへの妹の加勢、第16番でのミュージカル風の演技に続く第17番は混乱の終曲の直前で後続曲と好対照の嵐の前の静謐感、テノール役に付与の個性を踏まえた本作の顛末を知る者には無情な悲劇の前の虚しい夢想感、背景に配置の心的変化の姉妹との対比感との三重写しの抒情の世界に転じて第2幕の水浴の場面と双璧のオペラ舞台で驚異の絵画的な世界の現出を経て「心に痛みを伴えば恋ではない」との女中の一語を受けて退場の哲学者に呆然として舞台に残置の彼女に2人の結末の暗示も感じつつ終曲では砒素を顆粒状の洗剤に、磁気治療を心肺蘇生装置に置き換えの上に偽中毒の後遺症では「ユピテル」「パラス」での古代ギリシヤからの連想なのか男声同士で抱擁させて姉妹の名誉毀損との歌詞に繋げる着想の妙味に刮目して默演群衆として現場用テープも準備の使用人と利用客の野次馬配置に客席へ大詰らしい高揚感を伝播の数々の秀逸な創意工夫が次々と展開して大混乱の様子を見事に描写の中で哲学者と女中のブランコでの親密ぶりも含めて"昼の世界"で形成の抱腹絶倒の喜劇の部での急展開の大団円を大いに堪能。盆舞台に本水での渓谷池を急造の30分間の休憩後は"夜の世界"で生成の悲劇の部の幕開けとなって第20番での男女2組の水遊びで一挙の親密感の醸成を経て第21番では誘惑の音楽として魅了の管楽六重奏の前奏は万人が経験を持つ漆黒の暗闇のキャンプ場を移動の利用客に必需の懐中電灯の燈火が天井桟敷からは蛍火のように映じて名旋律の音楽効果によってオペラ舞台では稀有の現実感と幻想感を兼備の記憶に刻印の予想外の鮮烈な印象を受けて板上は告白環境にはお定まりの焚き火場面へといよいよ進んで残された低声男女による妹陥落の二重唱は舞台袖からの照射が実に効果的な映画の一場面を彷彿の歌詞発音の滑稽性すら完全に忘却の筋書の展開とも符号の忘れ難い本演出の白眉を形成するも本曲の句点の低弦での最後のピチカート3音で同衾の常套表現の順次にテント内の照明消灯の操作は楽日の故か残念にも音楽とは不揃いの不発の結末を見届けて続く水浴の場に仕立てられた姉のロンドも照明効果も手伝って一幅の泰西名画の美観を提供のやはりペラゴロ人生で忘れ難い構図の殊に当夜は代役の迫真の健闘によって随一の場面に昇華して最後の歌詞を反映の恋人の好意を背中で対応の演出によって隠し味の添加のように彼女の万感の想いが一挙に伝播の妙味を凝視した後は男子間の哀しくも真剣な修復不能な諍いを経て全員離散の大詰へ男女4人の各々の個性を際立たせつつ悲劇の階段を一歩ずつ登るように突入。また、女中のアリアを好例として第1幕では姉妹からキャンプ客へ、第2幕では姉妹から「女王」の歌詞による着想の男声組への説諭対象の変更の他に低声恋人の最初のアリアは姉妹から哲学者への当て付けとして位置付けられて次曲の男声三重唱との連続感を解決の上にこの変形のように第22番では姉妹への求愛応答の手本が哲学者への復縁拒否の歌詞解釈への変容、終曲では遂に聴衆への美徳称揚が全独唱陣の各自への開き直りに変質の意表を突く演出家のト書を意図的に逸脱ながら違和感を微塵も抱かせない新奇性の表出に才気に溢れた個性を実感。なお、字幕の一部にチョコレートを「飲み物」、紙を「写真」などとの意訳は読替措置と同様に賛否二分とは思いつつ演出対応の措置として許容の範囲内と理解。実見後もなお舞台写真をどう拝見しても情景模型としか思えない初感覚にやや戸惑いつつ見事な人工の自然美に貫かれた舞台装置と鮮やかな色彩感の衣装の本作の世界を単なる初演時の衝撃の蘇生との視覚的印象に終わらずに筋書を今日的に深化の秀逸な人間描写を反芻するにつけて主演歌手の初役、指揮者の初振りの練習場としての事実上の国際的な役割を負う極東の国営歌劇場の任務の一環に気鋭の本作演出家の錬成場として毎楽季1本の新演出の発注を熱望しながら本演出に適合の歌手陣と指揮者での再演、再々演を期待して劇場を後にしました。
アフターシアターは、週末の早い時間の気紛れに「新宿中村屋本店 ラコンテ」で。
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